グッバイ童貞

阿波野治

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むかつくやつを殺すために

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 言葉少なに、誰とも会わないまま、俺たちは雑木林を抜けた。
 遮るものが何一つない太陽の下に出た直後、三花のワイシャツが血で汚れていることに気がついた。三花が全身に大量の血を浴びている事実は把握していたが、サイレンの音を耳にしたことで、「早急に現場から遠ざからなければならない」という意識に追い立てられ、その事実を失念していたのだ。

「この恰好でうろつくのは流石に無理ね。見咎められたら絶対に言い逃れできない」
「困ったな。……どうしよう」

 簡単な協議の結果、俺が近くの店まで必要なものを買いに行き、その間、三花は公衆トイレの中で待機することになった。

 公園を出て、賑わっている方角に向かって歩くと、五分ほどでスーパーマーケットを見つけた。
 白色のワイシャツを一着、冷たい飲み物を二つ購入する。服に血が付着しているのは三花だけで、俺は人前に出てもいいように、公衆トイレの鏡を見ながら、頭髪や服にこびりついた土や落ち葉などを入念に払い落としている。それにもかかわらず、レジの小太りの男性店員に不審がられている気がして、心が落ち着かなかった。

 購入物を差し出すと、三花はまずスポーツドリンクで喉を潤し、それから血塗れのワイシャツを脱いだ。露わになった胸の傷が痛々しい。

「ほら、見て。友也が消毒してくれたお陰でもう傷口が塞がってる。せっかくだから違うところも舐めてみる?」
「アホなことが言えるなら心配はないな。服、さっさと着ろよ」
「なに恥ずかしがってるの? 誰も見ている人なんていないのに。うりゃうりゃー」

 両手で胸を寄せて谷間を作り、体を寄せてきたので、肩を突いて遠ざける。三花はわざとらしく唇を尖らせた。

「友也ってば、冷たい」
「お前がアホなことをするからだろ」
「服、友也が着せてよ。傷が痛くて自力じゃ着られない」
「胸の傷だからそこまで影響は――ま、いっか」

 少し動くたびに揺らぐ二つの膨らみを眺めながら、ワイシャツの袖に腕を通させる。ボタンをかけようとすると、待ったがかかった。

「前じゃなくて後ろからやって。抱き締めるみたいな感じで」
「注文が多いなぁ」
「甘えてるの。かわいいじゃない」
「自分で言うなよ。……まあ、いいけど」

 言われた通りにする。怪我人だからというのもあるが、俺も甘い。
 トイレから出て、すぐ近くに設置されている木製のベンチに並んで腰を下ろす。ペットボトルを空にし、地面に投げ捨てる。容器内に微かに残った甘い液体は、蟻にとっては喜ばしい御馳走となるだろう。御馳走にありつく蟻は、もしかすると、アリッサの肌を這っていた蟻と同じ巣に所属する個体かもしれない。

「さて、始末するべき人間は始末したし、いよいよお姉ちゃんと対決ね。まずは二葉から」
「居場所は分かっているの?」
「電話で呼び出すつもり。一樹も二葉も大抵家にいるんだけど、前にも言ったように、二人同時に相手をするのはしんどいからね」

 スカートのポケットからスマートフォンを取り出し、笑っているともいないともつかない、中途半端な表情を俺に向ける。

「殺したいほど憎み合っているのに、互いに相手の電話番号を知っているっていうのも、考えてみればおかしな話だけど」
「会うのを拒まれる可能性もあるんじゃないか? 三花が殺意を抱いていることは向こうも知っているわけだから」
「でも、恐らく会うことになると思う。向こうだってあたしを殺したいと思っているわけだし」

 ディスプレイを軽やかにタップし、二葉の番号にかける。四回のコールで電話が繋がった。

「あー、もしもし。二葉お姉ちゃん? あたしだよ、あたし。三花だよ。久しぶりだけど、元気だった?」

 殺意を抱く相手と話しているとは思えないフレンドリーな口振りに、却って緊張してしまった。二葉からの返事はない。緊張感が一層高まる。

「なに黙ってるの? しばらく会わない間に聴覚障害でも患った?」
「羽鳥と板垣は?」

 ボリュームに乏しい、それでいて発音が明瞭な、抑揚のない声。軽く鳥肌が立った。

「三花に会いに行ったと思うんだけど、二人はどうしたの?」
「会ったよ。攻撃してきたから、二人とも殺した。それがどうかした?」

 また沈黙。三花は溜息をつく。

「話が進まないから、いちいち黙らないで、言いたいことがあるなら言ってくれない? それとも、直接会った方が話しやすいかな。だったら、今日会おうよ。できれば早い時間の方が都合いいんだけど」
「そうね。その方がいいかもしれない。今は十一時前だから――」
「時間帯的にちょうどいいし、昼ご飯を食べながら話そうよ。お店、どこでもいいから予約しといてくれないかな」
「それじゃあ、D町にある『メリー』はどうかしら?」
「うん、そこでいいよ。あ、言うのが遅れたけど、友達を一人連れて行くから。別にいいよね?」

 三度目の沈黙。今度生じた間は長い。こちらから破らない限り永遠に続くような気さえする。痺れを切らした三花が唇を開こうとした瞬間、二葉は答えた。

「構わないわ。三人で予約を入れておくから」
「あ、オッケーなんだ。ありがとう」
「予約時間はどうする? 三花は今どこにいるの?」
「秘密だけど、D町なら昼の一時までには着くと思うから、その時間でよろしく」
「分かったわ。それじゃあ――」
「あ、ちょっと待って。一応訊くけど、一樹お姉ちゃんは来ないの? そうしたら二対二でちょうどいいのに」
「姉さんが家の外に出るわけがないでしょう」

 即座に冷ややかな声が返され、通話が切られた。わけがない。その五文字は、俺の心に不穏な余韻を残した。

「とまあ、こんな感じの人なの。あたしの下のお姉ちゃんは」

 苦笑をこぼし、スマートフォンをポケットに仕舞う。ベンチから立ち上がった時には、真剣な顔つきに様変わりしている。

「むかつくけど、会いに行こう。殺すために、むかつくやつの顔を見に行こう」
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