わたしと姫人形

阿波野治

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三日目 その4

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 自宅から駅までと同じくらいの時間を歩き、目的地に到着した。
 周囲を田畑に囲まれた、広く平坦な土地だ。道路に面して白く巨大なイベント用テントが設置され、側面に大きく文字がつづられている。
『野菜、果物、花の苗売ります 二十三世紀』
 現存する人間が絶対に到達できない世紀を示した部分だけ、鮮やかな赤色の太字で強調されている。

 テントの内部は爽やかな青くささに満たされている。簡易な木製のテーブルの上に、植木鉢やポットに入れられた植物が並び、大きなものは地面に直に置かれている。客は総勢十人ほど。規模のわりには少なく感じられるが、平日の午前中だと考えればこんなものかもしれない。

「じっくり選んでいいよ。電車の時間は気にしなくていいからね」
 姫はうなずき、先陣を切って通路を進む。わたしはそれに続く。

 形、名前、色彩、大きさ――実に多種多様な植物が売られている。事前に買う商品を決めていなければ、地球最後の日が来ても買うものを決められなさそうだ。
 子ども服の店でも、ファミリーレストランでも、姫は選ぶのに迷っていた。最終的にはわたしが決断を下すことになるのだとしても、まずは本人に任せよう。きっとそれが保護者に求められる振る舞いのはずだ。


* * *


 その男性は、最初なんの印象も残らなかった。
 頭髪は薄く、丸眼鏡をかけていて、背は高くも低くもない。どこにでも転がっているような、ありふれた中年男性。
 眼鏡の奥で盛んに動く、なにかを物色するような目も、商品が豊富に取り揃えられたこの場では特異なものではない。だから、初見では特になにも思わなかった。


* * *


 姫は植木鉢の一つに注目している。表面に黄緑色の幾何学模様が刻まれた、薄紫色の、刺のないアロエ、とでも形容するべき姿形の植物だ。
 グロテスクとも神秘的ともつかないその一株を、姫は真剣な眼差しで見つめている。顔の高さや角度を変えて眺めたり。無意識に植物に触ろうとして、はっとして手を引っこめたり。なにが琴線に触れたのかは定かではないが、強く興味を惹かれているようだ。 

「いいものがないか、ちょっと見てくるね」
 選ぶことに集中してもらおうと、ひと声かけてその場から離れる。こちらを向いてうなずいたので、安心して遠ざかっていく。

「ちょっと見てくる」とは言ったが、わたし自身は植物に興味はない。庭に放置された、植木鉢の亀裂が入った乾いた土が、その事実を端的に示している。ハーブを育てたのも、店でたまたま販売されているのを見かけて、気まぐれに挑戦してみただけだ。一口にハーブといっても数多くの品種があるが、かつて育てていた植物の名前を、もはやわたしは答えることができない。

「いいもの」がないかを見てくる。
 もちろん、姫にとっての「いいもの」なのだが、あの子のお気に召す植物を選ぶ自信は、正直言ってない。この店で販売されている商品は多種多様で、しかも膨大だ。購入するならば、野菜の苗や果物の種ではなく、植物の鉢。分かるのはそれくらいのもので。
 甘いものが好きで、嫌いな食べ物はない。口数は多くなく、景色を眺めるのが好き。この三日間で姫について分かったことは、あまりにも少ない。

「……引き返そう」
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