こちらの世界で、がんばる。

阿波野治

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 バスは城址公園の門前を通過し、商店と民家と田畑が混在する地区を安全運転で走行している。
 信号待ちのさい、榊さんはおもむろに石材店を指差し、

「この石材店、私が小さいころからこの場所に店を構えているんだけど、昔はアニメのキャラクターを象った石像を店頭に置いてあったの。ムーミンとゴジラは覚えているけど、あとはなにがあったかな。高さは三十センチくらい。売り物なのかまでは覚えていないけど、部屋に飾るのにちょうどよさそうなクオリティとサイズではあったかな。材質が材質だけに重たいだろうから、気軽に動かせなさそうなのが難点だけど。店の前を通るたびに、『ああ、今日も置いてあるな』って心が和んだんだけど、あれは私が大学生のころだから、もう十年以上前になるのね、予告もなくその石像が撤去されたの。撤去する前やあとに、貼り紙で理由や経緯が告知されることもなく。ムーミンも、ゴジラも、他にも数体、合計で十四・五体あったんだけど、まとめて一緒に。一度に売れたとは考えにくいし、盗難の被害に遭ったという噂を耳にしたことはないから、お店の人の意思で撤去したんでしょうね。なくなっているのを見たとき、私、自分でも驚くくらい強いショックを受けて。店に入ったことはないし、店長さんの顔すら知らないんだけど、思わず店の前で立ち尽くしちゃったくらい。今はSNSの時代だから、そういうものを置いておくと多少なりとも集客に結びつきそうだし、残念だなとは思うんだけど、店が判断したことだものね。でも、石材店って――」

 石像が撤去されたくだりに突入した時点で、バスは既に石材店の前から走り去っていたが、榊さんは窓外に視線を注ぎながら切れ目なく喋っている。お陰で、心置きなく横顔を眺めることができる。
 予定乗車時間は一時間半。それほどの長時間、話に付き合うのはこれが初めてだが、麗しい横顔を眺めながらであればあっという間だという気がする。彼女ほどの饒舌の持ち主であれば、気まずい沈黙が降りる心配はしなくてもいいだろう。

 顔、性格、おしゃべりなところ。榊さんの全てが、俺には好もしく、心地よく感じられる。結婚相手に選んだ妻でさえ、寝食を共にする以前から、ちょっと嫌だな、と眉をひそめてしまう部分、鼻につく点、生涯のパートナーにするにあたっての懸念材料はいくつもあった。しかし、榊さんにはそれがない。全くない。

 同じ屋根の下で暮らせば、見て見ぬふりをしたとしても、相手の悪い部分が自ずと露呈する。それは妻との結婚生活で経験済みだ。
 そう理解してはいるが、今視界に映る女性は、最高級に魅力的で、欠点なんてなに一つ持ち合わせていないように見える。輝いている。この人をものにできたなら、将来の幸福は保障されたも同然だ。そんな気さえする。

 妻帯者のくせに、なに早まったことを考えているんだ。結婚するばかりが異性との付き合い方じゃないだろう。
 己に対する突っ込みはいくつかある。気分が高揚しているせいで、冷静さを欠いている自覚もある。
 それでも、榊さんは俺にとって文句なしに魅力的な異性だ、という評価は揺るぎそうにない。
 そして、榊さんと一緒に過ごす時間を、心から楽しいと感じている。これも確かだ。

 バスは右折して県道に入った。真っ直ぐに進めば橋があり、それを過ぎれば三分の一、というところか。長いと感じる者もいるだろうし、短いと感じる者もいるだろう。今という時間を楽しいと感じている俺は、後者だ。
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