わたしの流れ方

阿波野治

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ナットを濡らさないように

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 実ったナットを一個一個、丁寧な手つきで収穫していく。袋に入れる前には、綿製の布で朝露を拭い取る。面倒だが、このひと手間を怠ってはいけない。このひと手間を欠かす・欠かさないで、ナットの品質にはかなりの差が出てくる。消費者に上質のナットを届けたいという思いは、生産者として当然ある。
 いくつかの袋を収納ケースに収め、何個かのケースを軽トラの荷台に積み込み、市場へと出発する。途端に雨が降り出した。ケースは防水性だが、わたしは雨が降るといつも不安な気持ちになる。カーステレオから流れてくる洋楽の物悲しいメロディに耐え切れず、電源をオフにした。
 不安は的中した。大きなカーブを曲がろうとした途端、濡れた路面にタイヤがスリップしたのだ。車体の横転は辛うじて免れたが、ブレーキをかけた拍子に何個かの収納ケースが荷台から投げ出され、路上に散乱した。落下した際に蓋が外れ、ナットが外に出てしまったケースもいくつかある。
 ナットは水に弱い。早く拾わなければ駄目になってしまう。運転席から降り、回収作業を開始した矢先、
「大変ですね。手伝いますよ」
 どこからか浮浪者の男が現れ、散らばったナットを手で拾い始めた。
「あの、お手数ですが、ナットはこの布で水気を拭いてから袋に入れていただけますか。水に弱いので」
「入れる前に拭くんですね。はいはい、分かりましたよ。はいはいはいはい……」
 浮浪者はにやにやしながら布でナットを拭き始めた。純然たる善意や好意や親切心からわたしに手を貸したのではないのは明らかだ。
 可能な限り迅速に作業を進めたつもりだが、ナットのいくつかは早くもスポンジに変わりつつあった。変わってしまうと、そのナットはもう、ナットに戻ることはない。永久にない。スポンジになることは、ナットにとっての死なのだ。
 死んだナットは、ナットではなくスポンジなので、当然買い取ってはもらえない。その意味でも、ナットの回収を急ぎたい。とはいえ、これだけの数が散乱したのだから、全てのナットをスポンジ化させずに回収することは不可能だ。
 従って、いかに多くのナットをスポンジ化する前に回収できるかの勝負になってくる。その意味で、浮浪者の男の働きは極めて重要だ。
 その浮浪者の男を横目で窺って、思わず声を上げそうになった。彼はちゃんと布でナットを拭いていたが、その水気を拭いたナットの何個かを、袋ではなく自らの懐に入れていたのだ。
 怒りが込み上げたが、その感情を浮浪者の男にぶつけるのは躊躇われた。男は全てのナットを盗むのではなく、六割ほどはちゃんと袋に入れている。怒りをぶつけたことで、男が回収作業を手伝うのを止めれば、結果的に盗まれる以上のナットが駄目になってしまう。損失を最小限に抑えるには、回収作業を手伝ってもらうのと引き換えに窃盗行為を黙認するしかない。
 二人で作業に当たったため、比較的早く回収を完了できた。形ばかりの礼を男に告げ、現場を後にする。
 市場に着いた。本日分のナットを見せると、担当者は素っ頓狂な声を上げた。
「これ、全部駄目だよ。スポンジ化しちゃってる」
 担当者が指摘した袋は全て、浮浪者の男が回収したナットが入れてある袋だった。
 男は、実際には、水気を拭かずにナットを袋に入れていたのだ。
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