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第一部
第一章:02
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暗いハイウェイを点々と街灯が照らす中を、長年使用してきた愛車でひた走る。
この期におよんで事故など起こしてはたまらないと思うものの、はやる気持ちと
恐怖とでアクセルペダルを踏む力が一定しない。
「あなた……」
助手席に座った妻が、不安にかられ諌めるように声をかけてくる。
わかっている、と安心させるように笑顔をむけたつもりだったのだが、
実際には硬い表情でちらりと目線を向けるにとどまった。
「――わかっている、わかってはいるんだ。だが……」
「大丈夫、大丈夫です。もう、あと少しじゃありませんか」
「わかっている。わかっているんだ……」
もっと気のきいたことを言えるはずが、恐怖心が身体も心も縛り付ける。
十何年ものあいだ、あの組織に捕らわれ彼らの研究に従事させられていた。
もともとは進化分子工学という分野の研究者……の道を目指していた学生だった。
当時私が偶然発見した遺伝的アルゴリズムが奴らの目に留まり、拉致されたのだ。
奴らのアジトに連れ込まれた時の衝撃はいまだに覚えている。
当時の人間社会が持つ科学技術を遥かに越えた実験設備、その成果物。
いやそもそもが私を拉致した生体アンドロイドそのものが、私の認識力を
凌駕した存在だった。
人類の何十年、何百年も先を行くテクノロジーと知識を与えられた私は
彼らのために研究を続けた。……悪魔の研究の、数々を。
精神が磨り減りつつある私を慰めてくれたのが、今の妻だ。
同じように連れ去られた研究者である彼女と私はやがて愛し合うようになり、
誰も知らない研究所の奥でひっそりと結婚した。
「……おとうさん……」
――そして、子をもうけたのだ。
後部座席で、おびえた顔をして助手席にしがみつく我が娘――ホオリを見て、
ようやく笑みを浮かべられた。ほんの少しだが。
「――すまない、ホオリ。怖がらせてしまったね」
踏み込みすぎて高鳴ったエンジン音が、ゆっくりとトーンダウンしていく。
その様子に娘の亜麻色の瞳が少し落ち着いたものに変わっていく。
「……本当にすまないな、ホオリ。おまえにはまともな生活をさせてやれなくて……」
「……ッ。お父さんたちのせいじゃ、ないよ……」
暗く目を伏せて、つぶやく愛娘を見て心が痛む。
彼女は、研究所で生まれた。それが長年諦めていた脱走計画を再燃させる
きっかけでもある。
人々を襲い、その感情を奪う組織――"フェイスダウン"。その彼らがホオリに
情などかけるはずもなく、実験生物に向ける視線のそれしかなかった。
娘が二歳になったとき、私たちは脱走した。以来、私たちは定住せず
長い間放浪生活を続けているのだ。
当然、娘も同じ学校にい続けることはできず、一年ごとに転校するありさまだ。
まともな友人をつくることもできず、苦しい逃亡生活にもかかわらず
優しく強い娘に育ってくれたことは、親としては嬉しさも悲しさもある。
脱走の際、奴らから最重要機密である"精霊"を奪い去れたのは幸運だった。
その"精霊"に選ばれたあの時の少年が、今私たちを救うためにこの町に来ている。
それだけが希望だった。
ガシュ。
「――とにかく、彼との合流地点まであとわずかだ。大丈夫、彼――
アルカー・エンガは強いんだ。フェイスよりずっと強い。だから、安心しておくれ」
「……ほんとに、そんな人いるの?」
疑わしげな顔をするのも無理はない。彼女も何度かフェイスに襲われる人々を
見たことがあるのだ。あれを見ては、人間では対抗できない――
――そう諦観するのも当然だった。
だが、私は彼も知っている。"炎の精霊"に選ばれた男を。
だからそこだけは力強くうなずくことができた。
ガシュ。
「ああ。間違いない。彼なら必ず『私たち』を――助けてくれる。
だから、心配するな」
一瞬、妻と視線がからみあう。「私たち」という言葉に含みを感じたのだろう。
まだフェイスダウンの研究所にいるはずの――
ガシュ!
「――ッッッ!?!? おッ……おとうさッ……!?」
刹那、娘の声が逼迫したものになる。その響きに戦慄し、バックミラーを覗く。
ガシュ。ガシュ。ガシュ!
ガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュ……
いつのまにか街灯の光が消えた後方。黒く染まった道路に、点々と光が弾ける。
――蹴り砕かれたアスファルトが、火花をあげているのだ。
そして浮かび上がるのは――赤い、光点。
「――ッッッッ!!」
一気に顔が青ざめるのを感じる。横にいる妻の震えが、伝わってくる。
フェイスに発見されたのだ。
・・・
「――見つかったのか!?」
「ああ! たった今、雷久保氏から救援を求められた!
場所は西の三坂ジャンクションの先だ! 急行してくれ!」
「了解!」
即座にアクセルに添えた手を離し、腰に巻いたベルトに伸ばす。
俺の身体に宿った精霊を、現実世界に引き出すための装置だ。
じゃらりと畳まれた両翼を引き上げ、解放させる。
俺の体が、炎に包まれる。手足を焼き、顔を焼く。
激痛が全身を襲うが、それは俺の身体を作り変える痛みだ。
この儀式を経て――赤城火之夜は、"アルカー・エンガ"へと化生する。
闇に包まれた街路が一瞬赤く照らされ、再び闇に包まれたとき
俺は全身をプロテクターに包んだ姿へ変身していた。
「間に合え……!」
右手のグリップをひねりあげ、エンジンの回転をあげる。
機械の赤兎馬を駆り、俺はハイウェイを目指した――。
・・・
「――申シ訳アリマセン、隊長。一人逃ガシマシタ」
先ほどまでなんの感慨もなく報告していた戦闘員が、いまや無念さを漂わせている。
この個体はたった今新鮮なエモーショナル・データを吸い取り、
初歩的な自我を獲得したのだ。
「まったく、ばか者め。あの娘こそ、逃がしてはならんと言っただろう」
言葉ではなじる隊長格フェイスも、その実気をよくしていることがよくわかる。
長年煮え湯を飲まされてきた相手が、抜け殻と化して倒れているからだろう。
他のフェイスたちが捜索のため部隊をわけている中、
オレはその抜け殻の側にたたずんでいた。
雷久保番能。雷久保咲夜。フェイスダウンから脱走し、粛清された男女。
誰も彼らを気にかけない。もはや搾りつくされた人間など、どうでもいいのだ。
だが俺は無性に気になった。資料の中では動いていた彼らが、
今や口を開け目を虚ろにしてピクリとも動かない。
番能は、やせこけた頬にいかつい目つきながら、妻にだけは優しく語り掛けていた。
咲夜はそんな夫に柔らかい笑みを向け、目を細めていた。
今はもう、動かない。
「……」
厳めしい表情も、柔らかい表情も奪われたのだ。――オレたちフェイスに。
動かなくなった二人の代わりに、フェイスが二体、生き生きと動き出した。
奪い取った感情が、彼らに自我を与えたのだ。
――それを思うと、オレの胸になにかがつかえる。
そっ、と二人の顔に手を被せ、目と口を閉じさせる。なぜかはわからないが、
そうするべきだと感じたのだ。
「1182号! おまえは私と来い!」
隊長が声を荒げて呼び寄せる。どうやら雷久保たちはハイウェイを降りて
こちらをまいた一瞬、娘をどこかに降ろして隠したらしい。
二人が乗った車を追いかけている間に娘は逃げただろう。
その少女を捜索する部隊と、彼らを襲うであろうアルカーを迎撃する部隊にわかれるようだ。
当然、オレは迎撃部隊に振り分けられた。
アルカーとの決戦が、近い。
・・・
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