僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 親という生き物はとにかく我が子に雑事を委託したがる。
 家族のため、社会勉強のため、あなた自身のため。
 示される理由はいつだって立派で、もっともらしい。すべてが的外れだと主張するつもりはないが、遡って精査してみれば、面倒ごとを押しつけようとしただけとしか思えない事例が大半を占めている。

 親という立場になっても、彼らは人間。厄介な仕事を回避して楽をしたい下心は当然抱く。卑怯さ、ある種の弱さを抱え持っている。もっとも身近でもっとも弱い存在である我が子に対してだからこそ、狡さを発揮することも珍しくない。
 当時よりも少し大人になった今では、大人の狡さも寛大な心で許容できる。しかし、満年齢十六歳でそのような仙境に至れる人間はまずいない。

「悪いけど、庭の草刈りをしておいてくれ。今日の夜、私が帰ってくるまでならいつやってくれてもいい。任せたぞ」

 その日の朝、朝食の席についていた僕に、父親は唐突にそう命じた。
 母親はひと足早く食事を済ませ、キッチンで父親の弁当の準備をしている。僕よりも早くダイニングに来ていた父親は、もうすぐ食べ終わるという情勢。席に着いたばかりの僕は、トーストにマーガリンを塗りつけていた。
 そんな状況下で、父親は読んでいた地方新聞をやけにていねいな手つきで折り畳み、もったいぶったような手つきでコーヒーカップを持ち上げて一口すすると、おもむろにそう切り出したのだ。

 僕は両親から、毎日の食事は家族といっしょにとるようにと厳命されている。
 僕は中学二年生のときに不登校になった。登校しろと強硬に迫る両親、特に父親との対立と衝突とが常態化し、部屋のドアに内鍵をかけて籠城するという対抗措置を僕は講じた。
 これに対して父親は、もう学校に行けと無理強いはしない、顔を合わせても現状や将来について口うるさくは言わないし、家から出ていけと命じもしないから、ひきこもるのはやめろ、食事くらいは家族といっしょにとるようにしてくれ、と譲歩案を示した。内心では争うことに疲れきっていた僕は、それを受け入れた。

 両親からすれば、特に普通と常識を愛する父親からすれば、息子が四六時中部屋に閉じこもって外に出てこない、家族とは口もきかないという、考え得る限りの最悪の状態に陥る事態を避けたかったのだろう。
 留年した挙げ句に自主退学することになったとはいえ、事実として僕は高校受験を突破して高校生になることができた、どん底から再起できたのだから、両親の苦肉の策は結果的に功を奏したといえる。

 ただ、父親の口うるさい性格は変化しなかった。高校生になるまでは規則正しい生活の大切さや高校受験について、高校を中退してからは今後の進路について、顔を合わせるたびに説教じみた言葉を浴びせてきた。
 取り決めのことを失念してしまったわけではないが、息子の顔を見ているうちに悪い虫が疼き出し、ついこぼしてしまうらしい。
 ひとたび口にしたあとは、歯止めがきかなくなかったかのように、あるいは開き直ったかのように、延々と垂れ流す。しゃべればしゃべるほど、眉間に、声音に、負の感情がこもる。

 息子を完全なる意味でひきこもりにさせないための取引条件として、親が我が子に意見を言えないのは間違っている。普通でいろ、常識的であれと我が子に教え諭すのは親としての義務だ――。
 くどくどと言葉を重ねる父親から、僕はそんな心の声をたびたび聞いた。
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