手の届かない君に。

平塚冴子

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3学期

白衣を君に…2

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「げぇ!なんだコリャ!」
「あーははは~。やっぱり武本先生面白い!」
彼女がお腹を抱えて笑い出した。
僕の手の中には白色と茶色と赤の混じったマダラのゆで卵だった。
キモい~~!
「それ、食べられますよ。武本先生。」
金井先生がゆで卵を指差した。
「食べられる?これが?」
「これは一見異常なゆで卵ですが…見掛けだけです。
おそらく…醤油と生姜の味がするはずです。」
「醤油と生姜…?」
ポカンと口を開けて呆けてる僕に、彼女が黒板で説明し始めた。

「では!解説しよう諸君!いいかね。コホン!」
何だよその言い回しは。
「まず、生卵の殻に小さな穴を開けます。
昆虫採取用の注射器、醤油、紅生姜液を用意します。」
「あああ!」
僕は簡単な事に騙されていた。
「注射器で、穴から醤油と生姜液を角度を変えて入れます。
内側の殻に近いトコがいいですね。」
「後は茹でれば、キモいゆで卵だな!」
ヤケクソで答えた。
「はい。正解!」

「何だよ!イジメか?もー!」
僕はわざと怒った振りをした。
「教師の真似事をしてみたかったんですよ。
どんなかな~~って。
白衣を着るとそれっぽいでしょ。」
「それで…白衣を?」
やっぱり…僕のじゃなくても、良かったんだな。
ははは~。
「相手の立場になるには、まず格好から入るのが1番早いんです。」
「…で、真朝君の感想はどうです?
教師は楽しいですか?」
金井先生が彼女に感想を聞いた。
「…そうですね。楽しいかも。」
「じゃあ、将来は教師を目指してみては?」
「いえ…将来は要らないんです。」
彼女はまぶたを閉じたまま金井先生の問いに答えた。
…18歳がタイムリミット!?
久瀬の言葉が頭で響く!
「要らない将来なんてないだろ!
バカか!変なトコは頭悪いな!」
聴こえる幻聴を打ち消すように叫んだ。
コツン!
軽く彼女のおデコを小突いた。
「痛っ!」

「そうですね。
僕のお嫁さんなら、すぐなれますけど。」
はああ?金井!ドサクサ紛れに何を言ってんだよ!
「それは、無理なんですってば。」
彼女は小さく呟いた。

何故だ…君はちゃんと笑うのに…絶望に飲み込まれてやしないのに…どうして…どうして。
死から離れられないんだ?
思考だって僕よりプラス思考だ…。
死をもプラス思考で受け止めるつもりか…?

僕は奥歯を噛み締めた。
彼女に生きる意味を与えなくては…。
これから先…生きる…意味を!

「田宮…お前は自分の事は見えてるのか?」
僕の言葉に彼女の視線が止まった。
「どうでしょう…。」
「他人の事は良く見えてるみたいだが…自分の事は見えてるのか?」
僕の質問に彼女は黙り込んでしまった。

「武本先生、それはどんな心理学者でも無理なんです。
自分の事には冷静さを保てない。
それが、人間という生き物なんですよ。」
金井先生が彼女を庇うように言った。
でも…それが本当なら彼女は…やはり間違ってるんだ…。
死を望んで、憧れるなんて…絶対に間違ってる!
「金井先生には、田宮を分析できますか?」
「無理でしょうね。
感情が邪魔な場合は同じく冷静な判断は不可能です。
それこそ、間違った判断をしてしまう。」
「そうですか…。」

「武本先生は、私をどうしたいんですか?
分析して…モルモットですかね。私。ふふ。」
「あ、いやそんなつもりは。
…その、掴み所がないから、専門家はどう見るのか気になっただけで…。」
ごまかす僕に、金井先生が視線を落とした。
「やはり、1番彼女を知るには恋人になるしかありませんね。
それが、唯一の彼女を知る方法です。」
「はあ。」
やっぱり…そうなるか。
でも、そんな可能性は低いんだよな。
どうしたらいいんだ?
都合のいい時ばかり久瀬に頼る訳にも行かないし…。

僕はため息混じりに、旧理科室の天上を眺めた。
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