わたしと姫人形

阿波野治

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灰島ナツキ その4

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 母親は美しく、生真面目で、精力的な人だった。一児の母親として、一家の大黒柱を支える妻として、申し分のない働きを見せると同時に、一人の女性としても魅力的だった。家族三人で、または母親と二人で街を歩いていて、同年代の親子とすれ違ったさいなどに、美貌や若々しさやファッションセンスなど、容姿の面で優越感を覚えることも少なくなった。母親の日ごろの言動からは、自らの若さと美しさに気をつかうと同時に、自信を持っているのが窺えた。母親が結婚したのは彼女がちょうど二十歳のときで、わたしを産んだのはその翌年だった。

 たった七年いっしょに暮しただけ、さらには母親の存在感が強かったせいで、父親の印象は薄い。平凡で面白味のない人だったが、よき父親ではあったと思う。なおかつ、夫婦仲は良好に見えた。
 しかし、わたしが小学校に入学した年に、二人は離婚した。父親が職場の同僚の女性と不倫をしたのが原因だったと聞いている。すったもんだの末、父親は家を出て行き、わたしと母親が残った。

 離婚を機に、母親は別人のように変わってしまった。わたしにあれこれ細かく指図するようになったのだ。神経質になった。口うるさくなった。非寛容的になった。束縛するようになった。そういった言い換えも可能だろう。
 家族が三人だったときは、娘に厳しい態度で臨む役回りは、どちらかといえば父親が受け持ってきた。不在になった夫の代わりを務めよう、という考えだったのかもしれない。しかし母親の厳しさには、父親とは明らかに違う点があった。

『もう! ナツキはどうしてそんな簡単なこともできないの! 何回同じことを説明すれば分かるの? もっとちゃんとしなさい!』
 少しでも己の意にそぐわない行動をわたしがとると、烈火のごとく怒るのだ。「遊んだあとは片づける」と約束しているお気に入りのぬいぐるみを、リビングに置き忘れていた。ただそれだけで、頬を紅潮させ、鼻息荒く、握りしめた拳で虚空を何度も殴りつけながら、家の外まで聞こえるような大声でわたしを罵倒するのだ。

 罪の重さのわりに怒りかたが激しすぎると、七歳のわたしも感じていた。ただ、違和感を言語化し、理路整然と抗議するだけの知能はまだなかった。母親が初めて見せる一面への戸惑いもあった。激怒する人間に歯向かうのが怖くもあった。母親が間違ったことをするはずがない、母親の言い分の正しさをわたしが理解できていないだけかもしれない、とも考えた。ようするに、ありとあらゆる意味で異議を唱えるのがためらわれた。だからわたしは、自らの過ちをただちに謝罪し、母親が望むような行動をとるように心がける、という対応に終始した。
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