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まずわたしが出て、お母さんが湯船から出るのを助ける。風呂椅子に座らせ、石鹸をたっぷりと含ませて泡立てたタオルで裸体をこする。お母さんの方から「体を洗ってあげようか」と提案することもあるが、手にあまり力がこもらず、悪戯にくすぐったいだけなので、苦手だ。今日はなにも言わなかったので、介護者としての役割に徹する。
ベッドの上で大半の時間を過ごす生活を送るようになってから、お母さんはかなり痩せた。着衣していてもその細さは一目瞭然だが、脱衣するとその特徴が一層強調される。肋骨はくっきりと浮き出ているし、四肢は折れそうなほど細い。乳房はしぼんではいないが、張りが失われていて瑞々しさが感じられず、貧弱な体つきとの対比で酷く重たげだ。
記憶士として活動していたころのお母さんは、若々しくて精力に満ち溢れていた。肉体を鍛えるための特別なトレーニングは積んでいなかったが、引き締まった体つきをしていた。同性のわたしから見ても魅惑的な肢体の持ち主だった。授業参観のさいに教室に姿を見せる、年齢よりも若く見える美しいお母さんを、わたしは密かに誇りに思っていた。逆上がりができない娘に手本を示すべく、いとも容易く体を一回転させてみせた姿は、今も色褪せずに記憶に残っている。
当時を思うと、現在のお母さんの裸体は、憐憫と哀愁を催す装置でしかない。
もう、あのころのお母さんではないのだ。そう実感を強いられるいくつかのシチュエーションの中で、裸を見たときほど胸が切なくなるものはない。
食べ物をシーツにこぼしても、支離滅裂なことを口走っても、今日は体調が悪いのだ、朝が早いから寝ぼけているのだ、といった、なんらかの言い訳が用意できる。しかし、肉体の場合はそれができない。痩せ細ったその体は、真実そのものだ。
お母さんは放心したような顔つきで、うっすらと曇った鏡に映る自分と見つめ合っている。鏡越しに目が合うのを恐れるかのように、わたしは俯く。わたしを生み、育ててくれた人の体を黙々と洗う。
お母さんの前でお兄ちゃんのことを悪く言うのは控えるようにしよう、とわたしは心に決める。
お母さんは別に、贔屓と呼ぶほどあからさまに差をつけて兄妹を扱っているわけではない。息子も娘も、どちらも愛していて、甲乙をつけるとなった場合に、僅かながらも夏也が上回る。ただそれだけの話なのだから。
自分が今のような身の上になっても、子どもたちに対する優しさを、思いやりを、慈悲深さを失わずに、温かな光で照らしてくれる。それだけで充分だ。
黒い渦はいつしか回転を停止している。わたしたちが入浴を終えるころには跡形もなく消滅しているだろう。
わたしが不満をぶつけるべき相手は、お母さんではない。
わたしとお兄ちゃんは、いつか絶対に話し合う必要がある。
ベッドの上で大半の時間を過ごす生活を送るようになってから、お母さんはかなり痩せた。着衣していてもその細さは一目瞭然だが、脱衣するとその特徴が一層強調される。肋骨はくっきりと浮き出ているし、四肢は折れそうなほど細い。乳房はしぼんではいないが、張りが失われていて瑞々しさが感じられず、貧弱な体つきとの対比で酷く重たげだ。
記憶士として活動していたころのお母さんは、若々しくて精力に満ち溢れていた。肉体を鍛えるための特別なトレーニングは積んでいなかったが、引き締まった体つきをしていた。同性のわたしから見ても魅惑的な肢体の持ち主だった。授業参観のさいに教室に姿を見せる、年齢よりも若く見える美しいお母さんを、わたしは密かに誇りに思っていた。逆上がりができない娘に手本を示すべく、いとも容易く体を一回転させてみせた姿は、今も色褪せずに記憶に残っている。
当時を思うと、現在のお母さんの裸体は、憐憫と哀愁を催す装置でしかない。
もう、あのころのお母さんではないのだ。そう実感を強いられるいくつかのシチュエーションの中で、裸を見たときほど胸が切なくなるものはない。
食べ物をシーツにこぼしても、支離滅裂なことを口走っても、今日は体調が悪いのだ、朝が早いから寝ぼけているのだ、といった、なんらかの言い訳が用意できる。しかし、肉体の場合はそれができない。痩せ細ったその体は、真実そのものだ。
お母さんは放心したような顔つきで、うっすらと曇った鏡に映る自分と見つめ合っている。鏡越しに目が合うのを恐れるかのように、わたしは俯く。わたしを生み、育ててくれた人の体を黙々と洗う。
お母さんの前でお兄ちゃんのことを悪く言うのは控えるようにしよう、とわたしは心に決める。
お母さんは別に、贔屓と呼ぶほどあからさまに差をつけて兄妹を扱っているわけではない。息子も娘も、どちらも愛していて、甲乙をつけるとなった場合に、僅かながらも夏也が上回る。ただそれだけの話なのだから。
自分が今のような身の上になっても、子どもたちに対する優しさを、思いやりを、慈悲深さを失わずに、温かな光で照らしてくれる。それだけで充分だ。
黒い渦はいつしか回転を停止している。わたしたちが入浴を終えるころには跡形もなく消滅しているだろう。
わたしが不満をぶつけるべき相手は、お母さんではない。
わたしとお兄ちゃんは、いつか絶対に話し合う必要がある。
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