僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 表面的には穏やかだった日常を崩すきっかけを作るのは、決まって父親だ。彼は衝突するたびに、親に対する受け答えがなっていないとか、生活習慣が乱れているのを見かねてとか、もっともらしい理由を掲げる。
 しかし僕には、我が子との約束を軽視する傲慢さ、ならびに堪え性のなさを正当化するための、稚拙な言い訳だとしか思えない。

 約束を破ったこと。発言の不愉快さ。突きつけられた現実から逃げたい気持ち。それらが一時的に休眠していた攻撃的な本能に火をつけ、僕は感情的になって反論を述べ立てる。
 そうはいっても、僕はもともと他人と気軽に口をきけない人間だ。親に対してはましになるが、気安くなんでも話せるかというと、それは絶対に違う。中学二年生のときに不登校に陥ってからは、抵抗感は日増しに増していき、頭に文章が浮かんだとしてもスムーズに言葉に変換できないことがよくあった。

 言い淀んでいるあいだも相手は待ったなしで言葉を連ねてくるから、反論の修正や言葉を追加する必要に迫られる。会話が進めば進むほど沈黙せざるを得ない時間が長引く。
 これに対して父親は、「言いたいことはないのか」「文句があるなら反論してみろ」といった挑発的な言葉をぶつけてくる。
 僕はたちまち頭に血が昇る。神経を逆撫でにされたことに対する怒りだけではなく、思うように発言できないいらだちともどかしさが加わるのだから、感情が爆発するのも無理はない。

 僕は暴力を振るうのも受けるのも嫌いだが、言葉という武器を思うように扱えない腹立たしさに、つい手が出ることもある。猫に追い詰められた鼠が破れかぶれに噛みつくようなものだが、父親はそれを宣戦布告とみなし、堪忍袋の緒が切れたというよりも自らの手で緒を引きちぎり、歯に衣着せぬ物言いで僕を罵倒しはじめる。こうなると僕も後には退けない。能天気に無責任な母親は仲裁に入ろうとしないから、互いの息が切れるまで親子は大暴れすることになる。 

 一見凪いでいるように見えて、いつ大しけになってもおかしくない危険性を孕んでいた。それが当時の曽我家だった。

 曽我家の庭は住宅の大きさのわりに広く、初夏から秋の終わりにかけて雑草の楽園と化す。除草は基本的に父親の仕事、最盛期の夏場には母親と僕も動員されるのが通例で、ニートだろうが半ひきこもりだろうが義務は免除されない。
 草刈りは力仕事の範疇ではあるが、高度な技術を必要とせず、一人でもできる。人とのコミュニケーションを前提とした場でなにかを行うといった、僕にとって心理的抵抗感を激しく覚える仕事ではない。なにより、ニートでいるせいで家族に迷惑をかけているという自覚がある。負い目がある。膨大な面積を僕一人でやれと言われたならまだしも、あくまでも作業員の一人としての動員だ。ひきこもりがちな生活を送っていても、自宅の庭の状況くらいは把握しているから、「そろそろ言われるかな」という覚悟は心の隅でしていた。
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