さよならの続編

軌跡

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序章

「日常Ⅰ」

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「―か、―い…―ずか」
 あまりよく聞き取れないが、誰かがとてつもない至近距離で声をかけてきたことが、赤崎にはわかった。机に突っ伏して惰眠を貪っている赤崎だったが―声を聞けば、おのずとそれが誰なのか、わかる気がした。肩を揺すられ、思わず眉間にしわが寄る。
 声は次第に大きくなり、眠りを邪魔されたくない赤崎としては、もはや雑音以外のなにものでもない。…のだが、相手が相手なだけにそう思えないでいるのが現状だった。
 そしてまた、この声に起こされると気分を害されないことも現状である。
 無機質な電子音で起こされる朝とは違い、不機嫌な唸り声は出てこない。
「ん…んー…ん?」
「お、やっと起きたか…うわっ」
 とてつもない至近距離、ということはわかっていたのだが、まさか覗き込むような体勢で彼が側に立っているとは思っていなかったので、頭を上げた赤崎の後頭部と彼の顔面は、見事に噛み合ってぶつかった。
 顔面に大ダメージを受けた相手は、声にならない声を上げて顔を両手で覆う。対して赤崎の方は、相手方のようなオーバーリアクションはせず、ただ後頭部を押さえて「痛い」と呟くだけだ。
「痛いはこっちの台詞だろうがこのアホ!」
「…いや、うん。…ごめん?」
「なんで疑問系なんだよ!」
 珍しく素晴らしい寝覚めだったというのに、何故起きて早々怒鳴られなければならないのかと、赤崎はわざとらしく溜息をつく。
「ったく…溜息つきたいのはこっちだっつうの」
「溜息をついたら幸せが逃げるんだよ、知らないのかい?」
「お前が元凶だろうが!つうかその台詞、そっくりそのままてめえに返す!」
 今日はまた一段とやかましいなあ。きちんとカルシウムを取れているのだろうか。全く、毎日毎日その怒鳴り声に付き合わされるこっちの身にもなってほしい。
 と、そんなことを内心でぼやいた赤崎であったが、第三者からしてみれば、それはもう色々とつっこみどころ満点の、自分勝手な言動であったに違いない。
 未だぼやけている視界の中で、赤崎は目前の彼を見上げた。
 ―実際、溜息如きで。
 こいつの幸せは逃げたりしないんだろうな―と、頭の隅で赤崎は思う。
 目前の彼は、そういう男だった。
 溜息一つで一生分の幸せが逃げてしまいそうな、赤崎とは違って。
「…おはよう、祭」
「スルーかよ。お前って、なんでこう、そうなんだろうな…まあいいや。おそよう」
 呆れたように脱力感を漂わせた彼は、そう言って赤崎の頭を撫でてきた。何故その手を払い除けようとしないのか、実を言うと赤崎自身にもよくわかっていなかったりする―というより、認めたくないだけかもしれないが。
「おいこら、寝んな」
「…わかってるよ」
 赤崎は眠気覚ましに軽く目をこすり、クリアな視界でもう一度彼を見た。

 そこにいたのは予想通りの人物で。
 緑間祭みどりままつり―今朝、赤崎の安眠を妨害した幼なじみと同一人物である。

 特徴は、これは地毛ですと言っても全く相手にされない、蜂蜜を焦がしたような綺麗な茶髪と、くりくりとした二重の目だろう。
 もう一つ付け加えるとすれば、右腕の“生徒会長”の腕章。
 そう、彼はこの学校の現生徒会執行部会長様である。
 そしてちなみに、赤崎は副会長というポジションに居座っていたりする。右腕には “副会長”の腕章が安全ピンで留められているのだが、緑間と同じと言うにはあまりによれよれで、皺がついている。
 何故、見るからに向いていないだろうと思われる赤崎が副会長なのか―それは、この高校のとても理不尽な生徒会役員選挙のせいであった。あんな決まり事さえなければ、副会長という腕章が赤崎の腕に巻かれることはなかったのだが。
 まあ、その話はとりあえず横に置いておくとして。
「起こしに来たってことは…もうそんな時間なんだ」
「午前の睡眠は如何ほどで?」
「最高」
「嫌味にしか聞こえねえよ」
 とにかくほら、行くぞ。と若干急かすような言い方で赤崎を促す緑間。その手には、お弁当箱の入った赤と緑の巾着袋が二つ。赤い方が赤崎の今日のお昼ご飯である。おそらくツナのおにぎりもあの中に入っているのだろう。
 赤崎のお弁当を作っているのは、母親でもなければ父親でもなく、まして自分ということもなく―そう、目の前にいる幼なじみだった。
 一人暮らしのくせに、赤崎はほとんど家事ができないから。
 ―それでも、好きで一人暮らしをしているわけでは、ないのだけれど。
 良くできた幼なじみは、放っておくと餓死しそうで怖いという、あながち冗談とも言えないような理由から、こんな風にお弁当を作ってくる。
 しかも、頻繁に(むしろ毎日)赤崎の家に遊びに来るので、晩ご飯と簡単な朝ご飯も作ってくれる。
 緑間の作る料理はとてもとても美味しいので、赤崎としては、良くできた幼なじみを持てて幸せだなあと思うばかりだ。
「あんま遅くなると、またあいつらうるせえぞ。ほら、さっさと体を動かしやがれ」
「わかってるって…今日はどっち?」
 どっち?というのは、“屋上か生徒会室か”という意味である。彼らを含めた六人は、いつもそのどちらかの場所で昼食をとっているのだ。
「今日は天気も良いし、屋上だろ」
 そんな会話をしながら赤崎はゆっくりと腰を上げ、緑間と一緒に昼休みでざわついている教室を足早に出た。


 屋上に向かうべく、教室を出て左折した彼らは三階へ上がる階段に向かう。この学校は四階建てで、屋上に行くにはその更に上へ上がらなくてはならない。
 ちなみに四階には一年生、三階には二年生、二階には三年生の教室がある。
「今日って体育あったっけ?」
「おー六時間目にな。気合入れろよ、今日はドッチボールだからな」
「安心してよ。体育だけは真面目にやる。体育だけは」
「…なんでそう、嫌味ったらしく繰り返すかな」
 緑間が、心底げんなりとした表情で赤崎を見やる。まあ、彼がこんな顔をしたくなる理由は、十分に頷けるものだった。
 なんせ赤崎静という男は、授業をまともに聞かない(というか居眠りをしている)にも関わらず、(大して勉強もしていないくせに)万年学年首位なのだから。全教科百点満点という偉業を達成したことさえある。
 勿論、というかなんというか、色んなことに無関心な上、適当でめんどくさがり屋な赤崎自身は、そこまで成績に固執してはいないのだれど。
 そして緑間祭は、万年学年二位である。
 彼は、才能を磨く必要のない天才とは違って、努力家だった。考査前には、寝る間も惜しんで勉学に勤しむことも少なくない。
 だが、未だかつてこれが報われたことはなかった。緑間の前には、いつだって幼なじみという壁が立ちはだかっているからだ。げんなりとしない方がおかしい。
「はあ…なんでこんな奴が俺より頭良いんだよ。神様って不公平だ…」
「神様っていうのは不公平なものなんだよ」
 ようやく(と言う程でもないが)、三階へ向かう階段に辿り着いた。現在地が二階なので、四階のそのまた上にある屋上へはまだ大分遠い。体力があまりない赤崎には、これが結構きつかったりする。
「?何立ち止まってんだよ」
「…いや…別になんで……も!?」
 も!?と同時に赤崎の視界がぶれる。どうやら緑間の方もそうらしく、「うわっ」と声を上げた。本日二度目である。リアクションのボキャブラリーが少ないなあと、呑気にそんなことを赤崎は思った。
「はろー!静、祭!」
 事の元凶である人物が、そんな風に挨拶をしてきた。
 この“ある人物”こそ、緑間に「うわっ」などという、情けない声を上げさせた張本人である。
 水沢青子みずさわあおこ―この二人の同級生、かつ幼なじみであり、今しがた後ろから勢いよく彼らの肩に腕を回した人物であった。
「はろー青子」
「よーっす」
 年頃の男女の体がこんな風に密着している状況というのは、おそらくそれなりに思うところがなくもないはずなのだが、赤崎と緑間は平然と挨拶を返した。まあ彼らとしても、思うところがないこともないのだが―彼女のスキンシップには慣れてしまっているのだ。それこそ、羞恥を感じないくらいには。
 伊達に幼なじみをやっているわけではない。
「よーっす、じゃないわよ。お昼は一緒に食べたいから誘ってって、いつも言ってるでしょ。それなのに、どうして!この私を、華麗にスルーして屋上に行こうとしているわけ?」
 水沢青子。前述通り、彼女は赤崎と緑間の幼なじみという立場にあり、そんな幼なじみが贔屓目に見なくとも、「プリンセス」と呼ばれるに相応しい容姿を持つ、この学校のマドンナ的存在である。
 文武両道容姿端麗、大人っぽい雰囲気に近寄りがたい印象を抱くものの、その反面時折見せる(らしい)無邪気な笑顔に、幼なじみである二人でさえドキッとしてしまうことが多々ある。
 気さくで物怖じせず、頼れるお姉さんとして女子からの人気も熱い。男子からの人気は、言わずもがなである。
 肩に回されていた腕が退くと、今度は無理矢理二人の間に入り込んで、彼女は半ば強引に腕を組む、という態勢を取った。いい歳した高校生三人が、仲良く腕を組んで歩いているこの光景は、一体どれだけの人に珍妙に見られたのだろう。
 こういった、大胆かつ豪快で、TPOを考えないその性格もまた、彼女の長所と言えなくもない…かもしれない。まあ、羞恥を感じないくらいには、青子のスキンシップに二人も慣れているつもりなので、今更動揺だなんてみっともないことはしないし、どれだけの人に奇怪な目で見られようと、気にするような三人ではないので、そのまま仲良く屋上へレッツゴーということになった。
「あのなー、俺は静の面倒を見るのでいっぱいいっぱいなんだよ。第一、誘わなくても来るくせに今更何を言うか」
「何よその言い方。会長様は私に来てほしくないのかしら?」
「誰もそんなこと言ってないだろ。あと、“会長”って呼ぶならもっと俺を敬えよ、書記殿」
 ―そう、彼女もまた、生徒会執行部役員の一人である。
 役職は書記であり、その容姿にみあうだけの、見た者全員が見惚れるような字を書く彼女には、ぴったりの役職であると言えるだろう。
 そんな彼女は、絵になるほど美しい動作で溜息をつき、残念そうな表情で言った。
「はあ…昔はもっと素直で可愛かったのになあ、祭。青子悲しい」
 その、あまりに盛大な溜息に、うんうんと頷いたのは赤崎だ。
「可愛いなんて言われても嬉かねーよ…つーか、なんでお前まで頷いてんだおい」
「この中で一番泣き虫だったのはまつ…」
「はいはいはいはいストーーーップ!お前今何を口走ろうとした!?俺の黒歴史を掘り起こすなよ!」
「私はあの頃の祭も好きよ?」
「うっせえ!俺は大嫌いだ!」
 拗ねたようにふてくされる緑間を他所に、くすくすと赤崎と青子は笑った。


 長い階段を登り終えた三人の目の前にあるのは、屋上へと続く古びた扉だ。流石に三人が並列して通れるほど大きな入り口ではないので、青子は仕方なくといった風に腕を解き、緑間・赤崎・青子の順に一列に並ぶことになった。
 先頭の緑間が古い扉のドアノブに手をかける。ギィイ、錆びついた音を立てて重い扉が開いた。
 そして緑間を先頭に、一行は屋上へと足を踏み入れた―その時。
 何かが、勢いよく緑間にタックルをしかけたのだ。
「ぐは…っ!?」
「もー遅いですよー!一体どれだけ待たせれば気が済むんですかー!」
 彼の後ろにいた二人は、まるでそれを予め察知していたかのように素早く左右に散り、二次災害を免れる。
 緑間はと言えば、咄嗟の判断でほぼ反射的に受身を取ったらしく、そこまでの損傷はないようだったが、それに負けず劣らず、タックルをかましてきた何かの勢いはすさまじかった。そのまま一緒に、コンクリートのタイルに強かに背中を打ちつけた。
 まあ、強かに背中を打ちつけたのは緑間だけで、タックルを仕掛けてきた張本人は、彼の体がクッションになったおかげで無傷なのだが。
「痛ってえ!」
 と声を上げる緑間を放置し、タックルをかましてきたその人物は、次なる攻撃をしかけてくる。ポカポカと、緑間のことを叩いたのだ。
「ぎゅるるるーって!女の子にそんな大音量でお腹を鳴らさせるなんて、どんだけデリカシーないんですか!?」
「ちょって待てそれって俺のせいなの!?理不尽すぎんだろ!」
 大音量で鳴る、お前の腹の虫が悪いんだろうが!と、緑間が続ける。どちらの言い分も、大概理不尽であることに違いはなかった。
「そういうことを平気で言っちゃうから、デリカシーがないって言ってるんですよ!そんなんだから先輩はいつまで経っても―」
 と、彼女が言ってはならない(と思われる)一言を口にする寸前で、別の人物が割って入った。
「ストップ!それ以上はダメだって琴乃ことの!仮にも祭さんは、僕らの先輩なんだから!」
 …仮にもって。
 正真正銘の先輩ですよこんちくしょーめ。
 そんな緑間の心の声が、おそらく幼なじみの二人には聞こえただろう。最早同情の余地しかない。
「…ひびき。助け舟を出してくれたのは嬉しいんだけどさ…その言い方はあんまりじゃねえの…?」
 ようやく琴乃の攻撃が止み、ほっと息をつくところなのだが、“仮にも先輩”という一言は、割りとぐっさり緑間の心を傷つけた。
 響と呼ばれた彼は、未だにポカポカと緑間を殴る人物―琴乃の両手をがっちり拘束し、それからわたわたと慌てだす。
「あ、ち、違うんですよ祭さん。そういう意味で言ったわけじゃ…!」
「いや、いいんだ別に…俺ってこんなだもんな。うん、仕方ない…つうか、静も青子も、黙って見てないで助けてくれてもいいんじゃね?」
 幼なじみでありながら、幼なじみのピンチをただ呆然と眺めているだけなんて薄情すぎる。そんな緑間の心情を瞬時に察知し、顔を見合わせた二人は揃って「ごめん」と謝った。
「「なんか楽しかったから、つい」」
 お前ら全然悪いと思ってねえだろおおおおおおおお。
 と、力の限り叫ぶ緑間を他所に、二人はくすくすと笑うのだった。
 響は緑間から琴乃をベリっと剥がし、涙目で「俺って可哀相…」と呟く先輩に対し、すいませんと深深頭を下げた。彼女の尻拭いはいつも響の仕事である。
「昔から加減ができないものですから…大丈夫ですか?背中とか…」
「とりあえず俺の心が大丈夫じゃない」


 この学校の二年生には、悪い意味での有名人が二人いる。どうしようもない問題児だ。―いや、問題児だった、というべきか。
 現在その二人は「白金ツインズ」と呼ばれ、手のかかる双子としてその名を学校中に轟かせている。
 例えば入学式当日、派手に登場した方がかっこいいんじゃね?という見解から体育館の窓を蹴破って現れたり。例えば調理実習の時間に作った料理を、授業中にも関わらず先輩のクラスに持っていったり。例えば授業中、先生に「暇なのでサボリます」と堂々と宣言したり。
 この二人の噂は二年の間に留まらず、一年や三年の間でも広がり、名前を出せば「今度は何をしたんだ」と、問題を起こしたことを前提に会話が進んでいく―それほどに彼らは問題児だった。
 今では大分丸くなったが―それでも「白金ツインズ」の名を知らない者は、まず校内にはいないだろう。
 中学・・の頃の・・・肩書き・・・もあって、本当にその双子は有名なのだ。中学の頃の肩書きについては、今はまだ語らないでおくが。
 そしてその双子の兄妹というのが、実は今しがた緑間にタックルした女の子と、そんな彼女を止めた男の子である。
 名を―白金響しろがねひびき白金琴乃しろがねひびきという。
「あ、そういえば挨拶がまだでした。はろーです、しずか先輩、あおこ先輩…と、まつり先輩」
「お前今の絶対わざとだろ。付け加えた感あったもんな!」
「そんなことないですよー相変わらず、今日も被害妄想が激しいですね、まつり先輩は」
 白金琴乃。今も現在進行形で緑間とじゃれ合っている彼女は、人から人へと移りゆく噂の中で、「白金ツインズ」という悪名を生んだ双子の内の片割れだ。セミロングの、少し茶色がかったストレートの髪と、緑間に負けず劣らずくっきりとした二重を持ち、前髪は広いおでこを象徴するかのように上へ上げられている。
 青子を綺麗系と称するなら、琴乃は間違いなく可愛い系だろう。とても可愛らしい童顔である。
 だがしかしその実態は、とても喧嘩っ早く好戦的で、しかも驚くほどに強い。勿論喧嘩というのは正真正銘殴り合いのことである。全盛期だった頃には、三十人にも及ぶ不良を相手に、兄である響とたった二人で勝利を収めたこともあるらしい。
 響と琴乃は、どうしようもなくどうしようもないまでに不良だった。
 中学時代、二人の強さは異名をもってして瞬く間に広がった。今でこそ「白金ツインズ」なんていう可愛い名称をつけられているが、中学の頃の獰猛さは、ハンパでなかったらしい。
 まあ、今ではもうすっかり足を洗って、短い高校生活を満喫しているのだが。
「被害妄想がなんだって?んん?もういっぺん言ってみ?琴乃ちゃーん?」
「ひ、ひはひへふほへひゅあひ(い、痛いですよ先輩)」
 年上に敬意を払う気がさらさらない生意気な後輩の頬を、緑間が思いきりつねった。はなしてくださいよう、とじたばた両手を振り回す琴乃も、緑間を含め三人にとっては、どれだけ喧嘩が強かろうとただの可愛い子猫同然である。
「やめなよ祭…大人げない。琴乃が可哀相だ」
「お前ね…可哀相なのは俺だろ。一貫して被害受けてんの俺。なのにも関わらずなんで琴乃を庇うんだよ」
「だって…うん、琴乃は可愛い後輩だし」
「お前の中の優先順位って俺より琴乃の方が上なのかよ…お前にとって俺ってなんなんだよもう!」
 なんなんだよもう!と言われても。うーん、と赤崎は考える。
 目覚まし時計の代わりで、お弁当を作ってくれて、掃除も時々しに来てくれて、洗濯もしてくれて、洗物もしてくれて、買い物にも行ってくれて…。
 確かに幼なじみというポジションにはいるけれど、これはむしろ…。
 赤崎はとりあえず、ピーンと閃いたことを素直に言った。
「…家政婦?」
「俺もう泣いていい?」
 家政婦という響きによほどショックを受けたのか、力無く琴乃の頬から手を離した緑間は、しくしくと両手で顔を覆った。開放された琴乃の方はといえば、「しずか先輩ナイスです!」と親指を立てて、青子の元へ駆け寄っていく。確かに味方する方を間違えたかなあと、落ち込んでいる緑間を見て、ほんの少し自分の良心を痛めた赤崎であった。
「そんなに落ち込まないでください、祭さん。僕は祭さんの味方ですから」
「響…」
 にっこりとくったくない笑顔を浮かべたのは、「白金ツインズ」と呼ばれる双子の片割れであり、琴乃の兄である白金響だ。琴乃とお揃いのピンで前髪を留めており、見た目が既にやんちゃそうな印象を与えてくる。童顔と女顔に、拍車をかけるようなぱっちりとした大きな目が特徴的で、二卵性の為琴乃とそこまで似ているわけではないが、響の割と控えめな性格も乗っかって、姉妹に間違われることもしばしばある。
 活発的な琴乃とは対照的で、普段はおっとりしている響だが、中学の頃は相当荒れていた―まあ、不良だったわけだから、当たり前と言えば当たり前かもしれないが。
 最狂に最凶を重ねた、凛々りり垣中がきちゅう最強の双子と言われた、そんな「白金ツインズ」が、何故こんなにも赤崎達に懐いているのか―理由は簡単で、二人が赤崎と緑間との喧嘩に負けたからだ。理由はもっと深いところにあるのだが、「“強さの意味”を教えてくれた先輩達には感謝していますし、その強さを尊敬もしています」―と、響はよく言う。そして、“いつか貴方達を超えますよ”とは決して言わない。
 もう昔のように喧嘩はしなくなり、クラスでも友人に恵まれている。だが、クラスの友人よりも、赤崎と緑間といる時間を何より大事に思っているからこそ、こうして昼食は一緒に取っているのだ。
 つまるところ、響と琴乃が改心した理由というのは、赤崎と緑間に喧嘩で負けたからである。ちなみに、二人に負けるまでは無敗だった。
「というか、そもそもまだすぐるが来ていないので、お昼は食べられないんですよね。だから祭さん達が遅くなったことには、全くと言っていいほど非はないんです。今回は完全に琴乃の八つ当たりで…本当にすみません」
「え?…って、確かにいないな、優の奴」
 普段、昼休みは屋上か生徒会室でお弁当を食べている。生徒会室は本来部外者は立ち入り禁止だが、勿論響と琴乃は部外者などではなく立派(かどうかはさておき)生徒会執行部議長であり、二人の腕にはきちんと議長の腕章が留められている。
 議長の席は本来一人分しかなく、その点において響と琴乃(というより主に琴乃)が駄々をこねたのだが、生徒会長の権限その①により、議長の席を二つに増やすことで、双子を生徒会執行部に推薦したのである。
 そして話を戻すが、普段は昼休み屋上か生徒会室でお弁当を食べている。六人でだ。だが、実際今屋上に姿を見せているのは、赤崎と緑間と青子、それに白金ツインズの計五名である。
 あと一人、来ていない者がいるというわけだ。
「珍しいわね、あの子が遅刻するなんて」
「…今日は吹雪かな、季節外れに」
「いや、吹雪じゃ足りねえだろ」
 屋上に来てからずっと立ちっぱなしだったので、とりあえず各人は腰を下ろした。円を作るような形でその場に座り、緑間は持っていた巾着の内、赤色の方を赤崎へと差し出す。
 ありがとう、と赤崎が受け取るのを、青子は若干面白くなさそうに見た。
「な…なに?青子」
「べっつにー。ただ、毎日毎日見せつけてくれるなあと思って」
「??」
 彼女の言いたいことがよくわからなかったようで、赤崎はとりあえず首を傾げてみたが、彼女はそれ以上を語るつもりはないらしく、そっぽを向いてしまった。
 なんとなくもやっとしたので、つまり何を言いたかったのかということを青子に訊ねようと、赤崎が口を開いた―その時。
「遅れてすみません!」
 勢いよく、屋上の扉が開け放たれた。緑間同様巾着袋を片手に、肩で息をしながら謝罪の言葉を口にした少年が、まだ屋上に来ていなかった六人目であり、名を黒銀優くろがねすぐるという。
 彼の登場に真っ先に反応を示したのは琴乃である。
「遅いよ優!もうお腹ぺこぺこでコンクリート食べちゃうところだったじゃない!」
「す…すまない」
 琴乃のコンクリート食べちゃうよ発言いはつっこまず(というか彼にはツッコミの才能がない)、優はもう一度頭を下げた。
 そこまで言うなら先に食べていればいいものを…と思うかもしれないが、それが出来ないからこそこの状況である。何故なら、響と琴乃の弁当は優が持っているからだ。彼が、白金ツインズのお弁当を作っているのである。
「おーっす優。珍しいな。ルーズなことを嫌うお前が遅れて来るなんて」
「はあ…えっと、はい。色々あって…」
 優は、ある意味この中で最もまともな、常識人と言っても過言ではない。それに加えて規則やルール、約束事には忠実で、どんな理由があろうとも、彼がそれを破ったり守らなかったりするというのは、黒銀優の生き方そのものを否定することと同義である―と言っても過言ではない。なので、今日のような遅刻は本当に珍しいことなのである。
 たかが昼休みに、弁当を一緒に食べる約束をしただけだろうという外野の声は、優には全く持って関係がない。
 …にも関わらず、何故彼は今日こんなにも来るのが遅くなったのか。
 まあ、当然遅くなってしまう要因があったのだろう。
 断れない要因が。
 そして先ほどの優の動揺っぷり。それが全てを決定付けた。
「そうやって渋っちゃうから、優は嘘をつけないんだよね」
「どうせまた、女の子に呼び出されたんでしょう?」
 他人の恋愛沙汰には興味の無い赤崎とは対照的に、にやにやと悪い笑みを浮かべた青子が、「このこの~!」と優のことを肘でつついた。あっさりと事実を見破られたことに驚いたのか、目を丸くしつつ、優はかあっと顔を赤くする。
「か、からかわないでください…!」
 緑間も相当モテるが、負けず劣らず優も女子からの人気は厚い。バレンタインには、下足箱とロッカーと机の中に、溢れんばかりのチョコレートがつめこまれていたくらいには。
 だが、当の本人はこれまたしょうもないことに、大の女嫌い(というか苦手)で、半径五十センチメートルの領域に女子が一歩でも踏み入れようものなら、気絶してしまうくらいである。ひどい時は吐く。ボディタッチなんかされたら天に召されてしまう勢いである。
 今では大分、彼の女性に対する苦手意識は丸くなったのだが―そもそもの発端は、実の母親とあまり良い思い出がないことも挙げられるが、一番の要因は、彼の上にいる四人の姉だろう。五人姉弟の末っ子で、四人の姉に囲まれて育った優には、“女そのもの”に良い思い出がなかった。
 なんせ、丑の刻参りや黒魔術などに手を出して、夜な夜な人を呪うような常軌を逸した姉達だ。しかも、直接的に優に手を出してきたことすらある。女装させたり監禁したり、縛ったり拘束したり―これ以上は放送コードに引っかかりそうなので伏せておくが、そんなものが自分の一番近くにいる女であったのだから、苦手意識を持ってしまうのも、自然ときっちりとした人柄になってしまうのも無理はないかもしれない。
 むしろ苦手意識で済ませた優はすごいのだ。
 …とは言っても、例外もいるもので、(姉に手を出される前より)昔からの付き合いがある琴乃だけは、普通に話したり触れたりしても平気なのである。
 ちなみに、優の女性恐怖症の過去を深い部分まで知っているのは、今のところ響と琴乃だけである。
 そして、青子にはある程度耐性ができ始めている、今日この頃だった。
「遅れたことは謝りますから、だから、少し離れてもらえませんか、青子先輩…!」
「顔真っ赤にしちゃって可愛いなあもう!」
 青子の趣味は、優をからかうことである。
 生徒会室で書類整理などをしている時も、彼の集中力が切れるようなことを平気でやるのだ(耳に息を吹きかけたり)。
 優もまた、生徒会執行部の役員であり、最後の席である会計を務めている。なので、金勘定や決算整理など、学校全体に大きく関わってくるような仕事を任せられることが多く、こうした小さな妨害は、彼の女嫌いも手伝って作業に大きな支障を出しかねない。
 それも全て承知の上で優をからかうのだから、彼女が優にとって琴乃のような心を許せる存在になるのは、まだまだ先のことに違いない。
「もー私、お腹すいてすいて蒸発しそうですってば!全員揃ったんですし、もうお弁当食べましょーよー!」
「水を飲め」
 そんな緑間の辛辣な言葉を琴乃は華麗にスルーし、優からお弁当の入った巾着袋を受け取る。
「琴乃の言うとおりだ。昼休みは有限なんだし、いい加減優を解放してあげなよ。お昼食いっぱぐれる」
 口を尖らせてぶーぶーと言いながら、青子は優から離れると、ガサガサとコンビニのビニール袋を漁り、おにぎりを一つ取り出した。優はほっとしたように息を吐き、もう一つの巾着を響に渡す。
 これでようやく、いつものメンバーが揃った。
 六人は、お昼ごはんに手をつける前に両手を合わせ、「いただきます」と声を揃える。
 先ほども言ったように、赤崎の弁当は緑間が作っている。同様に、響と琴乃には優が弁当を作ってきている。それについては、とりあえず今は横に置いておくが、残る青子はというと、上記の通りコンビニでお昼を買っている。おにぎりだったりパンだったりと様々だが、何故彼女がコンビニでお昼を買うのかというと、それは壊滅的なくらい料理が下手だからだ。
 それではおそらく答えになっていないし、そもそもどうして親がお弁当を作らないのかと聞かれてしまうだろう。だが、とりあえず今はその疑問も横に置いておこう。
 いずれわかることであるし、今語る必要は少なくともないのだから。
「あ、そのエビフライ美味しそうですね!もらいますよ、先輩!」
 そう宣言した琴乃は、神の如き箸さばきで、緑間の弁当からひょいっと目的のエビフライをつまみ上げ、満足そうに口の中へと運んだ。
 それを見てキレない緑間ではない。
「ああ!てめっ琴乃!何勝手に食ってんだよ!人がせっかく大事に残しといたっつうのに!」
「ふっふっふ。油断してる先輩が悪いんですよーだ」
 人を小馬鹿にしたような、得意げな笑みを浮かべる琴乃に、緑間はひくひくと顔を引きつらせ、四つ角の怒りマークをうっすらと額に浮かべた。
 乱暴に食べかけの弁当箱を置いて、恐ろしい形相で立ち上がった緑間は、向かいに座る琴乃へ一歩一歩近づく。琴乃の方はとても楽しそうな顔をして、ひょいっと立ち上がり緑間と距離を取った。
 これが所謂「一触即発」の四字熟語状態であるのだが、二人を除く計四名は「またか」と、呆れたように首を振るだけで見向きもしない。今日も平和だなあ、なんて思いながら呑気に昼食をとっている。
 先に動いたのは緑間で、とてつもない勢いとスピードで琴乃に向かって走っていった。
「きゃー怖ーい。食べられるー!」
 とてもじゃないが、お前絶対そうは思っていないだろうとつっこまれる程度には、楽しそうな口調で逃げ回る琴乃。新しい玩具を与えられた子供のような、そんな無邪気さがそこにはあった。
「おうおう食ってやるよ!エビフライの代わりにお前を食ってやる!だから逃げんな大人しく捕まれ!」
 無邪気な琴乃とは対照的な、かなりマジなその目に若干引きつつ、緑間の食ってやる発言に対して「うわあ」と、四人は白い目を向ける。日常茶飯事になっている二人の鬼ごっこの風景に、彼らは苦笑いを浮かべた。
 赤崎は改めて幼なじみに目を向け、つい数秒前まで、恐ろしい形相で琴乃を追いかけていたくせに、今はすっかり楽しそうな表情を浮かべている緑間に思う。羨ましい、と。

 楽しい、悲しい、嬉しい、悔しい、幸せだ。
コロコロと表情が変わる彼のことを、主観的に物事を捉えることに難しさを覚えてきている今の自分と違って、輝いていると赤崎は思ったのだ。だからきっと、彼の周りには人が集まるんだろうと納得もしている。
 だからこそ、そんな幼なじみが自分のようなものに構い、自分みたいなものと一緒にいるのか、赤崎にはわからなかった。青子に関してもそう。
 きっと、どうしてかと聞けば、理由なんてないと言うんだろうけれど。できることならそれが、我慢じゃなくて二人の優しさでできていたら。そして、ほんの少しだけでいい、本音からできていたら嬉しいんだけれど―と、つくづく自分は甘えてばかりだと、赤崎は笑ってしまう。
「?どうしたの?静。急に笑って」
「…ううん。なんでもないよ、青子」
 いつか、こんな自分の居場所になってくれる二人に、何か返してあげられたらいいなと、赤崎は思っていた。
 それが例えどんな些細なことであったとしても。
 ―結局、それが叶う日は来なかったわけだけれど。


「痛っ!痛い!痛いですよまつり先輩!ゴンッって!そんな思いっきり殴ることないじゃないですか!」
「うっせーよ。食いモンの恨みは怖えーんだ、覚えとけ後輩」
 どうやら鬼ごっこの決着が着いたようで、琴乃は緑間から裁きの鉄槌を頭に受けたらしく、若干涙目になりながら両手で脳天を押さえている。緑間は対照的に、ふふんと得意げに胸を張っていた。
「じゃれ合いはその辺にして、そろそろお昼食べちゃわないと予鈴鳴っちゃいますよ。祭さんも琴乃も」
「響の言う通りです。生徒会が授業に遅れるなんて、生徒に示しがつきません」
 響は苦笑いをし、優は呆れ気味に溜息をついた。そして、両手を合わせ「ごちそうさまでした」と箸を置く。響は「いつもありがとう。今日も美味しかったよ」と付け加え、弁当箱を巾着袋の中に戻し、優へと返した。
 さて、先ほど響が言ったように、あまり悠長に構えているとあっという間に昼休みは終わってしまう。ちなみに昼休みは、あと残り五分程しか残っていない。
 赤崎と青子はあと一分もしない内に食べ終われそうだが、今しがた鬼ごっこをしていた二人は、弁当があと三分の二ほど残っている。タイムリミットはあと五分しかなく、つまり、それまでに緑間と琴乃は、がっつり残っている弁当を食べてしまわねばならないというわけだ。
 それはまずい!と素早く定位置に戻った二人は、揃って弁当をかけこみ始める。途中、琴乃がご飯を喉に詰まらせたらしく、必死の形相で水を求める姿が面白くて、全員が思い切り笑った。
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