僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 新年度を迎えた実感は、ソメイヨシノの開花の知らせとは別の報告によってもたらされた。

「四月からは遊びに来られない日があるかもしれない。毎日はたぶん無理」
 三月が過去になって間もない一日だった。少食の僕と、がっつかないレイにしては珍しく、互いに小腹がすいているらしく、大袋に入ったポテトチップスを競い合うように貪っているさなか、彼女がおもむろに告げたのだ。ポテトチップスをつまみ出すために出し入れされる手が袋を鳴らす音と、菓子を噛み砕く音とが、同時に止まった。 

「来られないって、なにか事情でも?」
「うん。家のこととか、将来のこととか、いろいろあって」
 そう答えたレイは、表情にも声にも少し元気がない。極端に落ちこんでいるわけではないが、普段と比べると一段階か二段階、明らかに沈んでいる。

 伝えるべきことを伝えると、彼女はまた菓子を食べはじめたが、ポテトチップスを噛み砕く音には覇気が感じられない。
 一方の僕は、完全に手が止まっていた。レイが口にした「いろいろあって」は、これ以上の詮索を暗に拒絶しているとしか思えない。「お前は信頼するに足らない人間だ」と正面切って告げられたような気もして、ショックを受けると同時に不服でもあった。

「なにぼーっとしてるの? 食べれば。もうなくなっちゃうよ」
 呼びかけられて僕は我に返った。義務感に促されて食べはじめる。バターの風味が香るしょうゆ味。大好きな味のスナック菓子なのに、それほど美味しいとは感じられない。

『毎日はたぶん無理』
「いろいろあって」の一言にこめられた拒絶の意思もショックだったが、その言葉にも負けないくらい大きなダメージを食らった。

 雨が降りしきる日も、雪が舞い落ちる日も、風が吹きすさぶ日も保障されてきた、平日夕方の二人きりで過ごす約一時間半。その当たり前が崩れるなんて。休日になるたびに大なり小なり感じてきた、レイと会えないさびしさを、週に二回どころではなく、三回も四回も味わわせられる可能性があるなんて。
 僕は学校に行っていないし働いてもいないひきこもりで、レイは決して活動的な人ではない。そんな二人だからこそ、毎日定刻に会う約束は堅持されてきた。
 しかし、日常というのは本来、必ずしも予定どおりに、平穏には過ぎ去ってくれないものだ。約束が一度も破られることがなかったこれまでが、むしろ奇跡だったのだろう。
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