切言屋

阿波野治

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美咲の想い①

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 父親の草太朗がわざわざ二階まで迎えに来て、二言三言やりとりを交わし、二人は階段を下りていった。

 遠くなっていく二つの足音を、美咲は自室のドアの内側に貼りついて聞いていた。一時間廊下に居座ったのどかがいなくなったことで、ベッドの上から移動するだけの心のゆとりが生まれていた。
 ワンフロア分の階段の長さなんて高が知れているのに、親子の足音は永遠に消えないかと思った。リビングに消えるまでの三十秒足らずが途方もなく長く感じられた。

 のどかがいたときは、ドアの隙間から挿し込まれた紙を受けとるために、室内を移動することさえも怖かった。こちらの動きに反応してなにか言ってくるのではないかと思うと、体を一ミリも動かせなかった。
 それでもなんとかメモを手にとり、最初から最後まで読んだ。内容を完璧に頭に入れたかったから、子ども騙しではない難易度の間違い探しの間違いを探す速度で。
 衝撃は決して小さくなかった。なにせ、美咲を部屋から引きずり出し、学校へ行かせ、しゃべらせるために来たはずの少女が、「こちらから積極的に動くつもりはない」と堂々と宣言していたのだから。

 説得の模様について母親に報告していたのだろう、三人はリビングで話をしているらしかったが、武元親子は十分足らずで吉村家を去った。
 玄関ドアが閉まる音を聞いて、さらにはその後の静寂を三十秒ほど聞いて、美咲は極度の緊張状態からようやく解放された。再びベッドに仰向けになり、じっくりと文章を読み返した。

 家の中まで招き入れられるような客が吉村家を訪れることはめったにない。だから母親が、武元親子をリビングまで招き入れた時点で、妙だなとは思っていた。不登校でひきこもりの自分になんらかの働きかけを行う人間なのでは、と猜疑した。
 しかし、いくら耳をそばだてても、異なるフロアでの会話の詳細まではさすがに把握できない。

 必要最小限のメッセージしか伝えない美咲に歩調を合わせるように、母親が娘に伝える情報も必要最小限だ。
 今回の来客についても、情報は当日の朝になって初めて知らされた。美咲はひきこもりであることのデメリットを痛感するとともに、疎外感を抱き、自らに待ち受けている未来に対する不安感を高めた。 

 美咲は昔テレビで、ひきこもりの青少年を社会復帰させる活動が取り上げられたドキュメンタリー番組を観たことがある。
 難しい仕事に臨んだのは、暴力団の下っ端とホストの中間のような風貌の三十過ぎの男性。男性はひきこもりの青年の両親にはていねいな口をきき、青年には腹の底から出したような叱責の言葉を要所要所で容赦なくぶつけた。

 嫌だな、と美咲は思った。
 男性が相手の立場によって態度を変えるのも、ひきこもりの青年に威圧的な言葉を吐くのも、男性のやり口を肯定的に捉えているらしい両親や番組構成も、なにもかもが。

 詳細なやりとりや流れまでは記憶していないが、青年はけっきょく、男性が運営する施設で暮らすことが決まり、番組は終わった。めでたし、めでたし、という雰囲気での終幕だった。
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