わたしの流れ方

阿波野治

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飛行船の首長竜

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 飛行場を飛び立ってからというもの、飛行船はもう三十日以上も飛び続けている。正確な日数は不明だ。三十まで数えたところで飽きてしまったのだ。
 飛行船はなぜ飛び続けているのだろう?
 行き先が未定だったため、飛行を続けつつ着陸地を選定しているが、未だに決めかねている。行き先自体は決まっているものの、発見できずにいる。なんらかの理由から、地上に降り立つ必要がなくなった。
 三千年の眠りから覚めたわたしの耳には、乗客たちの噂話がひっきりなしに流れ込んできた。しかしながら、真実は誰にも分からないらしい。
 気が狂いそうだった。退屈だとか、焦燥だとか、そういうことではなく、ただただ気が狂いそうだった。
 こんな時、わたしは決まって、飛行船のデッキにあるプールに足を運ぶ。
 プールはデッキの中央に設えられている。広さはテニスコート二面ほど。深さは大人の膝くらいしかない。
 デッキは通常無人だが、今日は人がいた。プールサイドに腰を下ろし、風に揺れる水面を眺めている。テンガロンハットに海水パンツという姿の、酷く痩せた、年齢不詳の男。その横顔は異様に真剣だ。
 気が狂いそうな時は人に話しかけたくなる。気が狂いたくないから、気が狂ってしまわないために人に話しかける。
「なにか面白いものでもありますか」
 声に反応してこちらを向いた。にこりともしない。
「わたし、気が狂いそうなんです。面白いものがあるなら、是非教えてください」
「あなたにとって面白いかどうかは分からないが……」
 か細い、掠れた声が男の口から流れ出る。
「プールから首長竜が現れたら、儂にとっては面白いよ」
「首長竜?」
「ああ。現れるのを待っているんだ。今日こそは、と思ってな」
「それ、本気で言っているんですか?」
 思わず失笑してしまう。
「湖なら水中に潜んでいるかもしれませんが、あなたが監視しているのは、幼児でも溺れないような浅いプールでしょう。しかも飛行中の飛行船のデッキにあるプールだ。首長竜なんて、現れるはずがない」
「いや、現れる。待っていれば、首長竜はいつか必ずその姿を見せる」
「潜むだけの深さもないのに、どうやって出てくるんですか? まさか、空から降ってくるとでも?」
 男は答えない。その横顔の真剣さを再確認し、わたしは悟る。この男は気が狂っている。
 興醒めしてしまった。男に背を向け、プールから遠ざかる。船内に通じるドアのドアノブに手をかけた瞬間、
「出た! ついに出たぞ! 首長竜だ……!」
 目の醒めるような声に引っ張られ、振り向いたが、プールにはなんの異変も起きていない。吹き抜ける風に水面がさざめいているばかりだ。
 しかし、男は確実に何かを見ていた。プールから姿を覗かせた巨大ななにかを。
 ……ああ。
 わたしの魂よ、狂え。さっさと狂ってしまえ。
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