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第三部
第五章:02
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「……」
天津は駿河湾を眼下に見下ろし、動静を見定めていた。
ここからは、タイミングが肝要だ。
久能街道から、広く水平線が広がる。この静かに白波が立つ海域に、
彼が待つものがある。
悪の秘密結社、フェイスダウン。その総帥たるフルフェイスは
これまで二十年近く役目を果たしてきた天津に対し、
"報酬"を与える時期が来た、と連絡してきた。
十九年前。天津は、フェイスダウンに捕らわれた。
それ以来――二つの役割を与えられ、彼らのために働かされてきた。
はむかうこともできず、たった一つの"報酬"だけを心の支えにして、
耐え忍んできた。
フェイスダウンは――最初から、自身に対抗する組織を求めていた。
正確に言えば、その組織を自身が管理しやすいものにすることをだ。
そのために、最初に生まれた超常犯罪集団対策課は早々に潰された。
いや、天津が流した情報によって潰されたのだ。
――そのことを今昏睡している部下が聞けば、烈火のごとく
怒り狂うだろうが。
そうして生まれたCETは――総帥の望みどおり、動かしやすい組織となった。
彼の目的は、一つ。――精霊の"適合者"を育てあげ、それに伴い
"命"の精霊たちを覚醒させることだ。
その目論見は、ほぼ達成されつつあると言っていいだろう。
唯一の誤算としては……あの裏切り者のフェイス戦闘員に雷の精霊が
力を宿してしまったことだけか。
ずいぶんと遠慮深謀をめぐらすわりに、詰めが甘い男だと思う。
実のところ、あまり深く考えて動くタイプではないのではないかとさえ
感じている。何かあったら――それはそれで、面白いと思うタイプだ。
(とても、組織の長に向いているとは思えんな……)
胸中で軽く嘲笑する。もっとも、総帥ほどの頭脳の持ち主でさえ
"精霊"とは御しきれる存在ではない、とも言える。
フェイス戦闘員。改人。転移装置。
そのほぼすべては、総帥フルフェイスによって持ち込まれた超技術だ。
現代の人類では到底およばない、文字通り人智を越えたテクノロジーの
数々をもってさえ、"精霊"とは超常存在と呼ばざるを得ないらしい。
……だからこそ、こうしてイレギュラーが発生すると言うものだ。
すり、と頬から顎にかけてなでおろす。流石に、緊張しているようだ。
それも当然だ。長い間被ってきたいくつもの仮面。それを脱ぎ捨て、
彼の本性を暴露しようというのだ。平静では、いられない。
ぴりぴり、と無愛想な電子音が専用の無線機から鳴る。
取り出してボタンを押し通話モードにすると、少しだけ予想と違う
相手が出る。
『――天津か。そろそろ、下に追いやる』
「……"キープ・フェイス"か? 総帥ではなく、貴様が私に繋ぐとは、
珍しい」
意外に思い、たずねる。向こうは向こうで気に入らないらしく、
鼻をならして答える。
『アイツはもう片方の後始末だ。奴は、どうにも詰めが甘い』
「……実に不敬なことだな。フェイスダウンが総帥、
フルフェイス様に対して、な」
くしくも同じ感想を抱いてしまったむずがゆさにそんな軽口を叩く。
フェイスダウンの最高権力者にそのような口をきけるのは、
組織の処刑人――"キープ・フェイス"ぐらいなものだろう。
『……そろそろだ。お前の望み、かなえるときが来た。
支度は済んだか?』
「……覚悟もな」
おそらく、相手が考えているものとは違う覚悟だが。
通信を切り、地面に落として――踏み砕く。
もう、必要の無いものだ。二十年来使い続けてきたが、まるで
愛着がわくことは無かった。
砂浜に目をやり、その先に続く海へと視線を動かす。
……本来なら、迎えがくるはずだ。だが、機先を制するなら
こちらから動くころあいだ。
背を預けていたXinobi650に跨り、エンジンをかけようと――
「……そこまでだ、刑事局長、天津稚彦」
……かけようとしたその瞬間、凛とした声が響く。
ここにはいないはずの、女性の声だ。
少なからぬ驚きに振り向くが、顔は無表情なままだ。
心中を面に出さない技術は、ここまでのし上がるのに必要不可欠な
スキルだった。
「……御厨、仄香……か」
そこにいたのは――いまだ病院で昏睡しているはずの、CET作戦本部長だった。
拳銃を構え、隙なくこちらに照準をあわせている。
御厨だけではない。ざざっ、と装備に身を固めたPCPが
周囲に展開している。
治療中で意識が戻らないはずの、御厨。だからこそ彼女の動向に意識を
払ってはいなかった。それがここにいるということは――
「……つまり私は、はかられたということか?」
「ああ、そういうことだ」
もはやいつもの敬語をかなぐりすて、明確な敵意を見せて立ち向かう。
「……今の通信、傍受はできなかったがあなたの言葉は録音させてもらった。
はっきりと、フェイスダウンとの関与を示す言葉をね」
「……そうか。昏睡と言うのは、嘘だな?」
もはや明々白々のことではあるが、確認しておきたくて言葉にする。
対峙した彼女は頷くこともなく肯定する。
「……前々から、おかしいとは思っていた。
急に決まった外部施設でのホオリの検査。
協議と調整を重ねて、安全を確保したはずの彼女の外出。
そしてアルカーのお披露目を兼ねた火力演習……
そのすべてに、フェイスダウンは的確に襲撃をかけてきた」
確かに、そのお膳立てをしたのは自分だ。
しかし少なからぬ偽装工作はしてきたはずだ。それでも自分を疑ったのは、
どうも彼女の私怨が少なからずある気も、しなくはないが。
「……今回、私が重傷を負ったのはチャンスだと思った。
怪我で入院していることにすれば、私に対する警戒も薄れる。
その隙をぬって――複数の内通者候補の洗い出しを行っていた」
「そこに見事、私がひっかかったわけか」
CETには優秀な偵察員がいる。彼らの目を完全に誤魔化すことは、
できなかったか。
どるん、と排気音がひびく。
見やれば、赤いNX-6L……赤城火之夜の愛車が、御厨とは反対側から
やってきて、天津を挟み込むようにとまる。
すでにアルカーへと装身した姿だ。どうやら確実に天津をしとめるため
状況を整えていたらしい。
なかなかに、目敏い連中だ。二十年間隠し続けてきた自身の正体を、
まだ二十台も半ばの娘が暴くとは。素直に感嘆する。
だが――
「……しかし、だ。いささか――遅かったな」
「……なんだと?」
警戒を深めて御厨がトリがーに添えた指を軽く引く。
遊びのなくなった引き金は、いつでも弾丸を放てるだろう。
もはやそんなもの、今の自分に傷一つつけられないが。
「……勘はよかったし、対応も悪くない。
だが――もはや私には、今の立場は必要なくなったのだよ」
「刑事局長、そしてCETの後見人としての――立場が?」
緊張を深める二人の態度にやや頬が緩む。
そして、補足してやる。
「――フェイスダウンの手先としての、立場もな」
「なに……?」
ばしゃり。
水音が、天津の胸元から響き渡る。
怒涛があっというまにあふれ出し、天津の全身を巡り覆っていく。
「――なんだ!?」
「この、躍動……まさ、か……!」
予想外の事態に慌てふためく御厨と、いやな予感に狼狽するアルカー。
その姿を見て、少し溜飲がさがる。
相手の想像していなかった一手を叩きつけてやるのはいつだって、ここちよい。
自身に宿った水の精霊が、天津の身体を作り変えていく。
本来なら適合者ではない天津に、アルカーとしての力を無理矢理付与していく。
そう。
天津に与えられた、もう一つの役割。
人間の心の中を渡り歩く精霊の一つをその身に押し込み、その胎内で
育て上げていく、という使命。
だがその役割は、予定外の事態――"土の精霊"の覚醒と実戦投入によって、
異常をきたした。
水の精霊。土の精霊。
――両者は対となる、"形"の精霊。
無理矢理人々の感情データを押し流された土の精霊は歪み、その歪みは
半身たる水の精霊にも影響を与えた。
そして――天津は手に入れたのだ。全てを変える力を。
水のアルカー、"アルカー・ヒュドール"としての力を。
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