わたしの流れ方

阿波野治

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腋おにぎり工場

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 おっさんくさい麦わら帽子を被り、おっさんくさいランニングシャツを着たおっさんたちが、腋おにぎりを握っている。その光景を硝子越しに眺めながら、後ろ手を組んだわたしは繰り返し頷く。美味しいと評判のおにぎり屋のおにぎりが、まさかおっさんの腋の下で握られているとは誰も想像するまい。
 作業場は暖房装置によって常に三十五度に保たれている。おっさんの汗腺から吹き出す汗と、おっさんの皮膚から分泌される旨味成分、これがおっさんの腋を開閉させる動作により絶妙に混ぜ合わされ、他の追随を許さない美味なおにぎりが完成するのだ。
 やがて定刻を告げるベルが鳴り、交代の監視員が来た。その者と挨拶を交わし、監視室、さらには工場からも出る。
 コンビニエンスストアで菓子パンを買い、川沿いの公園のベンチに腰を下ろす。爽やかな風に吹かれ、太陽光を受けて輝く川面を眺めながら、パンを食べる。空腹が満たされていくのに反比例して、工場内での醜悪な光景は薄らいでいく。
「おや」
 思わず声を上げた。川面を滑るようにして、一艇の大型船がわたしの目の前を通過したのだ。今の仕事に就いて以来、昼食はいつもこの場所で食べているが、あんな大きな船を見たのはこれが初めてだ。
 さらに奇妙なのは、デッキの上にいた数人が、船がわたしの目の前を通り過ぎる際に、わたしに向かって一斉に手を振ったことだ。船が観光船の類で、デッキにいたのが観光客なのだとすれば、川岸にいる人間に手を振る心理は理解できる。しかし、彼らの手の振り方はあまりにも統率が取れすぎていた。あたかもそのための訓練を受けた経験があるかのような……。
 なんだか気味が悪くなってきた。パンはまだ半分ほど残っていたが、袋ごとゴミ箱に捨てて公園を後にした。
 腋おにぎり工場に戻ったわたしは、「おや」という言葉を再び口にせずにはいられなかった。工場の建物が跡形もなく消えているのだ。
 狼狽したが、ひとまず主任に電話をかける。おかけになった番号は現在使われておりません、とのアナウンス。番号を知っている同僚に手当たり次第かけてみたが、結果は同じだった。
「おかしいな」
 納得がいかなかったが、ないものは仕方がない。なにもない場所に突っ立っていても仕方がないので、適当な場所で適当に時間を潰し、七時前に我が家に帰宅した。
 妻は夕食を作っている最中だった。昼食を食べている間に工場が跡形もなく消えていたことを話したかったが、午後は全く仕事をしていなかった事実を明かすのは流石にまずい。では、船の話ならばどうだろう?
「昼に妙なことがあったんだ。公園で昼食をとっていたら、川を大きな船が――」
 突然、食器が割れる音が響いた。茶碗にご飯を装っていた妻が、自ら叩き割ったのだ。こちらを向いた。憤怒の形相で涙を流していた。
「あなたはどうして、いつもそう、逃げて逃げて逃げて逃げて――」
 妻は「逃げて」を連呼しながら、食卓の上に置いてあった、白米が山盛り盛られた茶碗を手にすると、床に叩きつけた。わたしは唇を閉ざし、妻も「逃げて」を連呼するのを止める。
 重苦しい沈黙がダイニングを支配している。永遠に破られないのではないか、と思った。少なくとも、その当時は。
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