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第一部
序章:名前のない無貌
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「"アルカー・ブロウ"」
"力ある言葉"が拳に炎を纏わせ、音速を超えて敵に突き刺さる。
戦車砲の直撃すら上回る衝撃を受けた黒い影がきりもみに飛び仲間を巻き込んで、
動かなくなった。
燃え移った炎は夜の闇少し照らすが、すぐに掻き消える。
その一瞬、戦う影たちの姿がビルの合間に浮かび上がった。
全身黒ずくめのラバースーツのような装束。
胸や手足の一部には、プロテクター。
そして、その顔を覆う薄灰色の仮面の中心には一つの赤い光眼。
フォルムは紛れもなく人のものでありながら、どうしても人とは思えない――
倒れふして動かない"それ"は、そう思わせるだけの何かがあった。
「オノレ……!」
一体ではない。
何体、何十体もの黒い影が、一人を取り囲み――怯んでいた。
"それ"を殴り飛ばした存在は数十倍の戦力差にも
まるで臆することなく周囲の影をねめつけ、軽く腕を振って炎を消す。
赤いライダースーツに身を包んだその姿は一瞬仮面の襲撃者たちに似ていた。
だが、明らかに違う。
より複雑な形状で、燃え盛るような赤さを持つプロテクター。
腰に巻かれたベルトはそれ自体が何かの機械にも見える。
そして、その頭部を包むのも赤いヘルメット。後頭部に突き出た二本の角も
特徴的ではあったがそれ以上に目立つのが顔面のほとんどを覆うパーツだ。
碧く発光するそのパーツは、虫の複眼にも似ている。
戦力の差は、歴然だった。
数十対、一。圧倒的な戦力差で敵を圧倒していた――
――たった一人の戦力が。
倒れふす人、人、人――すべて、仮面の者たちだ。
アスファルトの道が砕け、コンクリートの壁が引き裂かれ、
その中心に埋まり動くことはない。
赤いスーツがたった一人で迎撃し、叩きのめしたのだ。
「"フェイスダウン"」
そのスーツの男が、ヘルメットの奥から力強い声で宣言する。
「お前たちがどこで動こうと、見逃すつもりはない」
「ア……アルカァァァァァァァ!!」
それがスーツの男の名前だろうか。仮面が叫び、一斉に飛びかかる。
だが、アルカーは圧倒的だった。
飛びついてきた二体の仮面を、音速の拳で打ち抜く。
破壊的な衝撃波を撒き散らしながら打たれたその拳は、
プロテクターごと胴体に大穴を穿つ。
最初に襲い掛かった二体の影に隠れ、新手が奇襲をしかけるも、
掴みかかるその腕を跳ね上げ、開いた胴体に蹴りを続けざまに打ち込む。
身をひねり、強烈なかかとおとしを脳天に食らわせるとその反動のまま
空にとびあがりさらに一体を踏み抜く。
流れるような動きで次の仮面を倒す、次の仮面を――
二十秒。
わずかそれだけの時間で、数十体以上いた仮面は一体になっていた。
「ッ……ァガ……ウウゥゥゥ……!!」
その仮面はアルカーの名を叫んだ個体だ。おそらくはリーダー格なのだろう。
けして臆病にも仲間の影に隠れていたわけではない、自身も参戦し隙をうかがっていた。
それでも目の前に広がる惨状に、たじろぎを隠せない様子だ。
「我ラガッ! ……我ラガ、何故ソコマデ圧倒サレル!?
"精霊"ノ力アルニシテモ、オマエタチノ技術デハ引キ出シキレルハズガ……!」
「そう信じたければ信じればいい」
意味がないとわかりつつも恨み言を撒き散らす仮面の眼前に、
アルカーの碧い目が広がる。
一瞬で距離を詰め、腹を砕く致命的な一撃。その拳が仮面の意識を砕いた直後、
アルカーが宣言する。
「貴様らから人々を守る意志こそが、俺の力だ」
そして――
・・・
――そして動画はそこで停止し、画面には再生マークが大きく表示された。
映像を録画していた仮面の意識が途切れたため、
そこまでしか記録されていなかったのだ。
……オレは組んでいた手を解すとリモコンを操作し、次の動画を再生する。
映されるのは同じアルカーと仮面たちの戦いだ。結末も同じだ。
仮面が襲う。アルカーが迎え撃つ。アルカーが、勝つ。
次の動画も、次の動画も、その次の動画も――
全ての動画で、アルカーは勝利した。仮面たちが何体いても、それは変わらない。
体温が上がり、結露した水蒸気が頭から垂れ落ちて目を塞いだ。
拭おうと伸ばした手がこつりと仮面にあたり、乾いた音を立てる。
――画面の中で叩き割られていくものと同じ仮面が。
――そう、オレは生体アンドロイド。悪の秘密結社"フェイスダウン"が生み出した
"フェイス戦闘員・1182号"だ。
俺が振りぬく拳は音速を超え、破壊的な衝撃波を撒き散らして鋼を貫く。
駆ける脚はアスファルトを砕き、一秒で数十mを走り抜ける。
およそ人でも獣でもありえぬその能力は、俺が作られたモノである証だ。
生まれたのはほんの二週間前。秘密工場から出荷されたオレは
意識が目覚めるとすぐに適性を認められ、組織の特殊部隊に配属された。
そして専門訓練を受けている。
そう――組織の宿敵、"アルカー・エンガ"対策の訓練だ。
同じロットの同胞たちは既に実戦投入されている中、オレはこの地下訓練場で
ひたすらアルカーの映像を見て、得られた知見を元に訓練を続ける。
毎日、毎日――アルカーの姿を見続ける。
オレの一つしかない赤い目に、アルカーの姿が映りこむ。
赤いレンズの中ですら鮮やかに浮かび上がる、アルカーの炎。
フェイスが人を襲い、アルカーが守る。フェイスに注がれる
怯えた視線を自身の背中で遮り、その背で希望を見せ付ける。
オレはその戦う姿に、自分でも言い知れぬ衝動を感じていた。
――生後二週間の身には、それがなんなのかわかるはずもなかったが。
・・・
「――1182号ハ、不可解デス」
いかにも機械的な抑揚で語りかけられ、わずらわしげに首を向ける。
実に耳障りな声だ。だが同時に愛しさも感じる。
なにしろ、我々フェイスにしてみれば幼児の声みたいなものなのだから。
「アレハ、マダ実戦ニ出テイナイハズ。
人ノ感情ヲ吸イ取ッテイナイノニ、マルデ最初カラ自我ガアルカノヨウデス」
「――ああ、君はまだ知らなかったのだね」
流暢な発音が自身のスピーカーから流れたことに満足し、仮面の顎部をさする。
部下の無知をあざ笑っているわけではない。一つ一つ新しいことを知っていく姿が
微笑ましいのだ。
「確かに、我々フェイスは人間の感情を回収し、自我と能力を育てていく。
――だがね、稀にああいうのが生まれてくるのだよ……
最初からある程度の自我をもった、個体がね」
「最初カラ?」
そう問い返す部下は疑問を呈しながらもその態度にブレがない。無意識が肉体を動かすと言うことがないのだ。
それに対してあえて大仰に肩をすくめて答えてみせる。この無駄な動きこそ、
大量の感情を吸い取り自我を発達させた大幹部級フェイス――
"ジェネラル・フェイス"の特権だ。
「そうとも。そもそも我らフェイスは自我を持っていないのではなく、極めて薄いのだ。
その薄い自我を補強するために、人間どもから感情を回収する……
だが突然変異という奴か、あやつのように強い自我を生まれもつ個体もいる。
――そういう個体は成長率も高い。アレがアルカー対策部隊に選ばれたのも、
必然というものか」
さすがに表にださなかったが、アルカーの名を出したときには苦々しいものがこみあげてきた。
アルカー・エンガ。秘密組織"フェイスダウン"の宿敵。
社会の闇にまぎれ、人々から感情エナジー"エモーショナルデータ"を回収するフェイスを
妨げるいまいましい怨敵だ。
これまで何体のフェイスが倒されたか、数えたくもない。
窓もなく白い壁に囲まれた訓練場をぐるりと見渡す。閉塞的なこの場所で、
おもいおもいに訓練を続けるフェイスたちの姿がある。
組み手をするもの、対策を練りあうものたち、基礎訓練を地道にこなすもの――
手を抜くものは一人たりといず、実に頼もしい連中だ。
だが、アルカーに対抗できるかは……難しいだろう、というのが本音でもある。
アルカーは、人間だ。素性はようとして知れないが、生身の人間であることだけは
判明している。
ただの人間が、超人であるフェイス・アンドロイドを凌駕できる理由。
それは奴が"炎の精霊"をその身に宿しているためだ。
"炎の精霊"は、人間どもを超越した科学力をもつフェイスダウンですら、
その正体が掴めぬ謎の超常存在だ。
元はといえばそれとて、組織で研究していたものなのだが――
「……いまいましい人間め」
またも苦々しい事を思い出し、思わず口から悪態がこぼれる。
舌があれば舌打ちしたいところだ。
気持ちを切り替えて、1182号に目を向ける。その後姿に少し気分が晴れる。
1182号は一日中アルカーの映像を見ている。無論、ただ見ているだけではない。
食い入るようにその戦いを観察し、奴の動きを研究しているのだ。
何時間も画面にかぶりついていたかと思えば突然立ち上がり、組織が作った
ダミー・アルカーと模擬戦をする。勝率は100%だ。
それどころか、ダミー・アルカーの行動パターンの誤りや
不足したデータを指摘し改良している。
彼の意見を聞き入れた後は驚くほどアルカーに近づいていくのだ。
アルカーに対する分析力は、組織の中でも随一と言っていい。
「……あるいは彼なら、やってくれるかも知れんな」
幹部特権でつけくわえた、ひげを模した意匠をつまみ撫でる。
頼りになる同胞を見るのは、ここちよいものだ。
・・・
秘匿された製造工場から出荷され、わずかな戦闘訓練の後は各地で
工作活動を繰り広げる。その過程で誰が傷つこうと失おうと、気にとめる
こともしない。それが"フェイスダウン"。それが"フェイス"。
その戦闘員であるこのオレも、同様に何も感じることもなく、誰かを傷つけ奪う――
はずだった。
――オレは、戦闘員1182号。
悪や正義の定義はオレにはわからない。
自身が強いか弱いかも興味はない。
ただ一つ、オレは生まれたときに与えられた戦闘規定を塗り替えた。
戦え。
手が届く誰かを、守るために。
ここに遺す記録は、裏切りの記録でもある。
共に生まれ育った同胞をこの手に掛け続けた告解。
だがその思い出はけして孤独なものではなかった。
どんな強敵にも、怯むことなく立ち向かう"ヒーロー"。
眩いばかりに強い意志を持つアイツと共に戦えた事を、オレは誇りに思う。
・・・
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