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詰められない距離
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ガタガタと窓が揺れる音が響く。外は相当寒いのだろう。確か、ニュースではこの冬一番の冷え込みになると言っていた。深夜から、雨か雪が降るそうだ。
去年のクリスマスもこんな天気だった。世間は、ホワイトクリスマスだと浮かれていた。
雪に不慣れなこの町。自動車の運転には気を付けてほしい。タイヤを雪に取られた自動車は、凶器そのもの。去年のクリスマスのような事故は二度と起きてほしくない。
そんなことを考えながら、歩を上げて角道を開ける。
パチン
「メリークリスマス」
やっていることとそぐわない言葉に対し、ミクから返答はない。クリスマスイヴの深夜に、将棋を指す若い男女なんてのは僕たちだけだろう。
「王手」
桂馬で相手の歩を取る。
パチン
あえて成らずに、桂馬で王手をかける。角道も空いているし飛車も狙える位置にいる。一気に畳みかけて穴熊を崩そうと、頭の中ではシミュレーションする。
会話を盛り上げる突破口がほしくて、世間話を振ってみた。
「今日は寒いね」
ミクは銀で桂馬を取りながら答える。
「狭い穴熊、暑いくらいだよ」
パチン
確かに、ストーブの火が灯るこの部屋は、汗ばむほど暑い。それに、灯油の匂いが鼻をくすぐる。
僕は10歳の頃、祖父に連れられて将棋倶楽部へ行った。お年寄りばかりのそこではよく可愛がられたが、やることと言ったら将棋しかない。出されるお菓子もせんべいやかき餅でちっとも嬉しくない。その日のうちに、おじいちゃんに誘われても来ないと決めた。
しかし、ミクと出会った。ミクも僕と似たような境遇らしく、1年前からここに来ているそうだ。おじいちゃんに教えられてもやる気になれなかった将棋が、ミクから教わるとやる気になれた。歳も近いし、周囲のお年寄りたちは「孫は孫同士で」なんて言って、僕たちの対局を微笑ましく見ていた。
子供の頃、将棋を始めたのが早いミクに勝てたことがなかった。しかし、今となっては単純に実力の差で勝てない。将棋を始めて10年以上、ミクとの対局は二千をはるかに超えるが、勝てたことが無い。
ミクが歩を張って僕の角道を塞ぎながらため息を吐き出すように言う。
パチン
「私、もう結婚出来ない」
ここ数年、対局の度に『将棋にしか興味の無い女は結婚できない』とミクが愚痴った。そして、この話題になると決まって僕が言う。
「俺がもらってやるよ」
しかし、ミクは冗談でも首を縦に振ったことが無い。
「私より将棋の弱い男に興味はないの」
去年のクリスマスの夜もミクと対局したが、僕はいつも通り負けた。そして、いつも通りふられた。その後、ミクは住むところが遠くなってしまったので、今日は一年ぶりの再会であり、一年ぶりの対局となる。
ミクの銀が上がったので、フリーになった金を飛車で取る。
パチン
連続大手が途切れたが、盤上はかなり有利。ついに、今年こそ勝てそうだと気合が入る。ストーブの火が強すぎるのか、それとも勝てそうなので興奮しているのか、汗が噴き出す。そして息苦しさを感じ咳き込んだ。盤面に集中するあまり、呼吸を忘れていたのかもしれない。
詰将棋の如く続いた連続大手が途絶えたところで、ミクは攻めに転じたのだろう。手駒の桂馬を盤面の中央に張る。
パチン パチン
ミクの手は、僕の銀と香車を同時に狙っている。悪い手ではない。いつもの僕なら、ミクのこの一手を無視して攻撃を続け、攻めきれずに逆転をされる。途中で無視したミクの一手に足元をすくわれるのだ。しかし、今の僕には冷静さも残っている。逆転の狼煙は上げさせない。
角を下げ、ミクの桂馬を取る。
バチン
バチン バチン
続いてミクは、僕の角へ向けて銀を上げた。
次の一手で勝負は決まる。ついに僕はミクを投了させる。ミクを詰め落とす。
「ミク、結婚しよう。俺が迎えに行くから。王手」
飛車を下げ、王手をかける。
バチバチバチ
ドーン
キッチンから爆発するような大きな音。勝った、全て詰め切った。
去年のクリスマス、僕が勝っていればミクが一人で雪の中を帰ることはなかったはずなのに。あんなこと起きなかったはずなのに。離ればなれにならなかったはずなのに。一年間、背負い続けた後悔が、今、終わる。
やっと、ミクとの対局も、ミクとの関係も、居場所も全て詰めきった。これでミクの元へ行ける。
そう確信した次の瞬間、ミクがにやりと笑った。ミクのほくそ笑む表情と、焦げた匂いが妙に鼻につく。
「甘い、相変わらず甘い。調子に乗って攻撃ばかりしているから、角道が空いたことを見落とすのよ」
ミクが張った桂馬、その後の数手で穴熊の中にいた角道が空いていた。ミクは人差し指と薬指で角を挟み、高らかと掲げる。そして、すっぽりと空いた角道の先、玉を弾き飛ばす。
バチバチバチドドーン
「私に勝つのも、私の元に来るのもまだまだ早いわよ」
僕はその場にぱたりと倒れる。もう、マヒしたのだろうか熱さは感じない。同時に意識が薄れてゆく。このままでは、次にいつミクに会えるかも分からない。必死に意識を取り戻そうするが、既に目が開かない。せめてミクの声を聴きたいと耳に意識を傾ける。
ザーーーーーー
バチバチと、建物が焼ける音、ガスや電気に引火して爆発する音。その合間に、他の音が混じっている。いつの間にか降り出していたのだろう、激しい雨の音。天気予報は当たったようだ。
撒いた灯油の匂いはもうない。全て火に変わったのか、それとも僕の鼻が麻痺しているのか。負けたままミクのところへ行くわけにはいかない。
あれからどれくらいたったのだろう。時間の感覚もなくなっている。雨の音はいっそう強くなっていて、建物の焼ける音は消えている。身体が雨に濡れていてひどく寒い。やけ崩れた壁の隙間から冷たい風が吹き込んでいる。もうろうとする意識の中、ミクの声が聴こえた。
「生きて。死に急がないで。こっちに来るには、まだ早すぎる」
去年のクリスマスもこんな天気だった。世間は、ホワイトクリスマスだと浮かれていた。
雪に不慣れなこの町。自動車の運転には気を付けてほしい。タイヤを雪に取られた自動車は、凶器そのもの。去年のクリスマスのような事故は二度と起きてほしくない。
そんなことを考えながら、歩を上げて角道を開ける。
パチン
「メリークリスマス」
やっていることとそぐわない言葉に対し、ミクから返答はない。クリスマスイヴの深夜に、将棋を指す若い男女なんてのは僕たちだけだろう。
「王手」
桂馬で相手の歩を取る。
パチン
あえて成らずに、桂馬で王手をかける。角道も空いているし飛車も狙える位置にいる。一気に畳みかけて穴熊を崩そうと、頭の中ではシミュレーションする。
会話を盛り上げる突破口がほしくて、世間話を振ってみた。
「今日は寒いね」
ミクは銀で桂馬を取りながら答える。
「狭い穴熊、暑いくらいだよ」
パチン
確かに、ストーブの火が灯るこの部屋は、汗ばむほど暑い。それに、灯油の匂いが鼻をくすぐる。
僕は10歳の頃、祖父に連れられて将棋倶楽部へ行った。お年寄りばかりのそこではよく可愛がられたが、やることと言ったら将棋しかない。出されるお菓子もせんべいやかき餅でちっとも嬉しくない。その日のうちに、おじいちゃんに誘われても来ないと決めた。
しかし、ミクと出会った。ミクも僕と似たような境遇らしく、1年前からここに来ているそうだ。おじいちゃんに教えられてもやる気になれなかった将棋が、ミクから教わるとやる気になれた。歳も近いし、周囲のお年寄りたちは「孫は孫同士で」なんて言って、僕たちの対局を微笑ましく見ていた。
子供の頃、将棋を始めたのが早いミクに勝てたことがなかった。しかし、今となっては単純に実力の差で勝てない。将棋を始めて10年以上、ミクとの対局は二千をはるかに超えるが、勝てたことが無い。
ミクが歩を張って僕の角道を塞ぎながらため息を吐き出すように言う。
パチン
「私、もう結婚出来ない」
ここ数年、対局の度に『将棋にしか興味の無い女は結婚できない』とミクが愚痴った。そして、この話題になると決まって僕が言う。
「俺がもらってやるよ」
しかし、ミクは冗談でも首を縦に振ったことが無い。
「私より将棋の弱い男に興味はないの」
去年のクリスマスの夜もミクと対局したが、僕はいつも通り負けた。そして、いつも通りふられた。その後、ミクは住むところが遠くなってしまったので、今日は一年ぶりの再会であり、一年ぶりの対局となる。
ミクの銀が上がったので、フリーになった金を飛車で取る。
パチン
連続大手が途切れたが、盤上はかなり有利。ついに、今年こそ勝てそうだと気合が入る。ストーブの火が強すぎるのか、それとも勝てそうなので興奮しているのか、汗が噴き出す。そして息苦しさを感じ咳き込んだ。盤面に集中するあまり、呼吸を忘れていたのかもしれない。
詰将棋の如く続いた連続大手が途絶えたところで、ミクは攻めに転じたのだろう。手駒の桂馬を盤面の中央に張る。
パチン パチン
ミクの手は、僕の銀と香車を同時に狙っている。悪い手ではない。いつもの僕なら、ミクのこの一手を無視して攻撃を続け、攻めきれずに逆転をされる。途中で無視したミクの一手に足元をすくわれるのだ。しかし、今の僕には冷静さも残っている。逆転の狼煙は上げさせない。
角を下げ、ミクの桂馬を取る。
バチン
バチン バチン
続いてミクは、僕の角へ向けて銀を上げた。
次の一手で勝負は決まる。ついに僕はミクを投了させる。ミクを詰め落とす。
「ミク、結婚しよう。俺が迎えに行くから。王手」
飛車を下げ、王手をかける。
バチバチバチ
ドーン
キッチンから爆発するような大きな音。勝った、全て詰め切った。
去年のクリスマス、僕が勝っていればミクが一人で雪の中を帰ることはなかったはずなのに。あんなこと起きなかったはずなのに。離ればなれにならなかったはずなのに。一年間、背負い続けた後悔が、今、終わる。
やっと、ミクとの対局も、ミクとの関係も、居場所も全て詰めきった。これでミクの元へ行ける。
そう確信した次の瞬間、ミクがにやりと笑った。ミクのほくそ笑む表情と、焦げた匂いが妙に鼻につく。
「甘い、相変わらず甘い。調子に乗って攻撃ばかりしているから、角道が空いたことを見落とすのよ」
ミクが張った桂馬、その後の数手で穴熊の中にいた角道が空いていた。ミクは人差し指と薬指で角を挟み、高らかと掲げる。そして、すっぽりと空いた角道の先、玉を弾き飛ばす。
バチバチバチドドーン
「私に勝つのも、私の元に来るのもまだまだ早いわよ」
僕はその場にぱたりと倒れる。もう、マヒしたのだろうか熱さは感じない。同時に意識が薄れてゆく。このままでは、次にいつミクに会えるかも分からない。必死に意識を取り戻そうするが、既に目が開かない。せめてミクの声を聴きたいと耳に意識を傾ける。
ザーーーーーー
バチバチと、建物が焼ける音、ガスや電気に引火して爆発する音。その合間に、他の音が混じっている。いつの間にか降り出していたのだろう、激しい雨の音。天気予報は当たったようだ。
撒いた灯油の匂いはもうない。全て火に変わったのか、それとも僕の鼻が麻痺しているのか。負けたままミクのところへ行くわけにはいかない。
あれからどれくらいたったのだろう。時間の感覚もなくなっている。雨の音はいっそう強くなっていて、建物の焼ける音は消えている。身体が雨に濡れていてひどく寒い。やけ崩れた壁の隙間から冷たい風が吹き込んでいる。もうろうとする意識の中、ミクの声が聴こえた。
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