わたしの流れ方

阿波野治

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少女が行きたい場所

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 尻が冷たい。草木の匂いがする。辺りは薄暗く、樹がたくさん生えている。森、山、林……。どう呼ぶのが適切なのかは分からないが、便宜的に雑木林としておこう。自室のベッドで寝ていたはずが、いつの間にか雑木林の只中、濡れた落ち葉の上にわたしは座り込んでいた。
 ひとまず立ち上がり、尻に付着した落ち葉を手で払いながら周囲を見回す。有刺鉄線が張り巡らされていて、看板が立っている。歩み寄り、綴られていた文言を音読する。
「この中に立ち入るべからず……」
「この中」とは、現在わたしがいる領域を指しているのか。それとも、有刺鉄線の向こう側のことなのか。看板の支柱は有刺鉄線の支柱の役目も兼任している――要するに二つの領域に属しているので、判断がつかない。
 わたしは故意にこの空間に立ち入ったわけではない。現在いる場所が立ち入り禁止区域ならば、速やかに出て行く意思はある。しかし、立ち入り禁止区域か否かを判断する材料がどこにもないので、方針を定めようがない。
「……知らないぞ。わたしは知らない」
 投げやりに吐き捨て、移動を開始する。
 しばらく歩くと、樹の根本に和服姿の少女が横たわっていた。十歳くらいだろうか。浮世離れした美貌の持ち主だ。近づきがたさを感じ、助けてあげなければと思いながらも声をかけられずにいると、双眸がぱっちりと開いた。
「おしりがつめたい……。しょくぶつのにおいがする……。くらくてきがたくさん……」
 わたしと同じことを感じている! 無性に嬉しくなり、少女のもとに駆け寄った。
 話を聞いたところによると、少女の名前はアキ。意識を失う以前の記憶はなく、竜宮城に行きたいのだという。
「じゃあ、お兄さんと一緒に竜宮城へ行こうか」
 アキの手を取って立ち上がらせ、握ったまま歩き出す。竜宮城なんてこの世にあるとは思えないし、あったとしても雑木林から遠く離れた場所に違いなかったが、いたいけな少女を放っておくわけにはいかないので、そう返事をしたのだ。
 道中、アキは竜宮城について熱く語った。海亀による無料送迎だの、魚類による演舞だの、内容は荒唐無稽だったが、竜宮城に行きたい気持ちの強さはひしひしと伝わってきた。一通り語り終えると、アキは満面の笑みで話を締めくくった。
「だから私は、なにがなんでも両国国技館にいきたいの!」
 思わず「は?」という声が出た。竜宮城に行きたいと熱く語っていたのに、両国国技館。乙姫が住まう深海の城ではなく、相撲の聖地。なにがどうなっているのか。
「アキちゃんはね、アキちゃんはね――」
 困惑する僕に追い打ちをかけるように、アキは前置きもなにもなく、一人称を「わたし」から「アキちゃん」に変更した。
 わたしはにわかに先行きに不安を覚えた。この子を連れ歩いても、わたしにとっては不利益にしかならないのではないか? そんな気がしてならない。
 しかし、大人の庇護が必要な年齢のアキの手を、故意に放すのは躊躇われた。惰性に引きずられて、彼女と共に歩き続けた。
 やがて木々が尽き、茫漠たる荒野に出た。
「やった! でられた! もうすぐ竜宮城だ!」
 アキは欣喜雀躍したが、わたしは喜べなかった。
 ――空間を区切っているはずの有刺鉄線がない。
「おにいさん、いっくよー! はしれー!」
 アキは駆け出した。体が引っ張られる。わたしがアキの手を握っていたはずが、今やアキがわたしの手を握っている。
 行くしかないのだ。竜宮城だろうと、両国国技館だろうと、アキが行きたいと思う場所へ。
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