生きづらい。

阿波野治

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少女涅槃

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 数週間ぶりに朝に自慰をしてしまった。自慰をすると股間が臭うので、なるべく入浴直前にするようにしているのだが、今朝は無性にムラムラしてしまい、気がつくと股間の敏感な部分に指を這わせていた。嗚呼、自己嫌悪の午前六時……。
 一階に降りると、ダイニングで両親が食事をしていた。父親は朝刊を読みながら、母親はオニオンスープをスプーンですくっては口に運びながら、こんな会話を交わしている。

「今日で世界が崩壊するって、本当かしら」
「フェイクニュースだろう、どうせ。金儲けのために庶民の不安を煽っているだけさ」
「そうね。一口に世界と言っても、色々あるしね」

 今日の朝食のメニューは、トースト、ホットコーヒー、目玉焼き、茹でたソーセージとブロッコリー。目玉焼きに使われている卵は二個だ。……もしかして。

「お母さん」

 着席し、母親に声をかける。

「もしかして、今日で世界が崩壊するから、これが最後の朝食になるから、卵を二つ使ったの?」

 母親はスプーンを虚空に停止させ、私に微笑みかける。

「割ったら、たまたま双子だっただけよ」

 嗚呼……!
 考えすぎている! 私はまた、考えすぎている!
 気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ。自らに言い聞かせながら、ジャムをつけていないトーストにかぶりつく。喉が詰まりそうになりながらもかっ食らう。自慰をしても股間が臭うはずがない。私の分のオニオンスープが用意されていないことだってそう。双子の目玉焼きは乳房の、ソーセージは男性器の、ブロッコリーは陰毛のメタファーなどではない。世界崩壊だって、父親が言うようにフェイクニュースなのだ。
 今日で世界は崩壊しない。でも、物事を深く考えすぎる癖を持つ私は、近い未来に崩壊するのでは?
 ……まただ。また考えすぎている。考えるな、私。今はただ、食事をすることに専念なさい。オニオンスープなんて、食べなくても構わない。炭水化物を一定量摂取しさえすれば、空腹は満たされる。喉が詰まりそうになるなら、ぬるくなったコーヒーで流し込めばいい。そして、嗚呼、何たる幸福! トーストだけではない。目玉焼きがある、ソーセージがある、ブロッコリーがある! さあ、食せ。食すのよ、私。赤子のように黄身を吸い、肉食獣のようにソーセージを貪り食い、草食獣のようにブロッコリーを食め!
 嗚呼、疼く。慰めたばかりの股間が疼く。
 私は、私は――。



 制服姿の私が通学路を歩んでいる。学校が休校ではないから、今日で世界は崩壊するというのは虚報だから、学校へ向かっている。
 もし私が、今日で崩壊する世界が舞台のライトノベルの主人公だったなら、一人寂しく登校する私に声をかけてくれる親友がいるはずだ。私が陰性だから、親友は陽性。女子からも男子からも好かれるタイプの、明るく元気な女の子に違いない。髪型はショートボブで、パステルピンクに染めている。きっと手先が器用ではなくて――。
 そこまで考えて、思案を打ち切った。
 また何かを考えている。無心を心がけていたはずなのに。
 答えが欲しい。
 宇宙に散在するありとあらゆる問いに対して正答となる、たった一つの答え。それさえ手に入れることができれば、私は考えることから解放される。



 学校に着いた。
 教室の扉を開けて、世界は停止した。
 黒板に、教室に足を踏み入れた者が真っ先に注目せざるを得ないその物体の表面に、白いチョークで、気味が悪いくらい大きな文字で、言葉が綴られている。

『世界は既に崩壊している。』

 涙が溢れた。
 嗚呼、そうだったのね。それが真理だったのね。いや、真理というよりは、神。絶対不変の、ありとあらゆる問いに対する唯一無二の答え。
 もう考えなくてもいい!
 涙が止まらない。ありがとう、ありがとう、ありがとう。心中で何度も感謝の言葉を唱えながら、中学一年生の女子が穿くには大人びた、黒いレースのショーツの中に利き手を滑り込ませ、敏感な部分に指を触れさせる。
 自慰をしよう。この体が滅びるまで自慰をし続けよう。既に崩壊した世界においては、その行為は絶対的に許容される。
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