29 / 77
少女が行きたい場所
しおりを挟む
尻が冷たい。草木の匂いがする。辺りは薄暗く、樹がたくさん生えている。森、山、林……。どう呼ぶのが適切なのかは分からないが、便宜的に雑木林としておこう。自室のベッドで寝ていたはずが、いつの間にか雑木林の只中、濡れた落ち葉の上にわたしは座り込んでいた。
ひとまず立ち上がり、尻に付着した落ち葉を手で払いながら周囲を見回す。有刺鉄線が張り巡らされていて、看板が立っている。歩み寄り、綴られていた文言を音読する。
「この中に立ち入るべからず……」
「この中」とは、現在わたしがいる領域を指しているのか。それとも、有刺鉄線の向こう側のことなのか。看板の支柱は有刺鉄線の支柱の役目も兼任している――要するに二つの領域に属しているので、判断がつかない。
わたしは故意にこの空間に立ち入ったわけではない。現在いる場所が立ち入り禁止区域ならば、速やかに出て行く意思はある。しかし、立ち入り禁止区域か否かを判断する材料がどこにもないので、方針を定めようがない。
「……知らないぞ。わたしは知らない」
投げやりに吐き捨て、移動を開始する。
しばらく歩くと、樹の根本に和服姿の少女が横たわっていた。十歳くらいだろうか。浮世離れした美貌の持ち主だ。近づきがたさを感じ、助けてあげなければと思いながらも声をかけられずにいると、双眸がぱっちりと開いた。
「おしりがつめたい……。しょくぶつのにおいがする……。くらくてきがたくさん……」
わたしと同じことを感じている! 無性に嬉しくなり、少女のもとに駆け寄った。
話を聞いたところによると、少女の名前はアキ。意識を失う以前の記憶はなく、竜宮城に行きたいのだという。
「じゃあ、お兄さんと一緒に竜宮城へ行こうか」
アキの手を取って立ち上がらせ、握ったまま歩き出す。竜宮城なんてこの世にあるとは思えないし、あったとしても雑木林から遠く離れた場所に違いなかったが、いたいけな少女を放っておくわけにはいかないので、そう返事をしたのだ。
道中、アキは竜宮城について熱く語った。海亀による無料送迎だの、魚類による演舞だの、内容は荒唐無稽だったが、竜宮城に行きたい気持ちの強さはひしひしと伝わってきた。一通り語り終えると、アキは満面の笑みで話を締めくくった。
「だから私は、なにがなんでも両国国技館にいきたいの!」
思わず「は?」という声が出た。竜宮城に行きたいと熱く語っていたのに、両国国技館。乙姫が住まう深海の城ではなく、相撲の聖地。なにがどうなっているのか。
「アキちゃんはね、アキちゃんはね――」
困惑する僕に追い打ちをかけるように、アキは前置きもなにもなく、一人称を「わたし」から「アキちゃん」に変更した。
わたしはにわかに先行きに不安を覚えた。この子を連れ歩いても、わたしにとっては不利益にしかならないのではないか? そんな気がしてならない。
しかし、大人の庇護が必要な年齢のアキの手を、故意に放すのは躊躇われた。惰性に引きずられて、彼女と共に歩き続けた。
やがて木々が尽き、茫漠たる荒野に出た。
「やった! でられた! もうすぐ竜宮城だ!」
アキは欣喜雀躍したが、わたしは喜べなかった。
――空間を区切っているはずの有刺鉄線がない。
「おにいさん、いっくよー! はしれー!」
アキは駆け出した。体が引っ張られる。わたしがアキの手を握っていたはずが、今やアキがわたしの手を握っている。
行くしかないのだ。竜宮城だろうと、両国国技館だろうと、アキが行きたいと思う場所へ。
ひとまず立ち上がり、尻に付着した落ち葉を手で払いながら周囲を見回す。有刺鉄線が張り巡らされていて、看板が立っている。歩み寄り、綴られていた文言を音読する。
「この中に立ち入るべからず……」
「この中」とは、現在わたしがいる領域を指しているのか。それとも、有刺鉄線の向こう側のことなのか。看板の支柱は有刺鉄線の支柱の役目も兼任している――要するに二つの領域に属しているので、判断がつかない。
わたしは故意にこの空間に立ち入ったわけではない。現在いる場所が立ち入り禁止区域ならば、速やかに出て行く意思はある。しかし、立ち入り禁止区域か否かを判断する材料がどこにもないので、方針を定めようがない。
「……知らないぞ。わたしは知らない」
投げやりに吐き捨て、移動を開始する。
しばらく歩くと、樹の根本に和服姿の少女が横たわっていた。十歳くらいだろうか。浮世離れした美貌の持ち主だ。近づきがたさを感じ、助けてあげなければと思いながらも声をかけられずにいると、双眸がぱっちりと開いた。
「おしりがつめたい……。しょくぶつのにおいがする……。くらくてきがたくさん……」
わたしと同じことを感じている! 無性に嬉しくなり、少女のもとに駆け寄った。
話を聞いたところによると、少女の名前はアキ。意識を失う以前の記憶はなく、竜宮城に行きたいのだという。
「じゃあ、お兄さんと一緒に竜宮城へ行こうか」
アキの手を取って立ち上がらせ、握ったまま歩き出す。竜宮城なんてこの世にあるとは思えないし、あったとしても雑木林から遠く離れた場所に違いなかったが、いたいけな少女を放っておくわけにはいかないので、そう返事をしたのだ。
道中、アキは竜宮城について熱く語った。海亀による無料送迎だの、魚類による演舞だの、内容は荒唐無稽だったが、竜宮城に行きたい気持ちの強さはひしひしと伝わってきた。一通り語り終えると、アキは満面の笑みで話を締めくくった。
「だから私は、なにがなんでも両国国技館にいきたいの!」
思わず「は?」という声が出た。竜宮城に行きたいと熱く語っていたのに、両国国技館。乙姫が住まう深海の城ではなく、相撲の聖地。なにがどうなっているのか。
「アキちゃんはね、アキちゃんはね――」
困惑する僕に追い打ちをかけるように、アキは前置きもなにもなく、一人称を「わたし」から「アキちゃん」に変更した。
わたしはにわかに先行きに不安を覚えた。この子を連れ歩いても、わたしにとっては不利益にしかならないのではないか? そんな気がしてならない。
しかし、大人の庇護が必要な年齢のアキの手を、故意に放すのは躊躇われた。惰性に引きずられて、彼女と共に歩き続けた。
やがて木々が尽き、茫漠たる荒野に出た。
「やった! でられた! もうすぐ竜宮城だ!」
アキは欣喜雀躍したが、わたしは喜べなかった。
――空間を区切っているはずの有刺鉄線がない。
「おにいさん、いっくよー! はしれー!」
アキは駆け出した。体が引っ張られる。わたしがアキの手を握っていたはずが、今やアキがわたしの手を握っている。
行くしかないのだ。竜宮城だろうと、両国国技館だろうと、アキが行きたいと思う場所へ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる