すばらしい新世界

阿波野治

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 幹の表面のありとあらゆる箇所から、原寸大の人間の顔が瘤のように隆起している。同じ顔は一つとしてない。イナはその全てに見覚えがあった。

 先ほどの中年男性の声の主は、小学二年生のとき、家族と出かけた駅ビル構内で尻を触ってきた、禿頭の男。

 他には――今年の新学期早々、「そんな生活態度では、社会に出たときに通用しないぞ」と説教をしてきた、学年主任の初老の男性教師。

 イナの姿を見るたびに露骨に眉をひそめ、近所の人間といっしょにいるときはその者たちとひそひそ話を交わす、恰幅のいい中年の主婦。

 イナが小学五年生のときに、在日コリアンを差別する言葉を連呼してイナを侮蔑した、そばかすだらけの六年生の男子児童。

 鉄工所の敷地内で遊んでいるイナを発見し、「ろくでもない親からしか、ろくでもない子どもは生まれない」と冷ややかに呆れてみせた、白髪混じりの男性警備員。

 小学四年生のときに、イナの机に落書きをし、私物をゴミ箱に捨てる嫌がらせをくり返した、カースト最上位グループに属する女子児童たち。

 一人で通りを歩いているさなかに、近くを歩いていた老婆が路面の段差につまずいて転んだとき、老婆を助け起こそうとしなかったことを非難するだけにとどまらず、イナが悪意から転ばせたのだと決めつけた、個人経営のコロッケ屋の男性店主。

 全て、イナの心を不当に傷つけた者たちだ。

「尹イナ。君はこの世界にまったく不要な、存在価値のない人間だ」

 野太い声がきっぱりと言い切った。小学四年生のときだったのか、五年生のときだったのか。なにか癪に障ることがあってむしゃくしゃしていて、歩道に植えられた花を傘で散らしながら歩いていたイナを、街の最果てまで聞こえそうな大声で叱りつけた、パンチパーマの四十歳前後の男性だ。

「消えろとは言わないわ。子どもじゃあるまいし、気に入らないものは壊して解決とはいかないの。それが社会であり、秩序というものだから」

 今度の発言者は、まだ若い女性の養護教諭。保健室に来た児童とは誰とでも仲睦まじくしゃべる人なのに、イナに対してだけはそっけなかった。おそらくは、イナから攻撃を受けた経験を持つ児童が、保健室を利用したさいに教諭に被害を訴えたことで、ユン・イナという人間にネガティブなイメージを持っていたがために。

「ですが、罰は受けてもらいますよ。あなたは罪を犯したのだから、しっかりと罰を受けてもらいます。それが社会であり、秩序というものですからね」

 慇懃無礼とでもいうべき口調で述べたのは、持病の悪化が原因で息子夫婦のもとに引っ越していったが、かつてはイナの自宅の近所に住んでいた、長身痩躯の老紳士。たまに顔を見る程度、挨拶の言葉をかけられたこともなかったが、ある日たまたま老紳士の自宅前を通りかかったさいに、たまたま門前の掃き掃除をしていた彼から、最低限の柔和さを保ちながらも厳しさを隠さない顔でこう告げられた。

『小学四年生だか五年生だか知らないけど、人が大切にしているものを傷つける悪戯は、そろそろやめるべき年ごろだと思うね、わたしは』

 紳士のイメージからはかけ離れた、ねちっこく、嫌味ったらしい言いかただった。
 何者かの悪意にもとづく行為か、それとも野良猫の仕業か。老紳士が庭先に飾っていた盆栽が数鉢、置き場から落下し、植木鉢も植物も台無しになってしまった。そんな話を、嫌味を言われた翌日、イナは夕食の席で母親が語るのを聞いた。

 これまでにイナを不愉快にさせてきた人間たちが、見るもおぞましい怪物となって、今、イナに襲いかかろうとしているのだ。
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