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第二部
第三章:04
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「――ひやひやさせる」
ばさり、と報告書の束をデスクに投げ出し、天津はぼやいた。
昨日発生した原発テロだ。世間ではその話でもちきりでもある。
おそらく、益体もないニュース番組で一ヶ月ほどはテレビ欄を
占有することだろう。
表向きはフェイスダウンによるテロ行為。実際には、
単なる一改人の暴走、である。
「……まあ、さらに実際は……と、いうところですかな」
指を組んで脚を投げ出す。改人は、確かに暴走する。
それが連中の資質だ。だが、今回の件はおそらく違う。
「……八雲……」
ぽつり、と呟く。と、そのとき部屋のドアがノックされる。
「……入りたまえ」
一礼して入ってきたのは、CETの若き作戦本部長だ。
いつもながら厳しい顔をして報告をはじめる。
哀れな娘だ。
自分の両親と弟をフェイスダウンに奪われ、火之夜とも
離れ離れにさせられ。その逆境をばねにのしあがり、
対フェイスダウン組織であるCETのトップの座についた。
よもや、そのCETがフェイスダウンによって作らされた組織だとは、
想像だにしていまい。
彼女の報告を耳に入れながら、益体も無いことに思いを馳せる。
「――わかった。本来なら君たちには荷の重い任務だったとは思うが、
見事な結果だった。被害も、状況をかんがみればないに等しい。
よくやってくれた」
実際のところは、あの処刑人が動いたのだろう。
今回の事件は、フェイスダウン――いや、総帥フルフェイスにとっては
望ましくない事態のはずだ。なら、アレの出る幕だ。
哀れ――哀れといえば、改人たちもか。
報告を終えた部下は未練も無くさっさと退出する。
このあとくされのなさは、嫌いじゃない。
「……ッッぐぁ……!」
どくん、と胸の奥がうずく。
ワイシャツをかき乱しながら、心臓の上をつよく掴む。
ずぐん、ずぐん、と脈打つかのように振動が伝わってくる。
その脈拍にあわせて、痛みが全身に広がっていく。
とある人物による、無茶の弊害だ。最近は特に激しい。
「……ッ……まったく、度し難い……」
呼吸を整えて、汗を拭く。
――気は逸るが、時期を待たねば。
もう、十九年も待ったのだ。……あと少しくらい、待てるはずだ。
「八雲……征矢野、……下妻。
待ってるがいい……この、二十年のけりは、もうすぐ……着く」
・・・
どくん、と胸の奥がうずく。
流し込まれていく人々の感情エナジーが、胸の内に潜むものへ
力を与え、成長していく。
ずぐん、ずぐん、と脈打つかのように振動が伝わってくる。
その脈拍にあわせて、痛みが全身に広がっていく。
長い付き合いの、寄生虫だ。相手も望んで寄生しているのではないだろうが。
虫唾がはしる相手だ。きっと向こうも こちらのことなど嫌いだろう。
膝を抱えた腕に、わずかながら力を込める。
何時間も何時間も、この体勢のまま動くことはない。
どこかに、暖かい光が見える。
自分のものではない。自分の中にある光では、ない。
だけど、自分に近しい者が手に入れた、光だ。
自分には、ないものだ。
ぎゅっ、と組んだ腕に力を込める。
自分には手に入れられない、手に入れさせてもらえなかった光。
……誰も、助けなかったから。
なぜだろう。なぜ、自分だけは助けてくれない。
誰も彼も、自分のことは無視していく。あの子ばかり、助けられる。
――にくい。
くやしい。つらい。ねたましい。くるしい。おろかだ。
負の感情を、流し込まれた人々の感情エナジーが補強し、肥大化させる。
黒く、濁った感情ばかりが育っていく。どうしようもなく。
悪魔があざ笑え、とささやいた気がする。胸の寄生虫は
それを否定するが、悪魔の言葉のほうが心地よい。
いいではないか。
憎んだって、蔑んだって、あざ笑ったとて、いいではないか。
だって、この世界は私に何一つ恵むことはなかったのだから。
生まれてからずっと、利用するだけ利用して。
助けることもなく、放置してきた。
世界が私を憎むなら――私が世界を憎んだって、かまわないではないか。
だから、彼女は暗闇の中で叫ぶ。どこまでも暗く冷えた、胸のうちで。
大きらいだ――と。
・・・
「――ホオリ?」
「……ん」
心配そうに覗き込むノー・フェイスの顔を見て、自分が胸を抑えて
倒れそうになっていたことに気づく。
一瞬、意識が飛びかけていた。なにか、とてもどろどろとしたものを
垣間見た気がする。その暗い情念が、ホオリの胸をわしづかみにした、
そんな錯覚が――
「……すごい汗だ。小岩井に見てもらおう」
「だ、だいじょうぶ……わひゃあッ!?」
安心させようと、むりやり頬の表情筋をひきあげようとするが、
答える間もなくノー・フェイスに抱え上げられる。
お姫様だっこ、とよばれる体勢だ。
希薄になった己の感情でさえ、照れくささと気恥ずかしさの混合に
顔が赤くなるのを感じてしまう。
「……熱も高い。なぜ、もっと早く言わないんだ」
「……うぅん、その、早くと言われてもその……」
たった今熱が出てきたのだから、どうしようもない。
ついでに言えば、熱をださせたのはノー・フェイス自身だ。
気後れするほどやさしく、彼が髪を撫でてくれる。
「……気を使う必要はない。いつでも、ゆっくり休めるんだ。
無理はせず早めに言え」
「……う、うん」
気を使うもなにも、熱がでているのはこの逞しい腕に
抱えられているからなのだが。
(そういえば――)
ノー・フェイスと出会ったときも、こうして抱えられていた。
この分厚い胸板と力強い腕に抱き上げられ、安心感に包まれていたことを
思い出す。自分を助け出してくれた、強い腕だ。
……せっかくだから、甘えてしまおうか。
ぽすん、と頭をノー・フェイスの肩口に預ける。
ここは特等席だ。あの女医さんにも譲れない。
はたして、医務室に着いたときの小岩井医師の顔はなかなか見ものだった。
ほほえましいと思えばいいのか、嫉妬してもいいのか、そんな複雑な顔。
少しの罪悪感と、ほんのちょっぴりの優越感が沸いてくる。
(ずるい子だよね)
自己嫌悪も、にじみでる。ノー・フェイスの優しさにつけこんでるようだ。
裏をかえせば、庇護者としてしか見られていないということだが……
「……たしかに額と頬は熱いけど、体温は平熱。
ちょっと興奮しちゃっただけね」
半ば呆れたような、ほんの少し憮然としたものを混ぜて体温計を
とりだす小岩井。……ぐうの音もでない結論だ。
「……でも、その動悸はちょっと気になるわね。
念のため、心電図もとっておきましょう」
今度は本当にきづかわしげな顔ですすめる。やはりこの女医も
とても優しい。いい人だと思う。
(私が知っている女性の中で、一番大人っぽいし……)
子供みたいな桜田、難すぎて近寄りがたい(でも中身は意外と優しく、
乙女的だ)御厨たちより、小岩井は大人らしい女性だ。
物腰もやわらかだし、気遣いもできる。……ちょっと、そそっかしいが。
(……男の人って、そういう女性が好きなのかな……)
益体も無いことを考えてしまう。
大人の男性はおろか、同年代の男子とすらろくな交流がなかった彼女だ。
そういうことにはまるで疎い。
心の中で首を振る。何を考えているのだろう。
正直なところ、胸の内にあるこの思いがなんなのか、まだよくわからない。
ただでさえ、こういったことには無縁だったのだ。
希薄になった感情ではさらに判別がつきづらい。
でも、胸の内が暖かくなる。どこまでも、暖かく光輝いている。
だから――今は、それでいいかとも思う。心の中でだけ、そっとつぶやく。
大すきだ――と。
……ふと、気づいて半目になりノー・フェイスに告げる。
「……服、脱がなきゃいけない」
「……?」
わかっていないようで首をかしげる。その仕草は
可愛らしくもあるが、察しが悪い。
小岩井もおなじように非難する目つきで続ける。
「レディの裸、見ようってつもりですか?
男性は外に出るのが、マナーですよ」
「……む。そうだったか……」
すごすごと引き下がり、退出するノー・フェイス。
そのさまがまるで母親に怒られた子供のようで、
思わず小岩井と顔を見合わせ、噴出してしまった。
・・・
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