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ヘンリエッタ編
175.因縁の黒き角
エイトを部屋に残し、エッタが神殿の庭に降りると、そこはさながら野戦病院の様相であった。石畳に血の跡が滴り、十数人の商人や護衛の兵と思しき人々が簡易な織物の上に寝かされている。その間を、神官たちが忙しく動き回っていた。
「来たか、ヘンリエッタ」
エッタの姿を見止めたのだろう。他の神官に混じり、けが人を診ていたクロエがエッタの方にやってきた。
「ええ。それで敵は?」
敵? と湯を入れたタライを抱えたクロエは眉を寄せる。
「魔獣ですわよ。キャラバンが襲われたのでしょう? そこにわたくしを呼んだということは、魔獣が街に乱入してきたということでしょう?」
「周りを見てものを言え。そんな状況に見えるか?」
広場には魔獣の影も形もない。一目瞭然のことであるので、クロエは肩をすくめた。
「じゃあ何で呼んだんですか。わたくし、人にかける魔法は攻撃魔法以外はできませんわよ?」
「別に貴様に治癒魔法は期待していない。そっちの手は足りているからな」
神官というのは大抵医療者を兼ねているため、治癒魔法を学んでいる。それは、フォサ大陸・マグナ大陸を問わず共通のことだ。しかもここはモウジ神国最大の神殿、治癒魔法の使い手が足りなくなる事態など、早々起こらない。
「貴様に見せたいものが二つあってな」
表情を引き締め、クロエはエッタに顔を近づける。
「何ですの?」
その様子からただならぬものを感じ、エッタも声を潜めた。
「一つ目はこれだ」
クロエは前掛けの衣嚢から「それ」を取り出した。手の平に乗るほどの黒いそれを見て、エッタは思わず息をのんだ。
「これって……!」
それは大雑把に円錐の形をしていた。ただし、底面から先端に至るまでの間はねじくれているが。黒曜石のように艶のある黒色で、鋭く尖っていた。
ねじくれた黒い角、とでも言うべきそれをエッタは知っていた。よく、知っていた。
「ブキミノヨルの、核……!」
「そうだ」
クロエは深くうなずいた。
ブキミノヨルとは、300年前の魔王がフォサ大陸侵攻の尖兵として用いた造魔獣だ。魔王に与した少数民族エクセライ族の長・魔道士ゴナルが造り出した人造の魔獣である。
この造魔獣の製法は「邪法」とされ、長きにわたって失われていたが、後に「魔獣博士」サイラス・エクセライの手によって現代に蘇った。その後は「オドネルの民」の尖兵として用いられるようになり、バックストリアやヤーマディスへの襲撃で猛威を振るった。
「これを一体どこで……?」
「襲撃を受けたキャラバンの、駱駝車の幌の上に引っかかっていた」
普通の魔獣は倒されても何も残らない。稀に魔石晶と呼ばれる魔素の結晶体が残ることもあるが、基本的には死体も残さずに消えてしまう。
しかし、造魔獣はその体に魔素を繋ぎ止める核と呼ばれる部分が残る。ブキミノヨルは額に一本の角を持つが、その角こそが核であった。
幌の上にあったということは、恐らく倒された時に落ちたのだろう。
「襲ってきたという魔獣の特徴も聞き取ったが、ブキミノヨルと合致している」
ブキミノヨルは、黒っぽい体色をした一角有翼無貌の人型に近い魔獣だ。自然発生するもので近しい種類はおらず、他の魔獣と見間違えたということはあるまい。
「その襲われたキャラバンって、オイスタムに出入りしている商人の?」
そうだ、とクロエはうなずいた。
「実は、このオイスタムに出入りするキャラバンが魔獣に襲われる被害が多発している」
「バヌス砂漠」を横断するキャラバンは二種類に大別される。すなわち、キウセイを通って首都リオットと往復するそれと、神都オイスタムと自分たちの街を行き来するそれである。
砂漠は発生頻度は低いものの、やはり魔獣の跋扈する空間だ。キャラバンが襲われること事態はよくある話だった。しかし、最近は専らオイスタムに向かうキャラバンばかりが襲われる「偏り」が生じているという。
「あまりに数が多いのでな。首都側の陰謀を主張する者も出るほどだったが……」
「それ、笑い話じゃないですわね」
先述の通り、ブキミノヨルは「オドネルの民」が尖兵として用い、その製法はサイラスという魔道士の手によって、最近復活したものだ。
サイラスは「オドネルの民」の協力者で、したがってブキミノヨルの製法は「オドネルの民」が独占している。そればかりか、独自研究でブキミノヨルの亜種まで造り出している程だ。
そんなブキミノヨルが、神都に向かう商人のキャラバンだけを襲っているのだとしたら。その動機があるのは……。
「やはり、『オドネルの民』は首都側に、トモテ王子たちの方についているということになりますわね……」
しかし、ブキミノヨルか……。クロエの手の中にあるねじくれた黒い角を見つめ、エッタは思う。
ブキミノヨルはエッタにとって因縁深い造魔獣だ。「オドネルの民」と彼女が戦うことになったのも、この核をフィオとザゴスがヤーマディスに持ち込んだのがきっかけであるし。
それ以上に、ブキミノヨルの製法を蘇らせた「オドネルの民」の協力者サイラスは、エッタの魔法の師匠であり、育ての親に当たる人物なのだ。
養父の技術が、また人を傷つけ争いに使われている。そのことがエッタの心をかきむしる。
「おい、大丈夫か?」
クロエが珍しく気づかわしそうな視線を送ってきた。彼女は、エッタがブキミノヨルに感じている「負い目」を知っている数少ない人物だ。数多くの犠牲者を出したヤーマディス襲撃にブキミノヨルが使われ、エッタがそのことに傷ついた際、心情を吐露した相手が他ならぬクロエであったから。
思えば、あの時から何かとクロエとは縁がある。こんな異国でも出会ってしまうのだから、相当なものだろう。
「……ええ、平気です」
エッタはうなずき返した。再びブキミノヨルと相対することになろうとは。エッタは大きく息を吐いて気を落ち着かせる。
「それで、二つ目は?」
「ああ、それがな……」
クロエが言いかけたその時、新たな声が響いた。
「やあ、ヘンリエッタくん」
よく通る声にエッタが振り向くと、見覚えのある男が立っていた。
がっしりとした、いかにも戦士らしい体つきの長身の男だ。砂漠を渡ってきたのだろう、砂まみれのマントを体に巻き付けていた。
「久しぶりだね。まさか、アドニス王国の外で君と出会うとは!」
「ば、バジルさん!?」
はっはっは、とその男――バジル・フォルマースは爽やかに笑った。「アドイック一」とも称される冒険者で、「銀炎の剣士」の異名を持つ。「オドネルの民」との戦いでも、エッタらと共闘し活躍した腕利きだ。
「あなた、何やってんですかこんなところで!」
「決まっているだろう、修行さ」
「砂漠で一人修行に励んでいたそうだ。その時に、たまたま通りがかったキャラバンが魔獣に襲われているのを見かけ、救助に当たったらしい」
クロエが横から補足するが、エッタが問いたいのはそういうことではない。
「それはお手柄でしたね……って、そうじゃなくて! あなた、グレースさんほっぽり出してこんなとこで何してるんです!?」
「オドネルの民」討伐の褒美として、バジルはパーティを組んでいた魔道士グレース・ガンドールと大々的な結婚式を挙げる――はずだった。
しかし、式当日に突然バジルは国外へ出奔、花嫁のグレースもそれを追いかけドレスのままで船に飛び乗るという事件が起きた。
その後、バジルに拉致される形で一緒に国外に出たヒロキ・ヤマダからの手紙で、無事にシュンジンで挙式し、バジルとグレースは結婚したとあったのだが……。
「何だ、結局結婚していたのか」
国外追放になったためにその後の事情を知らなかったクロエは、少し驚いた様子だった。
「なんですけど、すぐにシュンジンを出て行ったらしいんですよ、この人」
「うむ!」
信じられない、という目つきで見やるエッタに、バジルは元気よくうなずく。
ヒロキ・ヤマダからの手紙は、バジルとグレースの結婚を知らせるだけでは終わっていなかった。結婚後14日ほど経った頃、不意にバジルが姿を消しシュンジン国を出発、それをヒロキとグレースが追いかけ、マグナ大陸へ向かう、というところまで書かれていた。
「シュンジンで学べることは学んだのでな。あとは実戦あるのみ、とグレースのことはヒロキに任せ、マグナ大陸に修行に来たのさ」
「いやいやいや、おかしいでしょ! 結婚したのに!」
その辺りの事情も、ヒロキからの手紙にあった。二人でバジルを追ってマグナ大陸へ向かう、とも書かれていた。
「ん? 結婚したら修行を止めねばならないのか?」
「そんなことはないですけど、新婚の間は一年くらいは一緒にいてあげないと……」
「一年か。だが、少し早まったと考えれば大した差はないだろう」
「いやいや、新婚生活半月ぐらしか送ってないんでしょ!? 早まりすぎですって!」
駄目だ、根本的に話が通じていない。エッタは頭を抱えた。
「そんなことより、クロエくんから聞いたぞ。また『オドネルの民』が暴れているようだが」
「え、あ、そうですね……」
「今はグレースのことは置いておけ」
背後からクロエに囁かれ、エッタは気を取り直す。バジルのことは、ある意味ではブキミノヨルとの因縁よりも性質が悪い。
「あの魔獣、ブキミノヨルと言ったか。やはり、なかなかの強敵だ。手投げ槍による遠隔攻撃、立体的な機動、そして統率の取れた動き。並みの戦士では逃げるのも難しいだろう」
バジルの分析に、エッタはバックストリアであった襲撃事件を思い出す。あの時も、群れをなすブキミノヨルに多くの冒険者が苦戦していた。そもそも「空を飛ぶ人型の魔獣」というのが珍しい。ほぼ初見での対応になるのも、強敵となる原因であろう。
「他のキャラバンが逃げ切れないのもそのせいか……」
「加えて、砂漠は足元も悪い。空を飛ぶ敵とは戦いたくない場所だ」
それでも30匹からなる群れを相手にキャラバンの駱駝車を守り切ったというのだから、バジルの強さがうかがえるというものだ。
「バジルさん。我々、『オドネルの民』と戦わないといけないかもなんですけど」
「ああ、構わない。一緒に戦おうじゃないか」
元よりそのつもりだ、とバジルは胸を叩いた。
「助かります。正直、戦力不足なので」
「そうだな。残念ながら、神兵隊士も精強とは言い難い。エイトの『ゴッコーズ』も戦闘向きではないしな」
「ゴッコーズ」? とバジルは首を傾げる。
「あら、知りません? 『予言の賢者』が来て、今この国が真っ二つに分かれてるって話」
「いや……?」
バジルは逆方向に首を傾げた。
「お前、いつからいるんだ?」
「二月ほどになるが……」
正に「予言の賢者」で、神都と首都が対立していた真っただ中にいたというのに、バジルは先王のギラッカが死により玉座が空位となっていたことさえ知らなかったらしい。
「どんだけ修行にのめり込んでいたんですか……」
新婚早々に妻を放っておいて海外に出奔するだけのことはある、とエッタは改めて呆れた。
「仕方ないだろう。砂漠は修行するにはいい環境でな。日中はとんでもなく暑く、かと思えば夜中は非常に寒い。これだけの過酷な環境に身を置けば、自ずと磨かれていくのさ」
なるほど、とエッタは少しバジルの気持ちがわかった気がした。彼の目には、グレースとの結婚生活は過酷さがなく、修行どころか自分が鈍ってしまうように映っているのかもしれない。
「ところで、エッタくんはどうしてこの国に?」
「その辺の話も含めて、中でお話しましょう。ここの大神官にあなたを紹介しますわ」
バジルと連れ立って歩きながら、エッタはこの造魔獣による襲撃が示したものについて考える。
オイスタムと取引のある商人ばかり狙っている点で、リオット側に「オドネルの民」の関与があることはまず間違いないだろう。
では、一体誰が繋がっている?
「……ま、怪しいのは一人だけですがね」
「どうかしただろうか?」
いいえ、と誤魔化しながらエッタは手にした核を握りしめた。
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