わたしと姫人形

阿波野治

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二日目 その12

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 姫はテレビばかり観ている。空き時間は常にそうしているといってもいい。
 一方のわたしは、携帯電話をいじってばかりいる。
 姫は何気なくといったふうに携帯電話の画面を覗き見ることはあっても、興味は示さない。「使ってみる?」とひと声かけても、首を横に振る。そして、無言のままテレビの視聴を再開する。
 救いなのは、暇だから仕方なくではなく、興味深そうに、真剣に視聴していることだろう。

 ただ、このままではよくないのではないかと、保護者の立場の人間としては思わざるを得ない。若い親が幼い我が子に携帯電話に与え、おもちゃ代わりにさせることに批判的な意見があるのは知っているが、批判する側の心情が理解できる気がする。姫は手がかからない子どもだけに、なおさら。
 姫のために本を買わなかったことが、改めて悔やまれた。しかし、もう一度外出する気にはなれない。

 そこはかとなく怠惰で物憂い雰囲気を漂わせながら、わたしたちが住む町は日没を迎えた。


* * * 


 ミネストローネがメインの夕食をとったあとは、静かで穏やかな時間がわたしたちのあいだを流れた。
 テレビと携帯電話の合間に、わたしたちはショッピングモールで過ごした時間を振り返った。内容は、見かけた商品や光景や人物についての率直な感想や意見。何度も同じ話題が出たが、どの思い出もわたしたちにとって快いものだから、同じ道を巡るのも苦ではない。ミクリヤ先生の車のことを思い出し、少し切ない気持ちにもなったが、しょせんは一瞬の揺らぎに過ぎない。
 半ば人工的に発生させた会話ではあったが、ひとたび話に入りこむと、話題を取捨選択したり、点を線にする努力をしたりするまでもなく、言葉は自然に流れていく。姫の視線が投射される対象も、テレビ画面よりもわたしのほうが次第に長くなっていった。


* * *


 食器洗いをしているさなか、ふと窓外に視線を投げると、白銀の満月が浮かんでいた。

「ねえ姫、外でいっしょに月を見ない?」
 食器洗いを終えたところで、ソファでテレビを観ている姫に声をかけた。彼女は川を、植木鉢にたたえられた土を、熱心に眺めていたから、花鳥風月を愛する心がきっとあるはずだ。そんな思いのもとに。

「庭に出て、浮かんでいる月をただ見上げるだけだよ。どこに行くとか、他になにをするとかじゃなくてね。季節外れだけど、いっしょにどうかな?」
「うん、見る。お月さま、ナツキといっしょに見る」
「じゃあ、外に出ようか」
 姫はテレビを消し、わたしは寝室まで上着をとりに行く。

 外は少し肌寒く、上に一枚羽織るとちょうどよかった。
 そう広くない庭の東南東の角には、一本の欅の木が植わっている。その下に、二人掛けの木製ベンチが置かれている。購入時から庭に備えつけられていた一脚で、いまだに新品同然にきれいだ。座面が濡れても汚れてもいないことを確認してから、姫とともに腰を下ろす。窓ガラスという障壁が取り払われたことで、月に含まれる銀色の成分が主張を強め、神秘的な印象が増した。

「月、きれいだね」
 声をかけたが、返事はない。姫は放心したような顔で満月を仰いでいる。きれいだと思っているのか。珍しいと思っているのか。それとも、ただただ見惚れているのか。表情からは読みとれない。

 月を八割、姫の横顔を二割といった比率で眺めながら、わたしは時間を消費する。わたしと姫は言葉を交わさない。まだ虫が鳴く季節ではないから、世界は生きとし生けるものが死に絶えたかのように静かだ。その静けさが、わたしたちをしたいようにさせてくれる懐の広さが、しみじみと快い。立ち昇る雑草の青い匂いも、尻に感じる座面の冷たさでさえも、ムードを高めるのに一役買ってくれている。

 姫がいなければ、こんな時間帯に、用もないのに屋外に出ることはなかった。剥き出しの夜の中に一定時間身を置いたからこそ、日中と夜間では空気の質感が微妙に違うことに気がつけた。月見を提案した動機は気まぐれだったが、わたしは今、深い意味がある時間を過ごせていると、心から実感している。
 願わくは、姫にとってもそうであってほしい。
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