ザクロ甘いか酸っぱいか

中原 匠

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 馴染みの飯屋の二階の窓にもたれて、外を眺める。
 かなり空が高くなっていた。 
 昼間はともかく、朝夕などはかなり涼しく感じられる時があり、季節の移ろいを感じさせる。
 石榴は柄にもなく、ため息をついた。 

 このところ、善右ヱ門からの連絡が途絶えていた。
 あれほど精力的に薬草採りに出かけていたのに、最近、トンとお呼びが無いのだ。
 もう、欲しい薬草が揃い、採りにゆく必要が無いのかもしれない。
 それは有りうる事だ。何度も山に入り、かなりの量と種類を採取していた。
 または。もっと良い用心棒を雇ったのか。
 あれほどの大店だ。それに善右ヱ門は金払いがいい。なりたい者は大勢いるだろう。
 それとも…と顔をしかめる。
 あれは半月以上も前になるか。その時は、美味い蕎麦屋があるからと、引っ張りだされたのだ。
 喰い物の事ばかりだな。と呆れると、食べる事が好きなので。美味しく頂けるという事は、有難い事ですよ。と笑っていた。
 その帰り道。人通りの多い街道の中を、漆塗りの立派な駕篭が大勢の侍に囲まれてやってきた。
 庶民が使えるような駕篭かごと区別して、乗物のりものと呼ばれている物だ。道行く者は皆、それを避けて脇で待っていた。
 ふいにそれは止まり、供の侍のひとりが、こちらに走り寄る。善右ヱ門を駕篭へといざなうと、何事かと行きあわせた者たちが遠巻きに見守る中、乗物の引き戸が開いた。
 中にいたのは、まだ年若い男だった。どこかの若君様らしい。膝をついた善右ヱ門と、親しげに言葉を交わすと、ちらりと、脇で待つ石榴に目を向けた。
 あれは何者だ?と怪訝な顔で問うているのがわかる。
 善右ヱ門は何と答えたのか。聞こえなかったが、「獣のような男だ」と言う若君の声は聞こえた。
 もしかすると。あれが、文化堂をお抱えにすると噂の、藩の若君ではないだろうか。
 だとしたら。あのような下賤の者との付き合いはやめろ。と言われたのかもしれない。
「…けっ!」
 そんな自分の考えに呆れて、石榴は自嘲を浮かべながら、傍らの煙草盆に手を伸ばした。
「まったくもう。辛気くさいねぇ」
 紫煙の向こうに、おれんが立っていた。
 太い縞の着物を粋に着こなした腰に両手をあてて、仁王立ちで睨んでいる。
こえ怖え顔だな。おれん」
「アンタほどじゃあ、ないよ」
 ふん!と鼻で一蹴すると、石榴の手から煙管を奪いとって、さっさと吸い付ける。
「いい煙草じゃないか。これも、あの大旦那からの頂き物なんだろう?」
「まぁな」
「だったら、こんな所でとぐろ巻いてないで。さっさとご機嫌伺いに行っておいでな」
「ご機嫌伺いだぁ?」
「そうだよ。あんな良い旦那、逃がしたくはないだろう?」
「俺は、そんな…」
 拗ねたように横を向く石榴に、おれんは焦れように声を荒げた。
「さっさと行けって言ってるんだよ!この唐変木とうへんぼく。もしかすると、病で寝込んでるのかもしれないだろう?」
「病だと?」
「こんな所に。あんたに会うために、三日とあけずに通って来てたような、あの大旦那がだよ?もう半月も顔を見せやしない。余程のことがあったんじゃないのかい」
「いや、しかしなぁ。むこうにも都合ってモンあるだろう。そうでなくとも、あそこは薬種問屋だぞ。薬なら売るほど」
「だからこそ、だろう。この朴念仁ぼくねんじんが!」
 薬だろうが草津の湯だろうが、治せない病だってあるんだよ!という、おれんの声に追い立てられて、石榴は重い腰を上げた。


 さて。
 外には出たが、どうしたものかと。
 人の流れに身を任せながら、あてど無く歩いていたが、気が付けは、足は京橋に向かっていた。
 ここまで来たのだから、店の様子だけでもと、雑踏に紛れるように覗いてみる。
 薬種問屋文化堂は、相変わらず繁盛しているようで、人の出入りが途切れることはない。別段いつもと変わらないように見えた。
 店頭で、若い娘たちの相手をしているのが、こちらの店を任されているという旦那だろう。
 愛想良く笑いながら話を聞いている。噂どおりの、すらりとしたいい男だ。
 店の者に指示をして、客の求める品を揃えるのにも、そつがない。

 ふいに。
 うなじの毛が逆立つような、嫌な気配を感じた。
 あたりを見回すと、人混みの向こうの男と目が合う。
 いや、目が合ったような気がしたのだ。しかし相手は黒い塗笠を目深にかぶり、顔は見えない。それでもこちらを見ている。そう思った。
 睨み合うこと、数瞬。相手はかすかに口の端を上げると、その場から立ち去った。
 なんだ、あいつ?
 石榴の背は、ぐっしょりと汗で濡れていた。
 詰めていた息を吐くと、つんつんと袖を引かれているのに気が付いた。
 傍らを見ると、今度は、恐々と見あげている子供と目が合った。商家のお仕着せを着た、丁稚のようだ。
「何だ?」
 あっち、と言うように小さな手で、指をさす。その方に顔を上げると、文化堂から少し離れた路地の入口で、手招いている男が見えた。
 ありがとうよ。と丁稚の頭を撫で、石榴は何気無いふうを装って、その路地へと移動した。
 素早く曲がって板塀沿いに奥に進むと、途中の木戸が開いている。中をうかがうと、どこかの裏庭のようだ。蔵の前に積まれた荷物の上で、三毛猫が大きく伸びをしていた。
「早く入って。木戸を閉めて下さい」
 見れば、男が一人、立っていた。先程の者とは違う。背が高く、髪はもうほとんどが白い。かなり年配のようだが、背筋のしゃんと伸びた、目付きの鋭い男だった。
「あなたが、石榴さんですか?」
 じろじろと無遠慮に見ながら、口を開いた。
「そうだが。あんたは?」
「私は文化堂の大番頭で、与助よすけと申します。以後、お見知りおきを」
 そう言って深々と腰を折る姿は、商人のそれだったが、石榴はかすかな違和感を覚えた。
「あんたは、元は侍か何かかい?」
「何故、そう思います?」
「いや。違うならいいんだ。悪かったな」
 質問に質問で返され、深追いはせずに引く。キラリと、目が光ったような気がした。
「それで?何かあったのかい。俺をこんな所に呼び込んで」
 気を取り直すように、冗談めかして言う石榴に、与助は頷いた。
「大旦那様が、何者かに襲われました」
「何だと!」
 いつ?と訊くと、半月ほど前だという。所用で出かけた、帰り道の事だった。
「物盗りか?」
「それはわかりません。幸い怪我も無く、ご無事でしたが。用心のため、出歩かないようにと」
「それで、用心棒は?何人雇った」
「用心棒は一人もおりません」
「どうして?」
「大旦那様が、大事おおごとにする必要は無いと仰いまして」
「そういう問題じゃねぇだろうが。何考えてんだ、あの親父はよう」
 唸るように言い捨てる石榴を、与助は値踏みするような目で見ている。
「じゃあ今は?どうしてるんだ」
「店の者が付いております」
 薬草採りに行った際に付いてきた三人は、たしかに屈強な身体つきをしていた。しかし。
「大丈夫なのか?」
「今のところは」
 そうか…と石榴は嘆息した。
「それで。あなたにも、お願いできないかと」
「そりゃあ、もちろん」
 否やは無い。むしろ、すぐにでも知らせてくれればよかったのだ。
「大旦那は、今、どこに居るんだ?」
「本宅に」
 与助は、声をひそめて答えた。


 大旦那、善右ヱ門の住まう本宅は、京橋からはかなり遠く、郊外にあった。
 背後の山から続くように木々が生い茂り、まるで緑のとばりの中に隠れ建つ庵のようにも見える。以前はここで商いもしていたという話だったが、よく客が来たものだと思う。
 それほど善右ヱ門の調合した薬は、良く効くという事なのだろう。
 質素な作りに見える門は、思いのほか頑丈そうで、連なる塀も高い。
 先に来た時に比べると、いろいろと補強されているようだった。
 ためしに裏手に回ってみると、以前、怪我をした石榴が潜り込んだような植込みの隙間は、見つける事はできなかった。
 一応、用心はしているらしいな。と呟きながら、今度は締まったままの門を叩き、訪いを入れた。
 訝しがられる事も無く、むしろ待ち受けていたような気すらするほどすんなりと、座敷へ案内される。そして腰を下ろすより早く、廊下をこちらへ足早に来る音が聞こえた。
「石榴さん」
 閉められかけた襖をこじ開けるようにして、座敷に転げ込んで来た善右ヱ門を、石榴は受け止める。案内の女中が驚いていた。
「なんです?」
「いや」
 不思議そうに見上げる善右ヱ門は、少し痩せたように見える。
「どうして、ここに?」
「大旦那のご機嫌伺いに行けと、おれんが五月蠅うるさくてな」
「おれんさんが?」
「ああ。まぁそれだけじゃ無いんだが」
 とにかく座ろう。と手を放した。
 薫り高い茶を一口飲み、実はな。と、向かいに座る善右ヱ門の顔を見る。
「通りすがりに京橋の店を覗いたら、妙な男がいたんだ」
「どんな男です?」
「いや、笠を深く被ってたんで、顔は見えなかったんだが。酷く痩せてて、黒づくめの、なんとも嫌な気配のする男でな」
「嫌な気配、ですか」
 善右ヱ門は怪訝そうな顔で、聞き返す。
「それは、どんな?」
「なんてぇかこう、うなじの毛が逆立つような?ひりひりするような」
「ほう」
「それでまぁ。あんたに何かあったんじゃないかと、思ってな」
 やって来たわけだ。と石榴は肩をすくめた。
「迷惑だったか?」
「まさか。嬉しいですよ。来てくださったのは」
 うふふ。と笑って、善右ヱ門は息をつく。
「店の者に、話を聞きました?」
「ああ。襲われたらしいな」
 石榴はあっさりと応える。おっとりとしているが、なかなかどうして。善右ヱ門はさとい。
「なのに、用心棒も雇っていないとか」
「事を、荒立てたくなかったのでね」
 店の者たちが付いててくれますし。と微笑む善右ヱ門に、石榴はため息をついた。
「俺の出番は、無さそうだな」
 そう言って腰をあげると、引き止められた。
「石榴さんも、居て下さいな」 
「何故?」
「私が居て欲しいからです」
 本当はねぇ。と、ぽつり、ぽつりと話し出す。
「あなたを巻き込みたくはなかったので。知らせなかったのですけども」
「巻き込みたくなかった?」
 それは、つまり。
「身に覚えがあるって事か。襲われるような」
 この、太平楽とされる大旦那に。
「ええまぁ。それなりに」
 さらりと言い放つ善右ヱ門を、石榴は初めて会った相手のように見返した。



 またここへ、戻って来るとはな。
 そう思いながら、石榴は逗留場所としてあてがわれた部屋を見回す。
 以前、怪我をして転がり込んだ時、寝かされていた、例の離れだ。今度は、真新しい畳の匂いはしていなかった。
「そうそう、替えられるもんじゃねぇしな」
 なにしろ畳は高価なものだ。板張りのままの家も多い。
「え?」
 石榴の呟きに、案内役の若い男が振り向く。
「何か入用の物があったら、言って下さい。私は、ここの手代で、正吉まさきちと申します」
「おう。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。それから夕餉なのですが、大旦那様がご一緒したいとの事ですので、のちほど呼びに参ります。あの…」
 流れるように話していた正吉が、急に口ごもる。
「ん?なんだ。何か気になる事でもあるのか?」
 正吉は、細身だが骨のしっかりした身体つきをしている。動きにも隙が無い。それが何かを言いだしかねて、俯いてもじもじとしている。
 しばらく待っていると、思い切ったように顔を上げた。
「石榴さん。おいで下さって、ありがとうございます!」
「お、おう」
 その勢いに面食らう。
「大旦那様が、夕餉に鴨を食べたいと、仰られたのです」
 嗚呼。と感激したように嘆息する正吉に、石榴は怪訝な顔をする。
 鴨は善右ヱ門の好物なはずだ。それを食べたいと言う事に、なにゆえ礼を言われるのか。
「夕餉が、何だって?」
「ここ最近は、あまりお召し上がりになりませんでした。心配して、いろいろと好物などをお勧めするのですが。あまり動かないから、腹も空かないと仰るばかりで」
 痩せていたのはそのせいか、と得心した。
「家人一同、とても喜んでおります。大旦那様がお元気になられて」
 ふうん。と石榴は息を漏らす。たしかに、ずっと家の中に閉じこもっていては、腹も空かないだろうし、気も滅入る。ならばさっさと用心棒でも雇って、外出すればよいだろうに。
 そう言ったら、正吉はいやいやいや。と手を振った。
「それも考えたのです。しかし、大旦那様は知己で無い者と一緒に居る事を好まれません。用心棒ともなれば、四六時中、傍に居るわけですから。どこの誰ともわからないような者とは、無理ですよ」
「俺も、どこの馬の骨ともわからん者だがな」
 石榴の唇に、自嘲のような笑みが浮かぶ。
「いいえ。石榴さんは、以前にここに居たのですから。大旦那様は、知己だと思っておられるかと」
「そうかな…」
「そうですよ」
 でなければ、あれほど嬉しそうなお顔はなさいませんよ。そう結んで、正吉は母屋の方へと戻っていった。 

 用心棒とはいっても、今は取り立ててやる事は無かった。
 すぐに暇を持て余した石榴は、警戒の名目で屋敷の中を歩きまわった。
 前の時は、怪我をしていた事もあって、離れ周辺しか見ていない。
 動けるようになるとすぐ、逃げ出したからだ。
 ここの庭には、山野で採取した薬草を元に栽培している畑が多数あって、それらが放つ独特の匂いがしている。
 それが嫌だったのかも知れない。と今になって思った。
 大勢いる家人たちは、その世話に忙しく働いている。お店者たなものというよりは、学者のような風情だ。
 ただ、そのわりには屈強な者が多く、身のこなしも素早い。
 なるほどこれでは、わざわざ他所から用心棒など雇う気にはならないかと思われた。
 ぶらぶらと歩きまわり、下働きの者たちとも、あたりさわりのない世間話などしてみる。
 そうして分ったのは、大旦那の善右ヱ門が、皆に好かれているという事だった。
 京橋の店から旦那の清太郎も来て、わざわざ挨拶してくれた。とても心配しているのがよく分かった。
 それでも、ひとり歩きが好きな善右ヱ門を、屋敷に閉じ込めるという事はしないのだ。石榴のところに訪れる時も一人ではあったが、常に陰ながら誰かが付いていた。
 甘やかし過ぎではないかとも思うが、それを許してしまう気持ちも分らないでもない。
 ただ。
 そのわりに、ここには家族は居ないみたいだった。



 二日、三日と、穏やかに日は過ぎていった。
 昼下がり。石榴は、庭に面した日当たりの良い座敷で、善右ヱ門がやっている薬草の仕分けを手伝っていた。それは仕事というには楽しげで、本当に薬草の事が好きだとわかる。
 そこに、京橋の店から使いが来たと、手代の正吉がお伺いをたてにきた。
「構いませんよ。ここに通しなさい」
 鷹揚に応える善右ヱ門に、石榴は席をはずそうと腰をあげた。 
「離れに居るから。用があったら呼んでくれ」
 そう言い置いて、大柄な石榴が、鴨居にぶつからないように頭を下げて座敷を出ると、見覚えのある男が廊下に立っていた。
 京橋の、裏庭で会った、大番頭の与助だ。
 軽く会釈をして通り過ぎる。前と変わらず、値踏みするような鋭い目をしていた。
 石榴が離れに戻り、しばらくすると与助がやってきた。
「お話があるのですが。お邪魔して宜しいですか」
 伺いをたてているようで、有無を言わせない強さがある声だ。
「おう。構わねぇよ。何だい?」
 与助はおもむろに正座すると、床柱にもたれて座っている石榴に、深々と頭を下げた。
「なんの真似だ」
「まずは心からの御礼を。ありがとうございます」
「だから、何が?」
「大旦那様の事です。お食事も召しあがるようになられたと、聞きました」
「ああ、らしいな。まぁ身体動かさねぇと、あんまり腹も減らないしな」
「そうですね」
 顔をあげた与助は、笑みを浮かべて石榴を見た。
「ねぇ、石榴さん」
「ん?」
「先に京橋の店で会った時。あなたは私に、元は侍だったのか?と訊きましたね」
「ああ。そんな気がしてな。気を悪くしたんなら、謝るぜ」
「いえ。実のところ、私は以前。さる藩の禄を食んでおりました」
「やっぱり侍だったと?」
 居住まいを直した石榴に、与助は、ええ。と頷く。
「故有って藩の名は申せませんが、先代の大殿には、なかなかお世継ぎに恵まれず、側室も持たれなかったので、ご養子をお迎えなさりましてな」 
 それが?と、石榴は首をかしげる。何処に転がる話なのか見当もつかない。
「とても賢き若君で、家臣一同、安堵したのですが。二年後、御正室様が、ご懐妊されまして」
「え。まさか」
「若君でした」
「するってぇと、どうなるんだ?血筋的には弟の方が本筋だが」
「すでに幕府の方にもお世継ぎとして願い出てあった、兄君が藩主に」
「良かったのかい?それで」
「良いも悪いも無いのです。決まっていた事なので。しかし藩主となられた殿ご自身が、それをよし好とされなかった…」
「あ?」
 訝し気な顔の石榴に、与助は大きく息をつく。
「藩内が兄君派と弟君派の真っ二つに分かれて、もめましてね。殿は、ご病気を理由に早々に隠居届けを幕府に出し、藩主の座を弟君にお譲りになったのです」
「それじゃあ、今は?」
「別邸で、療養中。という事になってはいますが」
「が?ってこたぁ、まだ先があるのよ」
「ええ。その後、間を置かずして別邸から出奔。兄君派の主だった家臣も共に脱藩しました」
「まさか、そいつは…」
 石榴は、母屋の方を見た。
「殿は本草学がお好きでしてね。薬草にも詳しく、家臣たちにもよく調合して下さいましたよ」
「なんで、そんな話を俺にする?」
 低い声で訊く石榴に、与助は鋭い視線を返す。
「覚悟しておいて頂きたいのです」
「覚悟だと?」
 ええ。と与助は頷く。
「昨今。どこの藩も財政が困窮しております。かの藩も別邸をなくすようで」
「誰も居ねぇんだろ?たしかに無駄だよな」
「病気快癒ならず、との偽りの届け出を幕府にするわけですが。できればそれを、まことの事にしておこうと考える輩もいるとか」
「真の事?」
「後顧の憂いを絶つために」
「おい!」
「今回の襲撃が、その筋なのか、どうなのか。いまだ確信はありません。思いがけず始めた商いが繁盛し、こちらの方でも恨みを買っておるやもしれません」
 しかし。と与助は膝を詰める。
「藩の存亡を賭け、密命をおびた、手練れの者たちが来るやもしれませぬぞ。石榴殿」
 それでも宜しいか?と、強い目をして囁いてくる。
 いまや完全にお店者の皮を捨て、武士の様相で迫る与助から、石榴は目を逸らさなかった。
「殿様だろうが何だろうが。俺には関係ねぇよ。大旦那を護るだけだ」
 相手が猪だろうと。手練れの刺客だろうと。
 ただ、それだけだ。
 そんな石榴の返事に、与助は満足したような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「いや…」
 感謝されるのに慣れてなく、面映ゆい。照れ隠しに、腰に下げた煙草入れを取り上げた。
「何しろ、こんなモンまで貰っちまったからな」
 なめした鹿の皮に、黒い漆で装飾を施した、印伝作りの煙草入れ。
 前金具と緒締めには獅子の装飾がほどこされ、帯に下げるための細かい鎖の束の先にある根付は、熟したザクロの実を模っている。
 どう見ても、一から注文して作らせた物だ。中には上物の葉煙草が入っていた。
「少なくとも、これに見合う仕事はさせてもらうよ」
「お願いいたします」
 与助は、再び深々と頭を下げた。


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