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第0章 地下牢獄騒擾事件
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「グローリャ酒、もう一杯!」
「鴨肉のモランソース煮込みをくれ!」
酔いに任せて大きくなった声が響く。
「民主神聖同盟の奴ら、やってくれるなぁ」
「ったく、いつまでユミトルドの件を引っ張るんだ?ヴィンセンラード皇帝の地位はそれでも揺らがないさ、いや、揺らぐべきではないと言うべきか」
「首相が腰抜けだからな、、、いいよもう、そんな新聞なんざ。釣った魚を包んでご近所にあげるときにしか役に立たないんだから、せっかくの飯がまずくなる」
活気というのは、まさに昼下がりの食事処にこそ相応しい。
少しの希望と、倦んだ日常が醸成するそれ以外は、およそ好ましい結果を齎すことがない。
政治的活気、経済的活気、そして戦争による活気。
そのどれもが欺瞞と屈折、そして退廃を内包して膨れ上がり、破裂の時を待つ。
そして飛び散った膿は容易には流れ落とせず、染みとなって人に、国に巣食う。
太陽の日差しが、その店のテラス席にいる客たちの口を暖める。
「そんなことないわ。新聞だって、誰かが頑張って書いたものなんだから、ね、そうですよね」
それこそ降り注ぐ日差しのように暖かな、慈愛に満ちた声が少年と思しき一人の影に向けられる。
「あ、ああ、、、ただ、事実は貨幣よりも価値がある。誰も自分のお金を他人に渡そうとしないだろう。そういうことだ」
「あら、私、自分の仕事に誇りがない人は嫌いだわ。それになんて安い言葉」
「いや、、、あぁ、、、そうだな、、、生活のためだ、誇りなんてない」
「ふーん、やっぱりあなた、違うんだね」
給仕の少女が、黄金色の瞳をなお輝かせて、跳ねるように耳元に近づいてそう呟いた。どこか見定めるような、からかいつつ叱るような、そんな声が少しばかり胸を高鳴らせた。
「ローア!その人はもしや新聞会社の人なのか?あまり見ない顔だ」
ローアと呼ばれた少女が、亜麻色の長い髪を尾のように振って、長いスカートを摘まみ、1人の少年を恭しく紹介するように掌を天に向けて差し出す。劇的なその所作も、彼女の器量がそれを許す。
「ええ、この方は最近ラキア湖のほとりにできた、ホーバス新聞社の支社の方です」
「ああ、そういば出来たって言ってたな。ホーバスなんて帝国傘下の大手じゃないか。若いのに凄いな、苦労したろう」
「ええ、、、まぁ」
「文章の執筆やらは寡婦の女どもの仕事だろう、ということは記者なのか?」
「そうです」
「なら、今度うちの店を紹介してくれよ、最高級の革製品をお届けする店なんだ」
「あら、さっき新聞なんて、って言ってなかったかしら?」
「多少の誇張は事実の内だろう?」
「お前の店の革製品なんざ、それこそ包み紙程度にしか使えないさ」
笑い声が伝播する。
その中心で喝采を受ける踊り子のように、ローアは全身に漲る陽の力を隠さず、テーブルからテーブルへと渡っていく。
「みんな調子が良いんだから」
最後にローアは、砂浴でもするように丁度空いていたエチカのテーブルの向かいに座った。
冷やかすような口笛がどこからか鳴るが、ローアはそれをしっしと手で追い払う。
「私ね、あなたは兵隊さんだと思うの、違う?」
「そんなまさか、違うよ」
「あ!!でも殺さないでね、誰にも言わないから」
「なんで殺す必要があるんだ。違うと言っている」
ローアが、ナイフを握るエチカの手をぎゅっと握る。
あのローアが積極的だぞ、店員が1人減っちまうなぁ、という酒に酔って大きな声が、また場を盛り上げたようだった。
その手は、まさに殺さないでというような懇願の力にも感じれば、真実を証明したい誓いの強さにも感じられた。
「私、分かるの。人にはね、3つの目があって、1つは夢想や野心を未来に描く目、2つ目は諦念と希望に満ちたそこにある目、最後はね、混乱と実直の過去の目。あなたは3つ目ね」
「案外、いや、田舎の少女らしい理念的な意見だ」
「都会を知った男の子には、遊ぶには丁度手頃な女でしょう?純朴は、ときには洗練さよりも、、、ね?今日の夜、空けときましょうか?それとも自分から誘う女はお嫌かしら?」
ローアが、握ったエチカの手をさするように指を動かす。
綺麗な、まっすぐな指の揃い方だった。
「君みたいなのは、こういった誘いを断るのが正解だろう?」
「女の子のお人形遊びには付き合うのが紳士よ。面白くない。誰だって本気の恋なんてしたくないもの」
「君を好きになってしまった人には同情するよ、それで、過去の目だからなんだって言うんだ」
「ああ、そういえばそうね。そういう目をした人はね、だいたい兵隊さんなの。外したことないのよ」
ローアは本当に忘れていたというように、エチカの皿に乗った、付け合わせのビーンズ煮込みを指で摘まんで口に運びながら、悪戯な笑顔を見せた。
一通り食事を終えたエチカは、再度忙しそうにするローアを呼び止め、チップを渡した。
「あら、手切れ金?それとも口封じかしら」
「違うと言ってるのに、君もしつこいな」
「心外ね。じゃぁ答え合わせしてあげる」
ローアはエチカの周りをぐるりと回って背後に立ち、服の仕立て屋のように彼の両の肩をさっと払って、耳元に唇を付ける。
その媚態は、いたずらの風を纏ってエチカの耳をくすぐった。
「私、多分、あなたに会ったことがあるの、エチカ少尉。それにね、輸入食品店のおば様が、聖女のルラ・コースフェルトに似た人を見たって。寡婦の被るベール、もっと濃い色にしないとダメ。あれ、結構透けて見えるから」
そう言って、もう話は終わりというようにエチカの背中をとんと叩いた。
「私を殺すなら、どうか、あなたが直接来てくださいね」
「目の話は嘘ということか」
「いいえ、嘘じゃないわ。それがなければ気づかなかったもの。私は好きな目よ」
「殺す、殺さないも、所詮お遊びだよ」
「それはそうよ。本気だったらこの世なんてたまらないもの」
エチカはその返答に満足したように、ローアから離れ、人波とは逆に歩き出す。
▲▽
「戻ったよ」
対岸が見えない広い湖畔のほとり、そこに点々と立つコテージのような建物、その1つの玄関をくぐる。
「あら、エチカ少佐。困ります」
「何がだ」
「お昼は待機のみんなでって言ったじゃないですか」
「いや、みんなで食べたんだろう?」
「リテラチャーの再教育が必要ですか、少佐」
「意地悪を言わないでくれ、コースフェルト」
「ちゃんとお昼は食べましたか?」
「食べたよ、、、、、、、、、、、、何だ?何か不満か?」
「いっ!いえ、、、あの、、、なんでも、ないです。良いお食事だったようで」
ルラ・コースフェルトは何やらエチカの顔のあたりをじっと見ていたが、すぐに顔を逸らした。
彼女は自分より背丈の低いエチカの背後に付き従いながら、金貨を引き延ばしたような、輝きながら波打つベージュの髪を後頭部で1つに結ぶ。
談話室に足を踏み入れると、食後の紅茶を飲んでいたらしい皆が慌てつつ一斉に席から立つ。
ルラ・コースフェルトもエチカの元を離れ、自分の席の前で直立した。
「定刻により、皇帝直隷第二十一班、日次任務報告を開始する」
エチカの号令の後、数名から現況の詳細報告があった。
いずれもあまり進捗らしい進捗はない。
その後、最早恒例となりつつあるが、自ら発言のない者をエチカは名指しする。
「イサラ・ザクトーフ大尉」
「え?は、、、はいっ!!!タクトフォンとの国境においては特に異常あり、、、あり、、、ありましぇん!引き続きエリオル・ハルマン曹長と同盟異分子の監視に努めますっっ!!!」
「いや、、、報告ありがとう。そうではなくて、それは何だ」
「こ、、、この子はジャージャルです、ワンちゃんです、、、」
イサラ・ザクトーフは自分の脇で健気に座る茶色の大型犬を撫でながらそう言った。
「ジャージャルは名前か、ジャルジャ中将から取ったのか」
「はいぃ、、、中将に似ていたので、、、。ちゃんと名前を頂く許可は取りました!」
「そういう問題では、、、。まぁ良い。ただ会議の時は外に繋いでおけ」
「でも、、、可哀そうです、仲間外れは、、、。この子、吠えないので、、、」
イサラはほとんど涙目になりながら、エチカに訴えかける。
今にもこちらに駆け寄って命乞いでもするかのような弱弱しさだった。
自分の話をしているなどと露程にも気づいていないそのジャージャルという大型犬が、風に揺らぐ草花のように緩慢に尻尾を揺らす。
「、、、そうか、分かった。ちゃんと躾けるように。次、モチャ・ファズ中尉」
「なにぃ?」
「何ではない。会議中にお菓子を食べるな」
「へいへい。仕事はちゃんとやってますよ。ちゃんとやってるので報告なんてありませぇん」
「クラン・イミノル伍長は何か言ってないか?」
「クランちゃん?少佐、好きだねぇ。自分の言うこと聞く部下だけ可愛がるタイプだ。私が報告に行きますって駄々捏ねてたから、クローゼットに詰めてきた」
「今すぐ転移して解放してやれ」
「お、いいの?ラッキー、じゃまた」
モチャ・ファズ中尉はエチカへの嫌悪を隠さないまま、菓子の残りを口に詰め込み、汚れた手を軍服で払いながら、談話室から颯爽と出て行った。
「後は、、、、、、ユト・クーニア上級大尉」
エチカは最後に、自分が部屋に入ってきたときからずっと睨みつけるようだったその少女に声をかける。
名を呼ばれることを予期していたのか、「はっ!」と鼻で笑って、
「報告があるのは少佐の方でしょ」
と、棘のある言い方だった。
「俺か?、、、そうだな。皆、外に出るときは注意してくれ。寡婦用のベールだが、近づくと顔が見えてしまうらしい。特にコースフェルト大尉はすでに噂になってるぞ」
「私ですか!?そうですか、、、もっと濃い色のものにします」
ルラ・コースフェルトは崩れた化粧でも確認するように、自分の頬をぺちぺちと触りながら、周囲の者たちを見る。
「そうじゃなくて、その耳にべったりと付けてる口紅はなんだって言ってんの。私たちには偉そうに言っといて、自分は女遊びに忙しいみたいね」
エチカは、はっとして自分の耳に触れる。
手には確かに橙色の口紅が付いていた。
ふと、コースフェルト大尉の方を見ると、彼女は少しばかり頬を赤くして目を伏せた。
「会議の時に済まない。以後、気を付ける」
「まぁ別に良いんだけどさ。派手にやらかした癖に、飛び級で昇進して、それで浮かれてこのザマじゃ、ミラリロが浮かばれないって言ってんの!」
「済まない」
「上官がへらへら頭下げるなよ、、、」
ユト・クーニアは最後にそう小さく呟いて部屋を出た。
会議はそのままお開きとならざるを得なかった。
▲▽
エチカは外に出て、穏やかな湖畔を見ながら立つ。
その横にルラ・コースフェルトが近づいた。
「少佐、申し訳ございません」
「何がだ」
「私、気づいていたんですけど、、、」
「いいよ、君のせいじゃない。確かに気が緩んでいた」
そのまま二人で遠く、見えぬ対岸を見るようにして沈黙する。
「俺たちの任務は、影で広がりつつある民主神聖同盟の勢力を抑え、帝国から排除することだ。それが達成できれば良い」
「少佐、お言葉ですが、それは本当なんでしょうか」
「本当とは?」
「それであるなら、皇帝直隷なんて、大層な立場は必要ありません。仮に潜入的に任務をこなさなくてはいけないとしても、です」
「そうだとしても、俺たちには与り知らないところだ」
「いえ、、、どうしても、それじゃいけないと思うんです。私たちは、多分、己で考え、対立しながらも、団結して事にあたらないと、いずれ大変なことになると、そう思えてならないんです。私たちは皆、問題児ばかりですが、少佐なら、今ではなく、先で、それが出来ると思うんです」
「賢い君から見れば、俺は考えのない、帝国の駒のように見えているのだろうな。俺もつくづくそう思うよ。それに、君は問題児ではないだろう、巻き込まれただけだ」
「いえ、私も、自分で選択した結果です。少佐は、やはり、自分を取り戻す必要があると思うんです。駒から人になるために」
その言葉は、重く、エチカの心に沈んでいった。
どこかで魚が跳ねたのだろう。凪いだ水面に波紋が広がる。
エチカは水辺に近づいて、しゃがみ込む。
水底に足を取られずに、自分たちは対岸までたどり着けるのか、その目下の不安すら、まだ自分の所有物ではない気がして、エチカは鏡のような湖に己の瞳を写し見た。
【用語】
※グローリャ酒
レガロ帝国で広く愛飲されている発泡果実酒。不動資産省管轄・国家農畜安定機構による名称使用制限品目の内の1つであり、温暖な平地で栽培されるグロリルという特産果実から作られる。主に平民が食事の際に嗜み、貴族が飲むことは稀だが、隠れてワードロープで飲む慣習が広まり、そのことから「爽やかなる薫物(たきもの)」とも呼ばれている。
※モランソース
レガロ帝国中部、モランテリア州の郷土料理に頻繁に使われるソース。グローリャ酒醸造後に出た大量のグロリルの滓(「メルダ」と呼ばれる)と、果実酢、香辛料、香草等を混ぜて煮込んだ、甘酸っぱいソース。主に肉料理に使用される。中部の平民が良く食すが、醸造者とのパイプがなければメルダを手に入れられないため、貴重でもある。
※ホーバス新聞会社
レガロ帝国傘下の新聞会社。営利企業ではあるが、帝国官僚の天下り先になっている。寡占企業であり、他にはタブロイド紙のようなものしか僅かに流通していない。
帝国御三家企業の内の一角であり、他には「第一放送会社」、「ロイヤー運網企業群」がある。御三家は互いに役員の出向を通じて密に関連している。
「鴨肉のモランソース煮込みをくれ!」
酔いに任せて大きくなった声が響く。
「民主神聖同盟の奴ら、やってくれるなぁ」
「ったく、いつまでユミトルドの件を引っ張るんだ?ヴィンセンラード皇帝の地位はそれでも揺らがないさ、いや、揺らぐべきではないと言うべきか」
「首相が腰抜けだからな、、、いいよもう、そんな新聞なんざ。釣った魚を包んでご近所にあげるときにしか役に立たないんだから、せっかくの飯がまずくなる」
活気というのは、まさに昼下がりの食事処にこそ相応しい。
少しの希望と、倦んだ日常が醸成するそれ以外は、およそ好ましい結果を齎すことがない。
政治的活気、経済的活気、そして戦争による活気。
そのどれもが欺瞞と屈折、そして退廃を内包して膨れ上がり、破裂の時を待つ。
そして飛び散った膿は容易には流れ落とせず、染みとなって人に、国に巣食う。
太陽の日差しが、その店のテラス席にいる客たちの口を暖める。
「そんなことないわ。新聞だって、誰かが頑張って書いたものなんだから、ね、そうですよね」
それこそ降り注ぐ日差しのように暖かな、慈愛に満ちた声が少年と思しき一人の影に向けられる。
「あ、ああ、、、ただ、事実は貨幣よりも価値がある。誰も自分のお金を他人に渡そうとしないだろう。そういうことだ」
「あら、私、自分の仕事に誇りがない人は嫌いだわ。それになんて安い言葉」
「いや、、、あぁ、、、そうだな、、、生活のためだ、誇りなんてない」
「ふーん、やっぱりあなた、違うんだね」
給仕の少女が、黄金色の瞳をなお輝かせて、跳ねるように耳元に近づいてそう呟いた。どこか見定めるような、からかいつつ叱るような、そんな声が少しばかり胸を高鳴らせた。
「ローア!その人はもしや新聞会社の人なのか?あまり見ない顔だ」
ローアと呼ばれた少女が、亜麻色の長い髪を尾のように振って、長いスカートを摘まみ、1人の少年を恭しく紹介するように掌を天に向けて差し出す。劇的なその所作も、彼女の器量がそれを許す。
「ええ、この方は最近ラキア湖のほとりにできた、ホーバス新聞社の支社の方です」
「ああ、そういば出来たって言ってたな。ホーバスなんて帝国傘下の大手じゃないか。若いのに凄いな、苦労したろう」
「ええ、、、まぁ」
「文章の執筆やらは寡婦の女どもの仕事だろう、ということは記者なのか?」
「そうです」
「なら、今度うちの店を紹介してくれよ、最高級の革製品をお届けする店なんだ」
「あら、さっき新聞なんて、って言ってなかったかしら?」
「多少の誇張は事実の内だろう?」
「お前の店の革製品なんざ、それこそ包み紙程度にしか使えないさ」
笑い声が伝播する。
その中心で喝采を受ける踊り子のように、ローアは全身に漲る陽の力を隠さず、テーブルからテーブルへと渡っていく。
「みんな調子が良いんだから」
最後にローアは、砂浴でもするように丁度空いていたエチカのテーブルの向かいに座った。
冷やかすような口笛がどこからか鳴るが、ローアはそれをしっしと手で追い払う。
「私ね、あなたは兵隊さんだと思うの、違う?」
「そんなまさか、違うよ」
「あ!!でも殺さないでね、誰にも言わないから」
「なんで殺す必要があるんだ。違うと言っている」
ローアが、ナイフを握るエチカの手をぎゅっと握る。
あのローアが積極的だぞ、店員が1人減っちまうなぁ、という酒に酔って大きな声が、また場を盛り上げたようだった。
その手は、まさに殺さないでというような懇願の力にも感じれば、真実を証明したい誓いの強さにも感じられた。
「私、分かるの。人にはね、3つの目があって、1つは夢想や野心を未来に描く目、2つ目は諦念と希望に満ちたそこにある目、最後はね、混乱と実直の過去の目。あなたは3つ目ね」
「案外、いや、田舎の少女らしい理念的な意見だ」
「都会を知った男の子には、遊ぶには丁度手頃な女でしょう?純朴は、ときには洗練さよりも、、、ね?今日の夜、空けときましょうか?それとも自分から誘う女はお嫌かしら?」
ローアが、握ったエチカの手をさするように指を動かす。
綺麗な、まっすぐな指の揃い方だった。
「君みたいなのは、こういった誘いを断るのが正解だろう?」
「女の子のお人形遊びには付き合うのが紳士よ。面白くない。誰だって本気の恋なんてしたくないもの」
「君を好きになってしまった人には同情するよ、それで、過去の目だからなんだって言うんだ」
「ああ、そういえばそうね。そういう目をした人はね、だいたい兵隊さんなの。外したことないのよ」
ローアは本当に忘れていたというように、エチカの皿に乗った、付け合わせのビーンズ煮込みを指で摘まんで口に運びながら、悪戯な笑顔を見せた。
一通り食事を終えたエチカは、再度忙しそうにするローアを呼び止め、チップを渡した。
「あら、手切れ金?それとも口封じかしら」
「違うと言ってるのに、君もしつこいな」
「心外ね。じゃぁ答え合わせしてあげる」
ローアはエチカの周りをぐるりと回って背後に立ち、服の仕立て屋のように彼の両の肩をさっと払って、耳元に唇を付ける。
その媚態は、いたずらの風を纏ってエチカの耳をくすぐった。
「私、多分、あなたに会ったことがあるの、エチカ少尉。それにね、輸入食品店のおば様が、聖女のルラ・コースフェルトに似た人を見たって。寡婦の被るベール、もっと濃い色にしないとダメ。あれ、結構透けて見えるから」
そう言って、もう話は終わりというようにエチカの背中をとんと叩いた。
「私を殺すなら、どうか、あなたが直接来てくださいね」
「目の話は嘘ということか」
「いいえ、嘘じゃないわ。それがなければ気づかなかったもの。私は好きな目よ」
「殺す、殺さないも、所詮お遊びだよ」
「それはそうよ。本気だったらこの世なんてたまらないもの」
エチカはその返答に満足したように、ローアから離れ、人波とは逆に歩き出す。
▲▽
「戻ったよ」
対岸が見えない広い湖畔のほとり、そこに点々と立つコテージのような建物、その1つの玄関をくぐる。
「あら、エチカ少佐。困ります」
「何がだ」
「お昼は待機のみんなでって言ったじゃないですか」
「いや、みんなで食べたんだろう?」
「リテラチャーの再教育が必要ですか、少佐」
「意地悪を言わないでくれ、コースフェルト」
「ちゃんとお昼は食べましたか?」
「食べたよ、、、、、、、、、、、、何だ?何か不満か?」
「いっ!いえ、、、あの、、、なんでも、ないです。良いお食事だったようで」
ルラ・コースフェルトは何やらエチカの顔のあたりをじっと見ていたが、すぐに顔を逸らした。
彼女は自分より背丈の低いエチカの背後に付き従いながら、金貨を引き延ばしたような、輝きながら波打つベージュの髪を後頭部で1つに結ぶ。
談話室に足を踏み入れると、食後の紅茶を飲んでいたらしい皆が慌てつつ一斉に席から立つ。
ルラ・コースフェルトもエチカの元を離れ、自分の席の前で直立した。
「定刻により、皇帝直隷第二十一班、日次任務報告を開始する」
エチカの号令の後、数名から現況の詳細報告があった。
いずれもあまり進捗らしい進捗はない。
その後、最早恒例となりつつあるが、自ら発言のない者をエチカは名指しする。
「イサラ・ザクトーフ大尉」
「え?は、、、はいっ!!!タクトフォンとの国境においては特に異常あり、、、あり、、、ありましぇん!引き続きエリオル・ハルマン曹長と同盟異分子の監視に努めますっっ!!!」
「いや、、、報告ありがとう。そうではなくて、それは何だ」
「こ、、、この子はジャージャルです、ワンちゃんです、、、」
イサラ・ザクトーフは自分の脇で健気に座る茶色の大型犬を撫でながらそう言った。
「ジャージャルは名前か、ジャルジャ中将から取ったのか」
「はいぃ、、、中将に似ていたので、、、。ちゃんと名前を頂く許可は取りました!」
「そういう問題では、、、。まぁ良い。ただ会議の時は外に繋いでおけ」
「でも、、、可哀そうです、仲間外れは、、、。この子、吠えないので、、、」
イサラはほとんど涙目になりながら、エチカに訴えかける。
今にもこちらに駆け寄って命乞いでもするかのような弱弱しさだった。
自分の話をしているなどと露程にも気づいていないそのジャージャルという大型犬が、風に揺らぐ草花のように緩慢に尻尾を揺らす。
「、、、そうか、分かった。ちゃんと躾けるように。次、モチャ・ファズ中尉」
「なにぃ?」
「何ではない。会議中にお菓子を食べるな」
「へいへい。仕事はちゃんとやってますよ。ちゃんとやってるので報告なんてありませぇん」
「クラン・イミノル伍長は何か言ってないか?」
「クランちゃん?少佐、好きだねぇ。自分の言うこと聞く部下だけ可愛がるタイプだ。私が報告に行きますって駄々捏ねてたから、クローゼットに詰めてきた」
「今すぐ転移して解放してやれ」
「お、いいの?ラッキー、じゃまた」
モチャ・ファズ中尉はエチカへの嫌悪を隠さないまま、菓子の残りを口に詰め込み、汚れた手を軍服で払いながら、談話室から颯爽と出て行った。
「後は、、、、、、ユト・クーニア上級大尉」
エチカは最後に、自分が部屋に入ってきたときからずっと睨みつけるようだったその少女に声をかける。
名を呼ばれることを予期していたのか、「はっ!」と鼻で笑って、
「報告があるのは少佐の方でしょ」
と、棘のある言い方だった。
「俺か?、、、そうだな。皆、外に出るときは注意してくれ。寡婦用のベールだが、近づくと顔が見えてしまうらしい。特にコースフェルト大尉はすでに噂になってるぞ」
「私ですか!?そうですか、、、もっと濃い色のものにします」
ルラ・コースフェルトは崩れた化粧でも確認するように、自分の頬をぺちぺちと触りながら、周囲の者たちを見る。
「そうじゃなくて、その耳にべったりと付けてる口紅はなんだって言ってんの。私たちには偉そうに言っといて、自分は女遊びに忙しいみたいね」
エチカは、はっとして自分の耳に触れる。
手には確かに橙色の口紅が付いていた。
ふと、コースフェルト大尉の方を見ると、彼女は少しばかり頬を赤くして目を伏せた。
「会議の時に済まない。以後、気を付ける」
「まぁ別に良いんだけどさ。派手にやらかした癖に、飛び級で昇進して、それで浮かれてこのザマじゃ、ミラリロが浮かばれないって言ってんの!」
「済まない」
「上官がへらへら頭下げるなよ、、、」
ユト・クーニアは最後にそう小さく呟いて部屋を出た。
会議はそのままお開きとならざるを得なかった。
▲▽
エチカは外に出て、穏やかな湖畔を見ながら立つ。
その横にルラ・コースフェルトが近づいた。
「少佐、申し訳ございません」
「何がだ」
「私、気づいていたんですけど、、、」
「いいよ、君のせいじゃない。確かに気が緩んでいた」
そのまま二人で遠く、見えぬ対岸を見るようにして沈黙する。
「俺たちの任務は、影で広がりつつある民主神聖同盟の勢力を抑え、帝国から排除することだ。それが達成できれば良い」
「少佐、お言葉ですが、それは本当なんでしょうか」
「本当とは?」
「それであるなら、皇帝直隷なんて、大層な立場は必要ありません。仮に潜入的に任務をこなさなくてはいけないとしても、です」
「そうだとしても、俺たちには与り知らないところだ」
「いえ、、、どうしても、それじゃいけないと思うんです。私たちは、多分、己で考え、対立しながらも、団結して事にあたらないと、いずれ大変なことになると、そう思えてならないんです。私たちは皆、問題児ばかりですが、少佐なら、今ではなく、先で、それが出来ると思うんです」
「賢い君から見れば、俺は考えのない、帝国の駒のように見えているのだろうな。俺もつくづくそう思うよ。それに、君は問題児ではないだろう、巻き込まれただけだ」
「いえ、私も、自分で選択した結果です。少佐は、やはり、自分を取り戻す必要があると思うんです。駒から人になるために」
その言葉は、重く、エチカの心に沈んでいった。
どこかで魚が跳ねたのだろう。凪いだ水面に波紋が広がる。
エチカは水辺に近づいて、しゃがみ込む。
水底に足を取られずに、自分たちは対岸までたどり着けるのか、その目下の不安すら、まだ自分の所有物ではない気がして、エチカは鏡のような湖に己の瞳を写し見た。
【用語】
※グローリャ酒
レガロ帝国で広く愛飲されている発泡果実酒。不動資産省管轄・国家農畜安定機構による名称使用制限品目の内の1つであり、温暖な平地で栽培されるグロリルという特産果実から作られる。主に平民が食事の際に嗜み、貴族が飲むことは稀だが、隠れてワードロープで飲む慣習が広まり、そのことから「爽やかなる薫物(たきもの)」とも呼ばれている。
※モランソース
レガロ帝国中部、モランテリア州の郷土料理に頻繁に使われるソース。グローリャ酒醸造後に出た大量のグロリルの滓(「メルダ」と呼ばれる)と、果実酢、香辛料、香草等を混ぜて煮込んだ、甘酸っぱいソース。主に肉料理に使用される。中部の平民が良く食すが、醸造者とのパイプがなければメルダを手に入れられないため、貴重でもある。
※ホーバス新聞会社
レガロ帝国傘下の新聞会社。営利企業ではあるが、帝国官僚の天下り先になっている。寡占企業であり、他にはタブロイド紙のようなものしか僅かに流通していない。
帝国御三家企業の内の一角であり、他には「第一放送会社」、「ロイヤー運網企業群」がある。御三家は互いに役員の出向を通じて密に関連している。
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男が英雄でなければならない世界 〜男女比1:20の世界に来たけど簡単にはちやほやしてくれません〜
タナん
ファンタジー
オタク気質な15歳の少年、原田湊は突然異世界に足を踏み入れる。
その世界は魔法があり、強大な獣が跋扈する男女比が1:20の男が少ないファンタジー世界。
モテない自分にもハーレムが作れると喜ぶ湊だが、弱肉強食のこの世界において、力で女に勝る男は大事にされる側などではなく、女を守り闘うものであった。
温室育ちの普通の日本人である湊がいきなり戦えるはずもなく、この世界の女に失望される。
それでも戦わなければならない。
それがこの世界における男だからだ。
湊は自らの考えの甘さに何度も傷つきながらも成長していく。
そしていつか湊は責任とは何かを知り、多くの命を背負う事になっていくのだった。
挿絵:夢路ぽに様
https://www.pixiv.net/users/14840570
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