わたしの流れ方

阿波野治

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脱出の試み

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 賽銭箱の前、石段の最上段で、わたしはなにもせずに座っている。境内はすっかり秋めいている。そんな秋めいている境内で、なにもせずに座っているわたし。石段の最上段、賽銭箱の前で。
 そろそろ行かなくては。
 腰を上げ、石段を下りる。二十段ほどで終わる石段なのだが、一段下りるたびに最下段に新たな一段が追加されるので、永遠に下に辿り着くことができない。全速力で駆け下りても、忍び足でも下りても、結果は同じだ。
 石段の下まで行くことを断念し、再び賽銭箱の前に腰を下ろす。どうすれば、この場所から脱出できるのだろう。
 不意に携帯電話の存在を思い出した。これで救援を要請しよう。今まで気がつかなかったのは迂闊としか言い様がない。上着の胸ポケットから取り出し、119にかける。
「もしもし。いくら努力をしても、神社の石段を下りることが出来ないので、助けに来てほしいのですが」
「今は忙しいので、無理です」
 男性の声は素っ気なく、人間味が感じられない。どことなく、こちらを小馬鹿にしているようにも感じられる。
「なぜ忙しいのですか」
「オタマジャクシの救出作業を現在行っているからです。旱魃の影響で、全国各地の田圃が軒並み干上がってしまい、我々は途轍もなく忙しいのです」
 そんな話は一度も聞いたことがないが、わたしが石段の上に取り残されている間に、そのような出来事が俗世で起きていた可能性はある。――とはいえ。
「どう考えても、オタマジャクシよりも、人命の方が大事だと思いますが」
「人命が尊くない、などと言うつもりはありませんが、この世界にとってオタマジャクシは貴重な存在ですから。どういうことかと言いうと――」
 この世界にとってオタマジャクシがいかに貴重な存在なのかを、男は説明し始めた。専門用語や難解な言い回しが多用されため、わたしの頭では理解できない。実際にはオタマジャクシは貴重でもなんでもなく、あるいはオタマジャクシを救出しているということ自体が嘘で、ただ単にわたしを助けるために出動したくないだけかもしれない。
「分かりました」
 吐き捨てるように言って通話を切った。
 脱出口はどこかにないか。脱出に使えそうなものはなにかないか。
 大きいとは言えない本殿の周囲を何周も巡っているうちに、神に縋るしかない、という結論にわたしは至る。
 賽銭箱の前に立ち、財布の中身を全て投入する。柏手を打ち、そして願う。神よ、どうかお願いです、わたしを――。
「わたしをここから出してくれ!」
 息を呑んだ。その声はわたしの声だったが、わたしが発したのではなかった。
 声がした方を向くと、わたしがいた。
 わたしはにんまりと笑うと、猛然と石段を駆け下りた。あっという間に下まで辿り着き、参道を駆け抜け、鳥居を潜って曲がり角に消えた。僅か一分足らずの出来事だった。
 冷静さを保っていた心が破綻した。
 わたしは意味不明の叫び声を上げながら、我武者羅に手足を振って石段を駆け下りた。しかしいくら走っても、走っても、一段下りるごとに最下段に新たな一段が追加され、下まで到達できない。それでもわたしは走った。
 激しい運動を行ったことで、わたしの体は急速に痩せ始めた。それでも走った。走って、走って、走り続けた。
 やがて走り疲れ、賽銭箱の前に引き返した時、わたしの体は糸のように細長くなっていた。
 再び願いを叶えてもらうには、賽銭を取り戻すしかない。
 賽銭箱上部の格子をすり抜け、内部に侵入する。
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