50 / 77
脱出の試み
しおりを挟む
賽銭箱の前、石段の最上段で、わたしはなにもせずに座っている。境内はすっかり秋めいている。そんな秋めいている境内で、なにもせずに座っているわたし。石段の最上段、賽銭箱の前で。
そろそろ行かなくては。
腰を上げ、石段を下りる。二十段ほどで終わる石段なのだが、一段下りるたびに最下段に新たな一段が追加されるので、永遠に下に辿り着くことができない。全速力で駆け下りても、忍び足でも下りても、結果は同じだ。
石段の下まで行くことを断念し、再び賽銭箱の前に腰を下ろす。どうすれば、この場所から脱出できるのだろう。
不意に携帯電話の存在を思い出した。これで救援を要請しよう。今まで気がつかなかったのは迂闊としか言い様がない。上着の胸ポケットから取り出し、119にかける。
「もしもし。いくら努力をしても、神社の石段を下りることが出来ないので、助けに来てほしいのですが」
「今は忙しいので、無理です」
男性の声は素っ気なく、人間味が感じられない。どことなく、こちらを小馬鹿にしているようにも感じられる。
「なぜ忙しいのですか」
「オタマジャクシの救出作業を現在行っているからです。旱魃の影響で、全国各地の田圃が軒並み干上がってしまい、我々は途轍もなく忙しいのです」
そんな話は一度も聞いたことがないが、わたしが石段の上に取り残されている間に、そのような出来事が俗世で起きていた可能性はある。――とはいえ。
「どう考えても、オタマジャクシよりも、人命の方が大事だと思いますが」
「人命が尊くない、などと言うつもりはありませんが、この世界にとってオタマジャクシは貴重な存在ですから。どういうことかと言いうと――」
この世界にとってオタマジャクシがいかに貴重な存在なのかを、男は説明し始めた。専門用語や難解な言い回しが多用されため、わたしの頭では理解できない。実際にはオタマジャクシは貴重でもなんでもなく、あるいはオタマジャクシを救出しているということ自体が嘘で、ただ単にわたしを助けるために出動したくないだけかもしれない。
「分かりました」
吐き捨てるように言って通話を切った。
脱出口はどこかにないか。脱出に使えそうなものはなにかないか。
大きいとは言えない本殿の周囲を何周も巡っているうちに、神に縋るしかない、という結論にわたしは至る。
賽銭箱の前に立ち、財布の中身を全て投入する。柏手を打ち、そして願う。神よ、どうかお願いです、わたしを――。
「わたしをここから出してくれ!」
息を呑んだ。その声はわたしの声だったが、わたしが発したのではなかった。
声がした方を向くと、わたしがいた。
わたしはにんまりと笑うと、猛然と石段を駆け下りた。あっという間に下まで辿り着き、参道を駆け抜け、鳥居を潜って曲がり角に消えた。僅か一分足らずの出来事だった。
冷静さを保っていた心が破綻した。
わたしは意味不明の叫び声を上げながら、我武者羅に手足を振って石段を駆け下りた。しかしいくら走っても、走っても、一段下りるごとに最下段に新たな一段が追加され、下まで到達できない。それでもわたしは走った。
激しい運動を行ったことで、わたしの体は急速に痩せ始めた。それでも走った。走って、走って、走り続けた。
やがて走り疲れ、賽銭箱の前に引き返した時、わたしの体は糸のように細長くなっていた。
再び願いを叶えてもらうには、賽銭を取り戻すしかない。
賽銭箱上部の格子をすり抜け、内部に侵入する。
そろそろ行かなくては。
腰を上げ、石段を下りる。二十段ほどで終わる石段なのだが、一段下りるたびに最下段に新たな一段が追加されるので、永遠に下に辿り着くことができない。全速力で駆け下りても、忍び足でも下りても、結果は同じだ。
石段の下まで行くことを断念し、再び賽銭箱の前に腰を下ろす。どうすれば、この場所から脱出できるのだろう。
不意に携帯電話の存在を思い出した。これで救援を要請しよう。今まで気がつかなかったのは迂闊としか言い様がない。上着の胸ポケットから取り出し、119にかける。
「もしもし。いくら努力をしても、神社の石段を下りることが出来ないので、助けに来てほしいのですが」
「今は忙しいので、無理です」
男性の声は素っ気なく、人間味が感じられない。どことなく、こちらを小馬鹿にしているようにも感じられる。
「なぜ忙しいのですか」
「オタマジャクシの救出作業を現在行っているからです。旱魃の影響で、全国各地の田圃が軒並み干上がってしまい、我々は途轍もなく忙しいのです」
そんな話は一度も聞いたことがないが、わたしが石段の上に取り残されている間に、そのような出来事が俗世で起きていた可能性はある。――とはいえ。
「どう考えても、オタマジャクシよりも、人命の方が大事だと思いますが」
「人命が尊くない、などと言うつもりはありませんが、この世界にとってオタマジャクシは貴重な存在ですから。どういうことかと言いうと――」
この世界にとってオタマジャクシがいかに貴重な存在なのかを、男は説明し始めた。専門用語や難解な言い回しが多用されため、わたしの頭では理解できない。実際にはオタマジャクシは貴重でもなんでもなく、あるいはオタマジャクシを救出しているということ自体が嘘で、ただ単にわたしを助けるために出動したくないだけかもしれない。
「分かりました」
吐き捨てるように言って通話を切った。
脱出口はどこかにないか。脱出に使えそうなものはなにかないか。
大きいとは言えない本殿の周囲を何周も巡っているうちに、神に縋るしかない、という結論にわたしは至る。
賽銭箱の前に立ち、財布の中身を全て投入する。柏手を打ち、そして願う。神よ、どうかお願いです、わたしを――。
「わたしをここから出してくれ!」
息を呑んだ。その声はわたしの声だったが、わたしが発したのではなかった。
声がした方を向くと、わたしがいた。
わたしはにんまりと笑うと、猛然と石段を駆け下りた。あっという間に下まで辿り着き、参道を駆け抜け、鳥居を潜って曲がり角に消えた。僅か一分足らずの出来事だった。
冷静さを保っていた心が破綻した。
わたしは意味不明の叫び声を上げながら、我武者羅に手足を振って石段を駆け下りた。しかしいくら走っても、走っても、一段下りるごとに最下段に新たな一段が追加され、下まで到達できない。それでもわたしは走った。
激しい運動を行ったことで、わたしの体は急速に痩せ始めた。それでも走った。走って、走って、走り続けた。
やがて走り疲れ、賽銭箱の前に引き返した時、わたしの体は糸のように細長くなっていた。
再び願いを叶えてもらうには、賽銭を取り戻すしかない。
賽銭箱上部の格子をすり抜け、内部に侵入する。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる