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「ああ、そうそう。もう一つ汐莉に相談なんだけど」
笑い声が収束したタイミングで、立て膝から胡坐をかく姿勢に移行する。
「榊さんが俺に言っていたよね、仲よくしてほしいって。あれ、どう返事をしたらいいかな?」
「オッケーすれば」
即答だった。まるで、そう訊かれたらこう答えると事前に決めていたかのように。
「榊さんと友達になっちゃいなよ。その方が絶対にいいよ。親しい人が一人でも多い方が楽しいもん」
「いや、でも、そうしたら汐莉が嫌なんじゃないか。時間をいちいち巻き戻されるのは俺だって……」
「龍くんの説によると、会話時間が少ないといけないことをしちゃうんでしょ? 今日からはいっぱい、いっぱいお話するから、その心配はないよね。それなら、わたしが駄目だって言う理由はないよ。地上の果てまで探しに行っても見つからない」
「……そっか。そうだよな。汐莉の言う通りだ」
「結婚して以来、龍くんが他の女の人と遊びに行くのが初めてだったっていうのもあるけど、ちょっと神経質になりすぎていたって反省してる。だから、これからはそんなに気をつかわなくてもいいよ。週に一回、日帰りで遊びに行くくらいなら全然オッケーだし。あ、でも、わたしのことを蔑ろにしないのが前提ね」
「もちろん。言われるまでもないよ」
「ちょっと残念なのは――」
俺はてっきり、榊さんの体に故意に触れた件に言及してくるのかと思った。普通の女ならば当然そうするから、というのがその理由だったのだが、予想は外れた。
「榊さんが、龍くんに対してだけ仲よくなろうって言ったことかな。龍くんの奥さんなのに、仲間外れって……。残念を通り越して、ショックかも」
「ああ、それなら違うぞ。榊さんに汐莉を排除する意図はない」
聞こえてきたのは、心の底から困惑しているような「えっ」という声。
「俺もそこが引っかかったんだよ。榊さんらしくないドライな発言だな、と思って。だから、どういうことなのかなって考えてみたんだけど」
「うん」
「榊さんは、汐莉のことを既に友達と認識しているんだよ。だから、わざわざ仲よくなる努力をする必要がない。そういうことだから、汐莉はなにも心配するな」
間が生じた。不安になる長さだったが、やがて聞こえてきた声は、汐莉らしい陰のない明るさに包まれていた。
「そっか。そうだったんだね。嫌われているのかと思ったけど、逆だったんだね。そっか、そっか。そこに気づくとは、さすがは龍くん」
「まあな」
「わたしがこっちの世界に来てからはご無沙汰していたけど、またお話したいな。わたしの声、龍くん以外の人にも聞こえてるよね?」
「ああ。お前がかけてきたあとの榊さんの反応を見た限り、そんな感じだったな。多分だけど、パートナーがあちらの世界に行った人間は、パートナー以外のあちらの世界の住人の声も聞けるんじゃないかな」
「ああ、なるほど。そういうことなら、一気に楽しみが増えたねー」
「そうだな」
そう、一気に。俺が「もっと話さないか」と汐莉に提案したのを機に、あらゆるものがよい方向に向かい始めた。
やはり、人は話すべきだ。嫌いな人間同士だってそうだし、好きな人間同士なら、なおさら。
「で、龍くんはこれからどうするの?」
「とりあえず、バスを待とうかな。美術館からこっち方面に来るバス。榊さんが乗っているバスになんとか乗って、車内で話をしようかな、と」
「なんで? 龍くんが美術館へ行けばいいのに」
「いや、一緒には行きませんって言ったから。約束を即行で破ったら、気持ち悪いだろ。どう考えても気持ち悪い」
「そうかな? わたしは嬉しいけどなー、追いかけてきてくれたら」
「榊さん相手にこれ以上、誤解を招くような真似はできないよ。太ももをしつこく触った時点でツーアウトっていうか」
「榊さんと仲よくするのはいいけど、今後そういうのは禁止ね」
「分かってるよ。心配するな」
腰を上げて移動を開始する。バス停まではすぐだ。標識で発着時刻を確認する。
笑い声が収束したタイミングで、立て膝から胡坐をかく姿勢に移行する。
「榊さんが俺に言っていたよね、仲よくしてほしいって。あれ、どう返事をしたらいいかな?」
「オッケーすれば」
即答だった。まるで、そう訊かれたらこう答えると事前に決めていたかのように。
「榊さんと友達になっちゃいなよ。その方が絶対にいいよ。親しい人が一人でも多い方が楽しいもん」
「いや、でも、そうしたら汐莉が嫌なんじゃないか。時間をいちいち巻き戻されるのは俺だって……」
「龍くんの説によると、会話時間が少ないといけないことをしちゃうんでしょ? 今日からはいっぱい、いっぱいお話するから、その心配はないよね。それなら、わたしが駄目だって言う理由はないよ。地上の果てまで探しに行っても見つからない」
「……そっか。そうだよな。汐莉の言う通りだ」
「結婚して以来、龍くんが他の女の人と遊びに行くのが初めてだったっていうのもあるけど、ちょっと神経質になりすぎていたって反省してる。だから、これからはそんなに気をつかわなくてもいいよ。週に一回、日帰りで遊びに行くくらいなら全然オッケーだし。あ、でも、わたしのことを蔑ろにしないのが前提ね」
「もちろん。言われるまでもないよ」
「ちょっと残念なのは――」
俺はてっきり、榊さんの体に故意に触れた件に言及してくるのかと思った。普通の女ならば当然そうするから、というのがその理由だったのだが、予想は外れた。
「榊さんが、龍くんに対してだけ仲よくなろうって言ったことかな。龍くんの奥さんなのに、仲間外れって……。残念を通り越して、ショックかも」
「ああ、それなら違うぞ。榊さんに汐莉を排除する意図はない」
聞こえてきたのは、心の底から困惑しているような「えっ」という声。
「俺もそこが引っかかったんだよ。榊さんらしくないドライな発言だな、と思って。だから、どういうことなのかなって考えてみたんだけど」
「うん」
「榊さんは、汐莉のことを既に友達と認識しているんだよ。だから、わざわざ仲よくなる努力をする必要がない。そういうことだから、汐莉はなにも心配するな」
間が生じた。不安になる長さだったが、やがて聞こえてきた声は、汐莉らしい陰のない明るさに包まれていた。
「そっか。そうだったんだね。嫌われているのかと思ったけど、逆だったんだね。そっか、そっか。そこに気づくとは、さすがは龍くん」
「まあな」
「わたしがこっちの世界に来てからはご無沙汰していたけど、またお話したいな。わたしの声、龍くん以外の人にも聞こえてるよね?」
「ああ。お前がかけてきたあとの榊さんの反応を見た限り、そんな感じだったな。多分だけど、パートナーがあちらの世界に行った人間は、パートナー以外のあちらの世界の住人の声も聞けるんじゃないかな」
「ああ、なるほど。そういうことなら、一気に楽しみが増えたねー」
「そうだな」
そう、一気に。俺が「もっと話さないか」と汐莉に提案したのを機に、あらゆるものがよい方向に向かい始めた。
やはり、人は話すべきだ。嫌いな人間同士だってそうだし、好きな人間同士なら、なおさら。
「で、龍くんはこれからどうするの?」
「とりあえず、バスを待とうかな。美術館からこっち方面に来るバス。榊さんが乗っているバスになんとか乗って、車内で話をしようかな、と」
「なんで? 龍くんが美術館へ行けばいいのに」
「いや、一緒には行きませんって言ったから。約束を即行で破ったら、気持ち悪いだろ。どう考えても気持ち悪い」
「そうかな? わたしは嬉しいけどなー、追いかけてきてくれたら」
「榊さん相手にこれ以上、誤解を招くような真似はできないよ。太ももをしつこく触った時点でツーアウトっていうか」
「榊さんと仲よくするのはいいけど、今後そういうのは禁止ね」
「分かってるよ。心配するな」
腰を上げて移動を開始する。バス停まではすぐだ。標識で発着時刻を確認する。
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