記憶士

阿波野治

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 星羅はわたしのお母さんについて尋ねるのではなく、母親と休日に駅前までショッピングに行った話をした。雑貨屋の店員に姉妹と勘違いされて、母親はそれを嬉しそうにしていたが、星羅は単なるお世辞だと思っていること。レストランで食べすぎたこと。帰りのバスに乗り遅れ、次の便が来るまでの暇つぶしに店を冷やかしていたら、その便も逃してしまったこと。
 自らの母のそそっかしさに、星羅は一貫してネガティブな評価を下していたが、心から嫌気が差しているふうではない。仲のよさがしっかりと伝わってきて、ついつい口元が緩んでしまう。

 赤信号に二人の足が止まる。ちょうど話題が一段落したところだったため、会話も止まった。朝の澄んだ静けさの中、心の隙を衝くように、一つの懸念が胸に忍び込んできた。
 それは、星羅の事件と彼女の母親との関係について。

 前回同じ問題について考えたときは、彼女の母親は事件のことを知らないのでは、と予想した。星羅の性格がその根拠だ。母親の話題を出したときの反応を見る限り、予想は当たっていたらしい。
 しかし、恒久的にそうであり続けるのかと問われると、首を縦には振れない。なんらかのきっかけ事件のことが耳に入る場合も、今後あるはずだ。具体的な状況を想像するのは難しいが、可能性としてはゼロではない。

 知ったとしたら、星羅の母親はどんな反応を見せるだろう?
 わたしが星羅の友人だと知る前の、わたしを見据える険しい表情を思えば、加害者に対して烈火のごとく怒りそうな気がする。わたしが星羅の友人だと知ったあとの笑顔を思えば、娘に感情移入して滂沱と涙を流しそうな気がする。
 どちらにせよ、休日にいっしょにショッピングに出かけるほど仲睦まじい娘が穢されたのだから、激しいショックを受けるのは間違いない。何事もなかったように今までどおりの日常が続く、とはいかないだろう。二人の関係は少なからずぎくしゃくするはずだ。

 あまりにも恐ろしい想像だった。
 なおのこと恐ろしいのは、その想像が現実になる可能性は決して低くない、ということだろう。

 ……なぜなのだろう。
 その未来を回避するためにも、屈しないためにも、絶対に星羅の記憶を取り出そう――という方向に気持ちが向かわないのは。

「ねえ、秋奈」

 信号が青に変わって歩き出した直後、星羅が沈黙を破った。そのタイミングでの発言は充分に予測していたので、星羅に目撃される寸前に、なんとか暗い表情を消し去ることができた――と思う。

「秋奈のお母さん、凄腕の記憶士だったって言っていたよね。だけど、病気だとも言っていた」
「そうだよ。どうしたの」
「それってつまり、お母さんの力は借りれない、ということだよね」
「うん。星羅のために無理をしてもらって、と言いたいところだけど、病気のせいで記憶士の力を使えなくなっちゃったから」

 沈黙が下りる。予想していた以上の重苦しさだ。わたしが努めて快活な声を発したのは、それに晒される時間が長引くのが嫌だったからに他ならない。

「わたし、頑張るから。記憶を取り出すの、絶対に成功させるから」
「……うん。期待している」
 星羅は短く答え、話頭を転じた。

 悔しいし、情けないが、それが全てだった。
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