切言屋

阿波野治

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美咲の葛藤①

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 美咲は自室にひきこもって以来、極力音を立てないように気をつけて暮らしてきた。
 風呂やトイレのために一時的に部屋を出るときはもちろん、室内で過ごしているときでさえも。YouTubeで三次元や二次元の配信者の配信を試聴するのも、好きな声優がパーソナリティを務めるインターネットラジオを聴くのも、アプリで音楽を聴く習慣さえもやめてしまった。

 部屋の外から、美咲の現状を非難する声が聞こえてくる心配はない。非難されているように聞こえたとしても、聞き間違い。
 そう頭では分かっていても、怖かった。無性に、無闇に、怖かった。外界からの音声にすっかり過敏になっていた。

 今、世界は夜。美咲の耳に入ってくる音声はいっさいない。

 自身がひきこもる以前に美咲が抱いていたひきこもりのイメージは、不規則で自堕落な生活。もう少し詳しくいえば、昼夜逆転、食生活の乱れ、不衛生。
 実際にひきこもりになってみると、想像していたほど生活は変わらなかった。変わったのは事実だが、変化の角度は百八十度よりもずいぶん小さかった。

 入浴の頻度は減ったが、その分念入りに体を洗うようにしているので、最低限の清潔感は維持できている。
 もともときれい好きなほう、暇つぶしも兼ねてこまめに掃除と片づけているので、部屋の中はひきこもる前よりもきれいになったくらいだ。
 食事は、栄養バランスを考えた献立を母親が毎日三回運んでくれる。
 肉体的な活動が大幅に減って運動不足になったが、その分食べる量も減ったのでプラスマイナスはほぼゼロだ。

 唯一の危機は、昼夜逆転。
 登校する必要がなくなったうえに、美咲は静かな環境が好きだ。肉体的な活動が激減したことで、一日の終わりが来ても体が疲れていないのも大きい。
 就寝時間はずるずると遅い時間、遅い時間へとスライドしていったが、深夜二時で歯止めがかかった。美咲の生真面目な気質が待ったをかけたのだ。
 就寝時間も起床時間も、ひきこもる以前よりもいくらか遅くなったが、夜に寝て朝に起床するというライフスタイルは維持されている。それが美咲の現状だ。

 今は深夜零時が過ぎたばかり。両親は眠りに就いたが、美咲にとっての就寝時間はもう少し先。
 美咲はいつもこの時間帯、静謐さの中で、もっぱら考えごとをしながら過ごす。

 今宵彼女が考えるのは、昨日から引き続き武元のどかのこと。

 のどかは、母親以外で初めて筆談を交わした人間だ。
 今の生活が始まって以来、あんなにも長く、濃密にコミュニケーションをとったことなど、母親相手ですらなかった。
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