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わたしと姫人形 前編
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わたしが向かったのは、最寄りのアンドロイド修理センター。
受付で用件を告げると、どこからか白衣に身を包んだ中年男性が現れた。見覚えのない顔だったが、事情は呑みこんでいるらしく、姫のことを「灰島さんのおたくの姫ちゃん」と呼んだ。
事務室じみた狭隘な一室に通された。男性に手術費用を手渡し、同意書にサインをする。手術はただちに行われ、正午過ぎには終了するという。
センターを出たわたしを歓待した滑らかなそよ風に、思わず頬が緩んだ。
真っ直ぐに我が家に帰った。ドアを開けるまでは緊張したが、一晩留守にしても、我が家は主人を温かく出迎えてくれた。
裏庭に出て、植木鉢に水を与える。
パンとコーヒーをブランチとして飲食する。
どんな植物が生えてくるのかをこの目でたしかめられないのは残念だけど、せっかく買った食料を無駄にするのは心苦しいけど――それでも前に進まなければ。
携帯電話でローカルニュースをチェックすると、おとといのニュースの中に「犬祭り。」の記事を見つけた。遊園地でイベントが行われ、トラブルがあって一部の催し物の終了が早まったが、好評のうちに閉幕した。そのような旨がつづられていた。
マジケンは今後も子どもたちのヒーローでありつづけるだろう。
わたしは少しも寂しくはなかった。
* * *
センターからの電話を受けて、自宅を発った。午後一時半過ぎのことだ。
案内板で病室の場所を確認し、階段を上って目的のフロアへ向かう。
病室の戸は開け放たれていた。中を覗きこむと、ベッドの上にいる少女と、その脇に佇む白衣の若い女性が、ともに笑顔で言葉を交わしている。
「姫!」
わたしはベッドに歩み寄る。訪問者に気がついて、少女の顔はいっそう明るくなった。下りようとして、バランスを崩して滑り落ちそうになったところを、女性に受け止められた。彼女の手を借りて今度こそ下り、走り寄ってわたしに抱きつく。
「ナツキ、ひさしぶり! あいたかった!」
「わたしも。元気?」
「うん、げんき! ナツキにあえたから、もっとげんきになった!」
ここまでテンションが高いのは、遊園地のアトラクションで遊んでいるとき以来だろうか。丸一日以上会えない時間を挟んでの変化だけに、不安を覚えなかったと言えば嘘になる。しかし、細かい仕草や表情などは、どの角度から、何度見ても手術前の姫そのもので、ネガティブな感情はすぐに消滅した。
手術に関する簡単な説明があったあと、帰宅を許された。わたしは深く頭を下げ、姫は手を振り、女性と病室に別れを告げる。帰りはエレベーターを使った。
「ぼく、じこにあって気をうしなっていたんだって。さっきのおねえさんがそう言ってた」
箱が降下を開始してすぐ、姫が話しかけてきた。わたしたちの手は固く結び合っている。目的地に到着するまでは止まれない密室の中にいるのだから、離れ離れになる心配は絶対にないのに。
「もちろん知ってるよ。びっくりした?」
「びっくりした! でも、ちゃんと治ったって言ってたから、安心した。治ってよかった!」
「うん、ほんとうだね。姫が元気になって、ほんとうによかった」
「ぼくがねているあいだ、ナツキはなにをしてたの?」
姫の手を握っているのと逆の手で髪の毛を耳にかけ、それから答える。わたしの顔にはきっと、姫には不可解なはにかみ笑いが浮かんでいるに違いない。
「いろいろなことがあったよ。ほんとうに、ほんとうに、いろいろなことが」
受付で用件を告げると、どこからか白衣に身を包んだ中年男性が現れた。見覚えのない顔だったが、事情は呑みこんでいるらしく、姫のことを「灰島さんのおたくの姫ちゃん」と呼んだ。
事務室じみた狭隘な一室に通された。男性に手術費用を手渡し、同意書にサインをする。手術はただちに行われ、正午過ぎには終了するという。
センターを出たわたしを歓待した滑らかなそよ風に、思わず頬が緩んだ。
真っ直ぐに我が家に帰った。ドアを開けるまでは緊張したが、一晩留守にしても、我が家は主人を温かく出迎えてくれた。
裏庭に出て、植木鉢に水を与える。
パンとコーヒーをブランチとして飲食する。
どんな植物が生えてくるのかをこの目でたしかめられないのは残念だけど、せっかく買った食料を無駄にするのは心苦しいけど――それでも前に進まなければ。
携帯電話でローカルニュースをチェックすると、おとといのニュースの中に「犬祭り。」の記事を見つけた。遊園地でイベントが行われ、トラブルがあって一部の催し物の終了が早まったが、好評のうちに閉幕した。そのような旨がつづられていた。
マジケンは今後も子どもたちのヒーローでありつづけるだろう。
わたしは少しも寂しくはなかった。
* * *
センターからの電話を受けて、自宅を発った。午後一時半過ぎのことだ。
案内板で病室の場所を確認し、階段を上って目的のフロアへ向かう。
病室の戸は開け放たれていた。中を覗きこむと、ベッドの上にいる少女と、その脇に佇む白衣の若い女性が、ともに笑顔で言葉を交わしている。
「姫!」
わたしはベッドに歩み寄る。訪問者に気がついて、少女の顔はいっそう明るくなった。下りようとして、バランスを崩して滑り落ちそうになったところを、女性に受け止められた。彼女の手を借りて今度こそ下り、走り寄ってわたしに抱きつく。
「ナツキ、ひさしぶり! あいたかった!」
「わたしも。元気?」
「うん、げんき! ナツキにあえたから、もっとげんきになった!」
ここまでテンションが高いのは、遊園地のアトラクションで遊んでいるとき以来だろうか。丸一日以上会えない時間を挟んでの変化だけに、不安を覚えなかったと言えば嘘になる。しかし、細かい仕草や表情などは、どの角度から、何度見ても手術前の姫そのもので、ネガティブな感情はすぐに消滅した。
手術に関する簡単な説明があったあと、帰宅を許された。わたしは深く頭を下げ、姫は手を振り、女性と病室に別れを告げる。帰りはエレベーターを使った。
「ぼく、じこにあって気をうしなっていたんだって。さっきのおねえさんがそう言ってた」
箱が降下を開始してすぐ、姫が話しかけてきた。わたしたちの手は固く結び合っている。目的地に到着するまでは止まれない密室の中にいるのだから、離れ離れになる心配は絶対にないのに。
「もちろん知ってるよ。びっくりした?」
「びっくりした! でも、ちゃんと治ったって言ってたから、安心した。治ってよかった!」
「うん、ほんとうだね。姫が元気になって、ほんとうによかった」
「ぼくがねているあいだ、ナツキはなにをしてたの?」
姫の手を握っているのと逆の手で髪の毛を耳にかけ、それから答える。わたしの顔にはきっと、姫には不可解なはにかみ笑いが浮かんでいるに違いない。
「いろいろなことがあったよ。ほんとうに、ほんとうに、いろいろなことが」
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