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「隙あり!!」
すっかり手に馴染んだ木を削って作った剣を振りかざしてクレエは井戸水で顔を洗っている相手に飛びかかった。
クレエの攻撃に相手は特に驚きもせずに寸でのところで横に避ける。
ズササっと着地したクレエは素早く立ち上がり、水で濡れて視界が定まっていない相手の胴を目掛けて斬りかかった。
「まだまだ甘い」
赤子をあやすかのように相手は木の剣を自らの腰に下げていた剣の角度を変えて柄の部分で受け止め、クレエの首根っこを掴んで持ち上げた。
「クソっ! 下ろせよ!」
じたばたと両手両足を動かして抵抗するクレエ。それを相手は面白そうに眺めてから、ゆっくりと下ろした。
体格差がありすぎるのはクレエが小さいからではない。どちらかと言えば身長は平均より少し高い方だ。ただ、相手がこの国きっての誇り高き騎士団の隊長であり、尚且つ、銀の毛並みの美しい狼の獣人だからだ。
獣人というだけで普通の人間より体格が大きく、筋肉のつき方も違う。まして、相手は国と王を護るために集められた騎士団の精鋭中の精鋭。この騎士に勝てる相手などどの国を探してもいないとまで言われている強靭さを持つ最強の騎士だ。
「クレエ、隙をつきたいのならもう少し気配を消して近付け。そんなに殺気だっていたら山の中でも簡単に見つかるぞ」
クレエの頭をポンポンと軽く叩くとクレエは苛立ってその手を払い除けた。
「絶対いつか参ったって言わせるからな!」
「この分だとまだまだ先だな」
フッと笑った騎士にクレエは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
騎士団の訓練後、この城にいくつかある井戸の一つで顔の汗を流し近くに生えている立派な大木の下で一休みするのがこの獣人の日課だ。そこにたまに現れては挑み続け未だに勝ち星がないクレエ。それでも嫌がらずにクレエの挑戦を受ける騎士はレストという名で、見た目は獣人らしく迫力があり、頬には戦場で付けられた傷が残り厳つく見えるが、その性格はとても穏やかで忠誠心に厚い。
クレエは、他の騎士団のメンバーや重臣や民には絶対に見せない、軽口をたたいて爽快に笑うレストが気に入っている。誰もが真面目な表情で背筋をピンと伸ばし、少しの隙も見せないレストの強さに憧れ、時に恐れ戦き、敬意を表する。
その実、本来のレストはクレエの首根っこを掴んでみたり、木陰でウトウトしたり、厨房から漂ってくる美味しそうな匂いに鼻をピクピクさせる、緩い空気の持ち主だ。
今日も木陰に座って休むレストの隣に腰掛け、クレエはその銀色の美しい毛並みに触れた。逞しい腕につややかな毛並みは何回触っても飽きない。レストは最初それが擽ったいらしく嫌がっていたが、今はもう諦めてクレエの好きにさせている。
不意に、レストが溜め息を吐いた。彼らしくない重たい溜め息にクレエは心配になって顔を覗いた。
クレエの視線に気付き、レストは苦笑いをする。
何か考え込んだり悩んだりする事はたまにあるけれど、それはレストが騎士団を統率しているが故の案件が殆どだ。けれど今の溜め息や苦笑いはそれとは違う気がした。
「なんかあった?」
「うーん……いや……」
「オレには話せない事なら聞かないけど……」
騎士団隊長として国の政に関わる機密を部外者に話せないのは当然だ。クレエもそれを無理に聞き出すつもりはない。隊長としての悩みならレストは一人でも答えを導き出す聡明さも持ち合わせているから余計な口出しは無用だ。
「いや、個人的な問題だ。そろそろ身を固めてはどうかと言われてな……」
肩を落としてまた溜め息を吐くレスト。言っている意味が直ぐには理解出来ずに首を傾げたクレエは、チラリとこちらを見たレストと目が合ってようやく意味がわかった。
「えっ!? レスト、結婚すんの!?」
驚いて思わず立ち上がったクレエにつられてレストも立ち上がる。
「いやいや、まだ決まった訳では……ただ、その手の話は時々あったのだが騎士として未熟なのに所帯を持つには早いと断ってきたんだ。だけど今回は少し断りづらくてな……」
「断りづらいって、何でだよ?」
レストの性格は騎士だけあってしっかりしている。戦場において優柔不断ではいられない。早い決断を求められる戦場では常に自らの意思ははっきりしておかねば。
「……話を持ちかけてきたのが国王と宰相なんだ」
「は……はあっ!?」
国の一番上に立つ人間から言われたら流石に簡単には嫌だとは言えない。国王も宰相もレストを気に入っている。政治的なものではなく、心からレストに家族という幸せを与えたいのだろう。その気持ちがわかっているからこそ余計に断りづらいのだ。
「今は父が治めている北の領地もいつかはオレが継がなくてはいけないからな。その時に妻と子がいれば安泰だろうと王も乗り気なんだ……」
レストはまた溜め息を吐いた。
彼ほどの獣人ともなれば見合いの話もたくさんあるだろうとクレエも予想はしていた。しかし当の本人にその気がないのも分かっていた。今は騎士として腕を磨き、隊長としての責務を果たすことこそレストの一番望んでいることだからだ。
けれどそれは断れる相手だったから出来たこと。一国の主から直々に話を持ちかけられたらレストでなくても断ることは出来ない。
――それにレストはαだ。その血を残して一族を繋いでいかねばならない。
今やこの国は獣人のα性は稀少だ。獣人の数も減ってきている。若く健康なうちに子孫を残しておくのはα性で産まれた獣人の使命になっている。
「相手……どんな人なんだ?」
何故か胸が苦しくなってクレエは手を胸にやってぎゅっと握った。
「聞いてはいない。ただ、きっと気に入るはずだと自信満々で言われた」
「そう、か……」
王が薦める相手なら間違いはないだろう。貴族の娘か、王家の親戚か、レストと並んでも劣らない完璧な相手に違いない。
「しかしなぁ……結婚相手くらい自分で選びたいんだがな……」
「……贅沢な話だ」
レストの身分で自由に相手が選べるとは思えない。レストの一族や、騎士団や王家。全てがレストに期待をしているのだから。
「だが気持ちがなければ相手にも失礼だろう?」
「じゃあ、レストはどんな相手ならいいんだよ」
「ふむ……考えた事はなかったが、だがそれなら……」
暫し考えてからレストはクレエを見て、フッと笑った。
「お前のような一緒にいて楽しくて、気の休まる相手ならいいかもしれんな」
「なっ……バカかっ!! バカだろっ!! ホント、バカだっ!!」
レストにとってそれは深い意味もない、本気で言った訳ではない言葉だと頭の中では分かっているのにクレエは動揺して何度も「バカ」を繰り返した。
レストは困った顔で、それでも笑顔だった。
「いっその事、番になるというのはどうだ? クレエはΩなのだから問題はないだろう?」
「なっ……何言ってんだよ!! 冗談言うにしても質が悪い! そんな簡単に言うな!!」
自分がΩであることが最大のコンプレックスなクレエはレストの言葉に怒りを覚えた。そして少しだけ傷付いた。
簡単に「番になる」と言えるのはクレエを本気で番にするつもりがないから、いつもの他愛ない会話のうちの一つだからだ。
自分はレストにそういう相手として見られていないのだと遠回しに拒まれた気がしてその場にいるのが辛くなったクレエは、レストが呼ぶのも無視してそこを去った。
クレエの背中を見送りながらレストは今日一番の深い溜め息を吐いた。
「冗談のつもりはないんだがな……」
すっかり手に馴染んだ木を削って作った剣を振りかざしてクレエは井戸水で顔を洗っている相手に飛びかかった。
クレエの攻撃に相手は特に驚きもせずに寸でのところで横に避ける。
ズササっと着地したクレエは素早く立ち上がり、水で濡れて視界が定まっていない相手の胴を目掛けて斬りかかった。
「まだまだ甘い」
赤子をあやすかのように相手は木の剣を自らの腰に下げていた剣の角度を変えて柄の部分で受け止め、クレエの首根っこを掴んで持ち上げた。
「クソっ! 下ろせよ!」
じたばたと両手両足を動かして抵抗するクレエ。それを相手は面白そうに眺めてから、ゆっくりと下ろした。
体格差がありすぎるのはクレエが小さいからではない。どちらかと言えば身長は平均より少し高い方だ。ただ、相手がこの国きっての誇り高き騎士団の隊長であり、尚且つ、銀の毛並みの美しい狼の獣人だからだ。
獣人というだけで普通の人間より体格が大きく、筋肉のつき方も違う。まして、相手は国と王を護るために集められた騎士団の精鋭中の精鋭。この騎士に勝てる相手などどの国を探してもいないとまで言われている強靭さを持つ最強の騎士だ。
「クレエ、隙をつきたいのならもう少し気配を消して近付け。そんなに殺気だっていたら山の中でも簡単に見つかるぞ」
クレエの頭をポンポンと軽く叩くとクレエは苛立ってその手を払い除けた。
「絶対いつか参ったって言わせるからな!」
「この分だとまだまだ先だな」
フッと笑った騎士にクレエは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
騎士団の訓練後、この城にいくつかある井戸の一つで顔の汗を流し近くに生えている立派な大木の下で一休みするのがこの獣人の日課だ。そこにたまに現れては挑み続け未だに勝ち星がないクレエ。それでも嫌がらずにクレエの挑戦を受ける騎士はレストという名で、見た目は獣人らしく迫力があり、頬には戦場で付けられた傷が残り厳つく見えるが、その性格はとても穏やかで忠誠心に厚い。
クレエは、他の騎士団のメンバーや重臣や民には絶対に見せない、軽口をたたいて爽快に笑うレストが気に入っている。誰もが真面目な表情で背筋をピンと伸ばし、少しの隙も見せないレストの強さに憧れ、時に恐れ戦き、敬意を表する。
その実、本来のレストはクレエの首根っこを掴んでみたり、木陰でウトウトしたり、厨房から漂ってくる美味しそうな匂いに鼻をピクピクさせる、緩い空気の持ち主だ。
今日も木陰に座って休むレストの隣に腰掛け、クレエはその銀色の美しい毛並みに触れた。逞しい腕につややかな毛並みは何回触っても飽きない。レストは最初それが擽ったいらしく嫌がっていたが、今はもう諦めてクレエの好きにさせている。
不意に、レストが溜め息を吐いた。彼らしくない重たい溜め息にクレエは心配になって顔を覗いた。
クレエの視線に気付き、レストは苦笑いをする。
何か考え込んだり悩んだりする事はたまにあるけれど、それはレストが騎士団を統率しているが故の案件が殆どだ。けれど今の溜め息や苦笑いはそれとは違う気がした。
「なんかあった?」
「うーん……いや……」
「オレには話せない事なら聞かないけど……」
騎士団隊長として国の政に関わる機密を部外者に話せないのは当然だ。クレエもそれを無理に聞き出すつもりはない。隊長としての悩みならレストは一人でも答えを導き出す聡明さも持ち合わせているから余計な口出しは無用だ。
「いや、個人的な問題だ。そろそろ身を固めてはどうかと言われてな……」
肩を落としてまた溜め息を吐くレスト。言っている意味が直ぐには理解出来ずに首を傾げたクレエは、チラリとこちらを見たレストと目が合ってようやく意味がわかった。
「えっ!? レスト、結婚すんの!?」
驚いて思わず立ち上がったクレエにつられてレストも立ち上がる。
「いやいや、まだ決まった訳では……ただ、その手の話は時々あったのだが騎士として未熟なのに所帯を持つには早いと断ってきたんだ。だけど今回は少し断りづらくてな……」
「断りづらいって、何でだよ?」
レストの性格は騎士だけあってしっかりしている。戦場において優柔不断ではいられない。早い決断を求められる戦場では常に自らの意思ははっきりしておかねば。
「……話を持ちかけてきたのが国王と宰相なんだ」
「は……はあっ!?」
国の一番上に立つ人間から言われたら流石に簡単には嫌だとは言えない。国王も宰相もレストを気に入っている。政治的なものではなく、心からレストに家族という幸せを与えたいのだろう。その気持ちがわかっているからこそ余計に断りづらいのだ。
「今は父が治めている北の領地もいつかはオレが継がなくてはいけないからな。その時に妻と子がいれば安泰だろうと王も乗り気なんだ……」
レストはまた溜め息を吐いた。
彼ほどの獣人ともなれば見合いの話もたくさんあるだろうとクレエも予想はしていた。しかし当の本人にその気がないのも分かっていた。今は騎士として腕を磨き、隊長としての責務を果たすことこそレストの一番望んでいることだからだ。
けれどそれは断れる相手だったから出来たこと。一国の主から直々に話を持ちかけられたらレストでなくても断ることは出来ない。
――それにレストはαだ。その血を残して一族を繋いでいかねばならない。
今やこの国は獣人のα性は稀少だ。獣人の数も減ってきている。若く健康なうちに子孫を残しておくのはα性で産まれた獣人の使命になっている。
「相手……どんな人なんだ?」
何故か胸が苦しくなってクレエは手を胸にやってぎゅっと握った。
「聞いてはいない。ただ、きっと気に入るはずだと自信満々で言われた」
「そう、か……」
王が薦める相手なら間違いはないだろう。貴族の娘か、王家の親戚か、レストと並んでも劣らない完璧な相手に違いない。
「しかしなぁ……結婚相手くらい自分で選びたいんだがな……」
「……贅沢な話だ」
レストの身分で自由に相手が選べるとは思えない。レストの一族や、騎士団や王家。全てがレストに期待をしているのだから。
「だが気持ちがなければ相手にも失礼だろう?」
「じゃあ、レストはどんな相手ならいいんだよ」
「ふむ……考えた事はなかったが、だがそれなら……」
暫し考えてからレストはクレエを見て、フッと笑った。
「お前のような一緒にいて楽しくて、気の休まる相手ならいいかもしれんな」
「なっ……バカかっ!! バカだろっ!! ホント、バカだっ!!」
レストにとってそれは深い意味もない、本気で言った訳ではない言葉だと頭の中では分かっているのにクレエは動揺して何度も「バカ」を繰り返した。
レストは困った顔で、それでも笑顔だった。
「いっその事、番になるというのはどうだ? クレエはΩなのだから問題はないだろう?」
「なっ……何言ってんだよ!! 冗談言うにしても質が悪い! そんな簡単に言うな!!」
自分がΩであることが最大のコンプレックスなクレエはレストの言葉に怒りを覚えた。そして少しだけ傷付いた。
簡単に「番になる」と言えるのはクレエを本気で番にするつもりがないから、いつもの他愛ない会話のうちの一つだからだ。
自分はレストにそういう相手として見られていないのだと遠回しに拒まれた気がしてその場にいるのが辛くなったクレエは、レストが呼ぶのも無視してそこを去った。
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「冗談のつもりはないんだがな……」
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