紅き風は空を駆ける。

雪野耳子

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風影の禁剣

焔に染まる地に、慟哭は響く

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 灰と煙が空を覆い、逃げ惑う人々の悲鳴と怒号が入り混じる。
 藍都の中央に位置する役所前の広場。
 そこは今や、焼け落ちた建物と崩れた瓦礫が乱雑に転がる戦場となっていた。
「こっちだ! まだ間に合う! 裏路地を使え!」
 怒声が飛ぶ。
 紅雷怕――藍都の警衛都尉は、右腕から血を流しながらも剣を振るい、逃げる市民の背を守っていた。
 隣には、長兄・紅烈英が盾を構えながら兵を制し、道を切り開いていく。
 多勢に無勢。
 圧倒的な数と装備に対し、雷怕と烈英の戦いは、もはや耐えるだけで精一杯だった。
「父上……このままでは……!」
「喋る暇があるなら動け! まだ逃げきれていない者がいる!」
 雷怕の言葉に、烈英は顔をしかめ、さらに一歩前に出た。
 振るわれる槍を盾で受け、隙間から剣を突き出す。
 だが、敵を一人倒しても、すぐに別の兵が現れる。
(くそっ……キリがない)
 呼吸が荒れる。喉の奥が鉄の味で苦い。
 だが、背後には守るべき民がいる。足を止めるわけにはいかない。
 そのときだった。
 ズシン、と地を鳴らす馬の蹄音が響いた。
 焼け落ちかけた門の向こうから現れたのは、真紅の飾り紐をなびかせた戦馬に跨る、一人の大男。
 鎧は黒鉄と深紅を基調にした重装で、その肩には赫州の紋章。
 手にした武器は、青龍偃月刀を彷彿とさせる巨大な刃――長柄の斬馬刀。
 その存在感だけで、広場の空気が一変する。
「おいおい……なかなか、骨のある奴らがいるじゃねぇか」
 唇の端を吊り上げたその男が、嘲るように嗤った。
 赫州鎮南将軍・林黄牙――
 赫州でも最も恐れられる“戦鬼”の異名を持つ猛将だった。
「我が名は林黄牙。赫州鎮南将軍だ」
 その声が響くと同時に、兵士たちが一斉に動きを止めた。
 雷怕と烈英も一歩距離を取り、警戒を強める。
「貴様ら、なぜこのような真似を……! 我らは民を守るために、何も……!」
 烈英が怒りを込めて叫ぶ。
「何も、だぁ? 我が州の民が、ここの連中に殺された。その償いをしろと言ったのに、謝罪を拒んだのはそっちだろうが」
「それは……藍都令がすでに謝罪の使者を――!」
「謝罪? そんなもんで命が戻ってくるか。降伏勧告も突っぱねた。なら、力でケリをつけるまでだ」
 そう言って、林黄牙は斬馬刀を地面に突き立てた。
「だが――正直、全部斬っちまうのも芸がねぇ。そこで提案だ」
 その目が、楽しげに細められる。
「お前ら二人のうち、どっちでもいい。俺に一太刀でも浴びせられたら、ここにいる民は逃がしてやってもいいぜ」
 その言葉に、広場がざわめいた。
 雷怕と烈英が視線を交わす。どちらも、引くつもりはなかった。
「……紅雷怕。藍都警衛都尉として、名乗らせてもらう」
「紅烈英。衛将として、この命、悔いなく使わせてもらう」
「おうおう、いいツラしてる。乗ったぜ。派手にやれよ――!」
 林黄牙は手綱を片手で引くと、ひらりと馬から飛び降り、重厚な鎧を揺らしながら、斬馬刀を肩に担いだ。
 烈英が先に駆けた。 短く刃を振り上げ、斜めに切り込む。
 林黄牙は、片手で斬馬刀を振り抜いた。

 ガギィィン!

 衝撃音。
 烈英の剣が、斬馬刀の一撃で砕けた。
 そこに雷怕が割って入る。
 斬馬刀の死角から踏み込み、脇腹を狙う。
「よっ……と」
 林黄牙はその巨体に似合わぬ軽やかさで身を捻ると、斬馬刀の柄尻を雷怕の胸に叩き込んだ。
 肉が裂けるような音と共に、雷怕の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ぐっ……ま、まだ……っ」  
 血を吐きながらも、雷怕は半身を起こし、烈英に声を絞り出す。  
「行け……烈英……一太刀でも……あいつに……」
「父上っ!!」  
 烈英が叫びながら、盾を構えて突進するが、林黄牙は笑ったまま、盾ごと烈英を地面に押し倒した。
 次の瞬間、烈英の胸に、刃が深々と突き刺さる。
 血が噴き出し、白目を剥いたまま、烈英は動かなくなった。
「ふぅん……悪くなかったぜ。お前ら」
 まるで虫を潰した後に感想を述べるかのように、林黄牙は飄々と呟いた。
 その声が、血と火の匂いに満ちた空気を震わせた。
「父……さま……?」
 焼け焦げた広場の隅。
 土煙と血の匂いの中、か細い声が漏れた。
 玲華だった。
 炎をかきわけ、ようやくたどり着いたその先、目にしたのは、倒れ伏す父と兄の姿。
 その傍らには、巨大な斬馬刀を肩に乗せた武人が立っていた。
 ――林黄牙。
「う……そ……」
 視界がぶれた。
 頭の中で何かが壊れた。
 喉が焼けるほど叫びたかった。けれど、言葉にならなかった。
 足が勝手にふらつき、膝から崩れ落ちる。
 震える指が、焼け焦げた地面を掴む。
 それでも、目を逸らせなかった。
「……っぁあああああああああああああっ!!!」
 空に向かって、叫びが喉を突き破るようにほとばしった。
 絶望。怒り。悔しさ。
 すべてが混じった、言葉にならない慟哭。
 焼けた空に吸い込まれていくその叫びに、誰も応えるものはいない。
 林黄牙は斬馬刀を肩に担いだまま、血に濡れた大地に立ち尽くしていた。
 そして、玲華の姿に目を留める。
 小さな影。だが、確かに何かを宿した眼差し。
「おい……あれ、ガキか?」
 にやり――口元を吊り上げる。
「ガキのくせに、その目……悪くねぇな」  
 林黄牙の視線が、玲華の手元にある小さな刃へとわずかに下る。
 玲華は、気づけば短剣を握っていた。  
 父が斬られ、兄が倒れたあの瞬間――胸の奥から、何かが爆ぜた。  
 怖いと思う前に、悔しいとも思う前に、ただ、怒りが燃え上がった。  
 焼けた空気すら飲み込むような、真っ赤な憤怒だった。
 逃げるためじゃない。守るためでもない。
 ただ、怒りをどこかにぶつけたかった。  
 その感情が、短剣を掴ませた。
 まだ幼いその手に握られた刃――だが、そこに宿る意志を、林黄牙は確かに見た。
「お前がっ!」  
 玲華は睨みつけると短剣を構えた。
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