わたしと姫人形

阿波野治

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初日 その2

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 ミクリヤ心療内科を出ると、空は一面、鈍色の分厚い雲に覆われている。
 川沿いの道を南に向かって歩く。体長二十メートルにもなる首長竜が棲息していると噂されている川だが、今は淡水が穏やかに流れているのみだ。クリーム色の外壁のミクリヤ心療内科が次第に遠くなっていく。

 十分ばかり歩くと、レンガ造りの短い橋に差しかかった。
 中間地点付近で足を止め、欄干越しに川を覗きこむ。水面に映った自分は、ささやかな心配ごとを抱えているときの顔をしている。
 見た瞬間は、意外だと思った。しかし一秒後には、当たり前だ、と考えが改まった。家族が一人から二人に増えるのだから、多少なりとも先行きが不安に決まっている。
 橋を渡りきると、我が家のダークブラウンの屋根が彼方に見えた。

「……わたしの姫人形」
 もう、届いているだろうか。


* * *


 白い大型トラックが灰島家の門前に停まっている。
 側面の隅に黒色で刻まれたロゴを判読して、鼓動が速まった。
 少し窮屈なトップスの裾を軽く直し、車体を横切る。覗きこんだ運転席は無人で、バックミラーに吊るされた小さなトラのぬいぐるみがわたしを見返した。 

 門を潜ると、自宅の玄関ドアの前に人がいた。白い作業着を着た若い女性と、パステルピンクに染まった髪の毛の少女。二人は親子のように横に並び、ドアに相対している。
 また少し、拍動のテンポが速くなった。
 女性の右手は虚空に静止している。たった今インターフォンを鳴らしたばかりらしい。一方の女の子は、直立不動の姿勢。ドレスを思わせる黒一色の服を着ていて、膝丈のスカートの裾は緩やかに広がっている。

 二人のもとへ歩を進める。小道の中ほどでまず女の子が、ワンテンポ遅れて作業着姿の女性が、それぞれこちらを振り向いた。
 髪の毛と同じ、鮮やかなピンク色の瞳に意識を吸いつけられ、わたしの足は止まる。肌の色も、幼くも整った顔の造作も、白色人種のそれだ。ドレス風の黒衣の襟にはワインレッド色のリボンが結ばれている。それを弄んでいた女の子の指がゆっくりと離れ、腰の横に落ちた。女性は体ごと振り向き、 

「灰島ナツキさまですね?」
 わたしはうなずき、彼女に歩み寄る。手にしていたタブレット端末を差し出してきたので、モニターをタップして本人確認を済ませる。目の端には、わたしを見上げる少女の姿が映っている。

「欠陥や不備などがございましたら、カスタマーサポートまでご連絡ください。説明書はウェブサイトからダウンロードできますので、よろしければご活用ください」
 女性は恭しく頭を下げ、小走りでトラックに戻る。エンジン音が唸り、排気ガスの臭いを残して走り去る。
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