切言屋

阿波野治

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説得の時間①

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「少しのあいだ泣かせて」という美咲の訴えには、不純物が含まれていないと感じた。思惑もなにもない、ただ素直に欲求を表明したものだと。

 尊重しない理由はない。つらい仕事を果たした美咲の労を、欲求を尊重することで、労ってあげたい。

 ただ、仕事はまだ残っている。

 待ち時間を、計画をもう一度見直す作業に宛てることで有効活用し、ひと段落したのを見計らって始動する。

 説得の時間だ。


* * *
 

「美咲ちゃん」

 のどかが座る椅子の斜め後方に置かれた椅子から腰を上げながら、草太朗は少女の名を呼んだ。
 洟をすする音がやみ、場が静寂に包まれていたところを狙い澄まして、明瞭な発音を心がけえ呼びかけたから、音量以上に存在感があるひと声になったはずだ。床に正座し、ドアに相対していた美咲が、声を聞いた瞬間、双眸を見開き、上体を軽くのけぞらせたのが目に見えるようだ。

 草太朗は美咲の自室のドアの間際まで歩み寄り、胡坐をかく。歩くときは床板を鳴らさないように、座るさいは衣擦れの音を立てないように、それぞれ心がけた。

「はじめまして、切言屋の武元草太朗です。娘ののどかから名前くらいは聞いているかな? 今日は、美咲ちゃん、君を最後の説得に来たよ。残り時間内――あと半時間のうちに片づけるつもりだから、どうぞよろしく」

 返事はない。
 やりにくいな、と思う。「騙すような真似をして、ずるい」と感情的に糾弾してくれたほうが、よっぽど楽だ。ただ、まず間違いなくこうなるだろうと予想していた展開なので、戸惑うことも慌てることもない。

「盗み聞きする形になって、ごめんね。僕が説得の場にいると最初から教えてしまうと、美咲ちゃんが話をしてくれなくなると思ったから、卑怯だとは思ったけどこういう形をとらせてもらったよ。不信感を与えてしまったのなら、謝るよ。お詫びに、というのも変だけど、二つ、美咲ちゃんの気が楽になる情報を持ってきたから、聞いてほしい」

 草太朗はここで言葉を切って間を置く。盗み聞きに対して、説得が続行不可能になるほどの心の乱れが美咲を襲っていないかを確認すること。美咲が状況を把握するための時間を与えること。二つの目的からの対応だ。

 ドア越しに、しかもしゃべらない相手の心理状態を推し量るのは難しい。ならばせめて音声情報を得ようと耳を欹てているのだが、物音はいっさい聞こえてこない。盗み聞きを打ち明けたときも、よい情報が二つあると伝えたときも、衣擦れの音一つしなかった。
 美咲は少なからず動揺しているはずだ。ただ、取り乱してはいない。彼女なりに精いっぱい、話を聞く態勢を維持しようとしているのだろう。

 美咲ちゃんは自分ができることをしている。だったら、僕も自分ができることをやろう。そう気持ちを引きしめた。
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