囚われのリリィ

阿波野治

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 だけど、次の日も同じことがくり返された。
 彼が部屋の窓の外まで来たのは、昨日と同じ、話ができる時間が残りわずかになってからのこと。

「ごめん。今日も遅くなっちゃった。昨日約束したのに、ほんとうにごめんね」

 窓が開かれて、二つの世界が繋がるとともにしゃべりだしたハロルドさんの顔は、真剣そのものだ。外せない事情があって、やむを得ず遅れてしまった。瞳がそうわたしに訴えている。

「今日も、アデルちゃんとお話をしていたんですか?」

 彼は口元をほころばせて頷いた。アデルちゃんとおしゃべりするのが楽しかったから、つい話が長引いてしまった。そう言っているみたいだった。
 わたしにとっては、喜べることではない。でも、ハロルドさんにとっては、ほんとうに「やむを得なかった」のだ。だから、彼を責めるわけにはいかない。
 一言か二言、お互いにとってほとんど意味のない言葉を交わしただけで、ハロルドさんは駆け足で仕事に戻っていった。

「明日もいっしょにお話しようね」

 去っていく直前、昨日と同じ言葉が投げかけられたけど、とても軽かった。あまりにも軽すぎて、その言葉をかけてもらったことを一時的に忘れてしまっていたくらいだ。
 昨日はそう言ってくれたのに、今日言ってくれなかったということは、明日、ハロルドさんはわたしに会いに来るつもりはないのだ。
 忘れてしまってから思いだすまで、わたしはそう思いこんでいた。なにをする気力もわかなくて、ずっと寝床の中で横になっていた。
 だから、思いだした瞬間は嬉しかった。嬉しかったのだけど――。
 でも、すなおに喜べなくて、やりきれなさにまぶたを閉じた。


*


 どうして、こうなってしまったのだろう。
 いつもと変わらない静かな夜に、いつもとは違って、わたしはなかなか寝つけないでいる。

 わたしと話をするのが楽しくないからだ。
 何度考えても、何度考えなおしても、その結論に辿りついてしまう。
 アデルちゃんは話し上手で、わたしは話し下手。この事実は認めないといけない。どちらかを話し相手にするなら、誰だって前者を選びたいと思う。当たり前のことだ。

 どうすれば、ハロルドさんを惹きつける話ができるようになるのだろう?
 じっくりと考えてみたけど、理解できたのは、簡単に上達できるものではない、という寂しい事実だった。
 わたしは外の世界を知らない、鳥かご暮らしの世間知らずの妖精。外の世界の物事を魅力的に語る能力なんて、もともと持ち合わせていない。
 相手に返事をしてもらうような言葉を投げかけつづければ、会話を長引かせられる。ハロルドさんとアデルちゃんの会話を聞く中で見つけた、上手にお話をするためのテクニック。その武器だけでは跳ねかえせないほど、わたしが抱えている欠点は大きい。

 お話をする時間が日に日に少なくなっていって、いつの日かハロルドさんに忘れ去られてしまうのだろうか? 
 わたしは何度も首を横に振る。
 そんなのは嫌だ。ハロルドさんともっといっしょにいたい。もっとお話をしたい。ほほ笑む顔をもっと見たい。

 認めたくないけど、ごまかしようのない現実として、ハロルドさんと接する機会はだんだん少なくなってきている。アデルちゃんがわたしの部屋に来て、彼とわたしと三人で話をした、あの日を境にして。
 このままだと、同じウィルバーフォース家の敷地内にいながら、言葉を交わさなくなる日が来るかもしれない。ゼロを一にするのはとても難しい。そうならないうちに、彼に想いを伝えないと。

 だけど、なにを伝えればいいの?
 言うべきことはたくさんある気がする。同時に、ほんとうに彼に伝えなければならないのは、たった一つの言葉なのかもしれない、とも思う。

 たった一つの言葉。それはいったいなに?
 考えても、考えても、答えは見えてこない。

 玄関の戸締まりを済ませたアデルちゃんが自室に引きとって、夜は無音になった。窓越しの横に細長い夜空は、浮かぶ月がなければ、またたく星もないので、真っ暗だ。
 このまま、夜は明けないのかもしれない。
 どんなに気持ちが落ちこんでいるときでも、本気でそう疑ったりしないのは、明けない夜を経験したことが一度もないからだ。
 ちっぽけなわたしなんて気にも留めないで、宇宙は存在しつづける。地球は回りつづける。
 その事実は、なぐさめにもなるし、絶望に繋がってもいる。妖精という、人間と比べるとずっと体が小さい種族。人間といっしょに暮らすことで、自分のちっぽけさをじゅうぶんに自覚しているわたしは、なぐさめを得る場合のほうが多かった。
 でも、今夜はそうではないみたいだ。
 心がとても重かった。誰もわたしを助けてくれない。その思いが、死んでしまいたいと思うくらいに、わたしの気持ちを暗くさせている。
 今日こそ、夜は明けないかもしれない。今日という日を境に、世界はずっと夜に包まれるようになったのだ。
 非現実的だと思いながらも、想像が現実になったような気もしている。
 ハロルドさんが仕事をするのは、日が昇っているあいだ。だから、世界から昼間がなくなったのだとしたら、彼と会う機会はなくなってしまう。
 それでもわたしは、ハロルドさんを繋ぎ止める方法を求めて、悲しいくらいにけんめいに頭を働かせている。彼にまた会える未来を信じて、自分がするべきことや、しなければならないことについて考えている。

 答えはそう簡単には見つからない。ましてや、答えのほうから、わたしのもとにやって来てくれることなど。
 だから、わたしががんばるしかない。
 長い夜になりそうだった。
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