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第三部
序章:巡る精霊、交わす胸臆
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「おのれ……」
フェイスダウン三大幹部が一人、大改人シターテ・ルは歯噛みしていた。
先日、自身が企てた作戦が妨害され、ほかの大幹部もろともアルカーと
ノー・フェイスに迎撃されて逃げ帰ってきたばかり。
いまだにその時の傷が痛んでしかたがない。
「この私の顔を潰して、あまつさえこんな傷まで……!
許せない、許せないわ……ッ!」
「よせよせ、シターテ・ル。
いまそんな風にいきこんで見せても、滑稽なだけだ」
同じように傷だらけで、辟易した声をかけてくるのは大幹部のヤソ・マだ。
その髑髏のような面は、憤っている自分とは違い半ば投げやりな態度だ。
「よくも言えたものね。あなたたちなんて、二人がかりで挑んで
返り討ちにあったそうじゃない。それも、組織の装置を逆利用されて」
「……まったくだ」
どこか憮然とした表情の大改人はヤク・サという。戦いのことしか頭にない
鬼型大改人は不覚をとった自身に苛立っているようだ。
「ふん。そういうこともあろうよ。
むしろ、同数対同数で圧倒できていたのだ。今失敗した程度のことで、
おたおたと慌てることもあるまい」
「のんきなものね……」
呆れとも苛立ちともつかないため息がでる。
もっとも、ヤソ・マの言うこともあながち間違いではない。
確かに、不覚をとりをした。だがけして戦闘力で劣っていたわけではない。
むしろ自分ひとりでノー・フェイスとアルカーの両名を相手取っていたのだ。
いざとなれば、大幹部全員で挑んでもいい。それを確認できたことが、
どこか心に余裕を生み出していた。
「……愚鈍な連中」
ばっ、と散開する。突然室内に殺気が満ちたのだ。
このフェイスダウンの本拠地内で、こんな剣呑な気配を感じたのは、初めてだ。
うめき声が聞こえる。誰の声だ?
――その声が自分の口から漏れたと、気づくまで一秒にも満たない時間。
そのわずかな間隙に、褐色の影が視界の端で動くのをかろうじてとらえた。
その影は、シターテ・ルの顎に強烈な肘打ちを食らわせた後、すぐに反転。
杖をとったヤソ・マをその杖ごと打ち抜く。その身を蹴り飛ばして跳躍すると
豪腕を振るったヤク・サの攻撃をあざやかにくぐりぬけると、円弧を描いて
回し蹴りをその胸に叩きおろし、そのまま床に踏みつける。
「ぐぉぉッ……!」
くやしげにヤク・サがうめくが、あの文字通り鬼のような肉体を持った
ヤク・サが、毫釐も動けない。
「無様。醜態。貧弱。
こんなありさまで、よく高慢になれたもの」
「きッ……きさま……!!」
ヤソ・マが呻きながら身を起こし――凍りつく。
シターテ・ルも同じく、襲撃者の姿を見て動けない。
襲撃者は――アルカーだった。
あのアルカー・エンガではない。ずっと体格が小さく、まるで少女のようだ。
なにより、体色が違う。燃え盛るような赤いアルカー・エンガに対し、
このアルカーは暗くこびりついたような赤褐色。よく見れば、細部も大分違う。
だが――そのシルエットは紛れもなく、アルカーのものだ。
「お……おまえ。一体、何者なの……?」
「改人」
言葉みじかに答える褐色のアルカー。その答えにその場にいる全ての大改人が
驚愕する。
「改人だと? では、おまえも――フェイスダウンのものなのか」
「そう」
「なら何故我らを襲う!」
茫然と問うヤク・サに答えたアルカーに、ヤソ・マが激昂する。
しかしシターテ・ルは、そのやりとりをただ見つめるしかない。
胸の中に、なにか嫌な冷たいものを感じながら。
「単なる腕だめし。私自身と――おまえたちの。
敵に敗れて逃げ帰りながら、へらへらしてるからどんな実力かと思えば――」
ぞっとする。そういって装身を解いた下から現れたのは、少女。
まだ成人どころか、十代前半であろう幼い娘だ。
だがその顔に張り付いた、底の知れない不気味な笑みに背筋が凍える。
「――大改人とは、こんなものか」
「……ッッッ!」
ヤク・サがその鋭い牙をがちがちと噛みあわせて憤るが、
事実こうして苦もなく制圧されては、返す言葉がない。
「……おまえは、何者なの。改人? ……うそよ、
その力は――改人のものではない!!」
「そうね。そのとおり。私はおまえたちとは違う」
くるりとその少女が向き直る。金色のツインテールは幼さを感じさせるが、
その相貌は反して氷より冷たい仄暗さをかもし出していた。
(なんなの、この娘……こんな幼さで、どうして――こんな顔ができるの。
こんな小娘が、どれほどの闇を抱えているというの――!?)
背中に何かがあたる。それが壁であり、自身が無意識に後ずさりしていたことを
その時ようやく気づく。気圧されている。
アルカーの力にではない。この少女の、計り知れない心の闇にだ。
周りを、世界を、自分さえ――見下し、嘲笑うような。そんな冷たさを
たたえた奈落のような、顔。
その口から冷えきった言葉が紡がれていく。
「私は――精霊を強制的に人に宿らせる研究の成果物。
名を――アルカー・エリニス、という」
「精霊の――だと!」
その姿から想像はついていた。が、改めて聞かされると衝撃が走る。
――ではまさか、これまで自分たちが人間を浚ってきたのは――
「――そう。おまえたちは、私のエサを集めるのが仕事だった。
それももう終わり。……あとは私が、やる」
「ふざけるな……!」
ヤク・サが憤慨と共にその脚をおしのける。
豪放な鬼型改人とは対照的に、優雅にふわりと着地する少女。
こうして三体の異形にかこまれ、すごまれているというのに
まるで臆した様子がない。いや、むしろ怯んでいるのはこちらだ。
鈍い亜麻色の瞳が、改人たちの意識まで吸い込み、飲み込んでいくようだ。
思わず、身を抱きしめ震える。
「貴様が……貴様ごとき、小娘が!
アルカーの力を手に入れたといって、我ら大幹部に
とって変われるなどと……!」
「……"手に入れた"?」
その静かな一言に、激昂したヤソ・マが押し黙る。
いや、少女の口端に浮かんだ笑みの不気味さに、気圧されたのだ。
なにかの皮肉に感じ入ったように、少女が深く凶暴に笑う。
「私は、手に入れたんじゃない。
私と精霊は、限りなく同《・》一に近い存在として育ってきた」
ぞっとするような声音で、少女が語る。
いや、目の前にいるこれは本当に少女なのだろうか?
まるで――悪意の闇の底から這い出てきた、怪物のようだ。
年端もいかない、華奢な少女。その少女が、この場にいる誰よりも
おそろしく、おぞましい。その事実にシターテ・ルは愕然とし、
不穏な予感を拭い去れずにいた――。
・・・
みぐるしい。大の大人三人が、一人の少女に気圧され震えている。
こんなみっともない連中が将をつとめていた程度の組織だ。
所詮はフェイスダウンも、くだらないものにかわりはない。
そんなくだらないものに全てを奪われてきた自分も、
きっとくだらない存在なのだろう。
それならそれで、いい。自分がくだらないなら、自分をとりまく
この世界だってくだらないものだ。認めるべき価値など、ない。
――だから、滅びてしまえ。
フェイスダウンはくだらないが、彼女の望みをかなえてはくれる。
くだらない、何もかもに価値のないこの世界を――滅ぼしてくれる。
そうして全てを滅ぼしたあとに、このくだらない組織も滅ぼせれば
最高なのだが。枷のはめられた自分に、飼い主の手を咬むことはできない。
今は、それでいいだろう。総帥フルフェイスの望みどおり、
同じ精霊の戦士たちを滅ぼせばいい。
(……いや、同じじゃない……)
心の中で訂正する。アルカー・エンガは正当なる精霊の適合者だ。
歪んだ形で目覚めた自分とは、決定的に異なる。
……あのノー・フェイスさえ、精霊に力を貸し与えられていることに
かわりはない。
自分は違う。
精霊に力を乞うのではなく、あわれな獣をねじふせ従わせているのだ。
同じ精霊を滅ぼすために、その力のすべてを搾り出させる。
……ゆかいな話ではないか。
犬歯をむき出しにして嘲笑う。
そうだ。生まれたときからまともな人生を送れず、
心も未発達な自分にとって唯一、はっきりとした感情。
悪意。ありとあらゆるものに対する、無限の悪感情。
暗い情念が心を満たしていき、それに溺れるのが心地よい。
すでに倒れふした大改人に興味はなく、宿敵に思いを馳せる。
正しい力で正道をなす、アルカー・エンガ。
そして悪に生まれながら正義に目覚めた、ノー・フェイス。
戯言だ。あいつらだって、くだらない存在に違いない。
だって――苦しむ私を、助けることがなかったのだから。
あの子のことは、救ったのに――
「――だから、思い知らせてやるの。
おまえたちのやっていることは、茶番にすぎないと」
それを思い知ったとき、彼らはどんな顔をするのだろうか。
歪んだ愉悦だけが、彼女を愉快にさせるのだった――。
・・・
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