【R18】巫女と荒神 ~いまだ神話の続く町~

ゴリエ

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第一章 神に選ばれしもの

巫女姫の証

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「――子……?」

 桃子が目を瞬かせる。言葉を失っているというより、そもそも頭のほうで理解が追いつかなかった。
 桃子の鈍い反応を受けて、春彦は彼女の返答を待つのも耐えがたい様子で、黙っていられないとばかりに話を続けた。

憑坐よりましと巫女姫の場合は、二人の間に子が生まれれば、それが吉兆ということになります。巫女姫と契りを交わすことで、荒神の荒魂あらみたまを鎮めることができるのですから。そうして、この町の安寧は神代の代から保たれてきました。
憑坐はただの神の器ではなく、同化した荒神そのものですので、生まれる子どもは神の血を受け継ぐことになります。ですから、産巣日町むすひのちょうにはいまだ神の力を扱える者が現存しているのです。この誓約の儀がなければ、とうに峰外の人々と同じように神力も失くしていたことでしょう。初めての誓約の儀のことは、訪始おとないはじめと呼びます。巫女姫のもとに、憑坐が初めて訪れて、床を共にするという意味で」

 懇切丁寧に説明されても、まだ桃子は状況を呑み込めないでいた。春彦は終始苦々しい顔つきで、もう彼が自分をからかっているなどとは思わなかったが、それでも、今の話を受け入れられるかどうかはまた別の問題だった。

「ごめんなさい、私そんなことまったく聞いたこともなくて、今の話も、その、すぐには……」
「あ、いえ、桃子さんが謝ることでは――」

 ふと顔を上げると、心配そうにしている春彦と目が合った。彼の形の良い唇が目に入ると、桃子は先ほどのことを思い出して、一気に頬を紅潮させ、固まってしまった。
 一度意識してしまうと、もうだめだった。彼の口から紡がれる、低くて優しい声を思い出す。それから白い首筋、小柄だが均整の取れた肢体、筋張った手の甲に、優美な指先……。男性としては華奢でも、女の自分とは明らかに違う体つきの少年を、桃子はもうまともに見ることができないでいた。

 ようやく事の重大さを理解した。キスをされただけでも天地がひっくり返るほどの衝撃だったのに、その上これ以上のことをしなければならないだなんて、軽々しく承服できるはずもない。どれだけ丁寧に説かれようとも、納得できるわけがなかった。

 桃子の心情を知らない春彦は、どうやら別のことにも考えを巡らせているようだった。

「やっぱり、どう考えてもおかしい……。桃子さんがご自分のことをどう思っていようと、あなたが南条家のご令嬢である以上、巫女姫に選ばれる可能性が高かったのは事実です。南条家の方々も、そこは重々承知していたはず。……それなのに、大切なお話を何一つ聞かされていないというのは、ちょっと考えられないことだと思います」

 春彦の驚嘆ぶりに、かえって桃子のほうが驚いていた。そして、よくよく考えてみれば、彼の言う通りだとも思えてきた。春彦の話はまだ受け止められそうもなかったが、それほど衝撃を受けているのも、元を正せば、桃子が大事な話を一切聞かされていなかったせいでもあるのだ。

 今ここで母との確執を春彦に話したところで、「そんなものは理由にならない」と一蹴されるだけだろう。それほど、何を差し置いてでも、桃子には絶対に伝えられるべき話だったということを、春彦は言いたいのだ。

「何の意図があって、誓約の儀のことが秘匿ひとくされていたのかはわかりませんが……。やはり、お話を聞けば聞くほど、南条家にあなたを置いておくわけにはいかないような気がしてきました。――桃子さん、ここを無事に出られたら、東宮の家に来ませんか。東宮も先ほど内情をお話ししたとおり、決してすべてが平穏にとはいきませんが、そんな家でも幾分かましだと思えるくらいには、南条家は異常です」

 桃子は二の句が継げなかった。春彦の気持ちはありがたかったが、それより先に「異常」という言葉が頭の中をすっかり占拠してしまった。

「あ、あの、気持ちは嬉しいけど、そこまでしてもらうわけには……。それに、南条に問題があるというよりは、もしかしたら私に何か原因が――」

 そう言いかけて、桃子は心臓がどくんと跳ね上がるのを感じた。動悸とまでは言えないが、それに近しいものを感じる。少し前から熱っぽさもあったものの、微細な変化だったため、今の今までさほど意識には上らなかった。――が、一度自覚してしまうと、平静でいることはできなかった。

「桃子さん、どうかしましたか……?」

 息が上がり、うなだれてしまった桃子の肩を、驚いて春彦が抱き上げる。そのとき、春彦に触れられた部分に信じられないほどの熱を感じて、桃子はとっさに彼の手を払いのけていた。

「あ、ご、ごめんなさい。大丈夫、だから……」

 そう言いながらも、体の中ではどんどん耐えがたい衝動がうごめきはじめていた。心臓が、全身の血が、桃子の中で暴れている。それが何を意味しているのかわからない。……が、ただ一つ言えることは、今目の前で心配してくれている少年に、桃子は触れたい、触れてほしい、と思っているということだった。
 今までなんともなかったのに、どうしてこんな気持ちになっているのか。自分のことなのにまるで理解できない。

「春彦くん、なんだか私、変……これ病気なのかな……。お願い、近づかないで……でないと、私……」

 桃子は涙目になりながら、必死で春彦を押しのけた。体がどこもかしこもほてって熱い。そして、口にするのもはばかられるような体内の奥底が、耐えがたいうずきを覚えている。
 認めたくなかったが、もしかするとこれが、いわゆる性衝動というものなのか。自分はそういうことに関しては淡白なほうだと思っていたのに。こんな感覚は初めてで、どうしていいかわからなかった。

 そのとき、桃子の様子を一部始終眺めていた春彦が言った。

「桃子さん、安心してください。それは病気ではありません。その反応は、あなたが正統な巫女姫であるという何よりの証です」
「ど、どういうこと……?」

 何か知っていそうな春彦を見て、桃子は息も絶え絶えに聞き返した。春彦は言いにくそうに告げる。

「憑坐の体液には、巫女姫にしか効かない催淫効果があるんです。おそらく、先ほど僕の唾液を少量摂取してしまったことが、原因かと」
「そ、それじゃあ、春彦くんは、こうなるって知ってたの? 知ってて……」
「――すみません、僕もその話は半信半疑だったものですから。まさか、ここまで強力な作用があるとは思わなくて……」

 春彦は、口では謝っていても、申し訳ないという顔をしてはいなかった。彼の目には、今は優しさや穏やかさよりも、好奇に満ちた欲動の色が宿っていた。逃しようのない熱をもてあましている桃子の姿を、一時たりとも見逃すまいと、食い入るように視線をそそいでいる。
 春彦を恨めしく思うと同時に、性的対象として見定められていることに、今の桃子は戸惑いよりも高揚感を覚えてしまっていた。

(しっかりしなきゃ……このまま流されてしまっては、だめ)

 必死に理性を手繰り寄せ、春彦に訴えかける。

「ここから出る方法は、本当に他にはないの? もう一度、二人でよく考えようよ……。春彦くんだって、憑坐にさえなっていなければ、私と、その……そんなことなんて、したくなかったでしょう……?」

 それには、春彦は静かな声音で答えていた。

「僕はばくに、悪夢と一緒に気力をも食べさせたとお話ししましたよね。それは、男として使いものにならなくなるように――自分を不能にしたかったからなんです。絶対に、憑坐に選ばれることがないように。ですが、それでもあなたに強く惹かれてしまった。出会って間もないことなんて気にならないくらい、本質的なところで、充分あなたの虜になっていますよ」
「で、でも、それは、春彦くんが憑坐だからでしょう?」
「憑坐は、一時的なものでも限られた一部分のものでもありませんよ。僕自身が荒神であり、荒神自身が僕なんです。どちらも分けて考えることはできない。荒神の本質に一番呼応した者――近しい性質を持った者が憑坐に選ばれるのであり、僕が何かになり変わってしまったというわけではないんです」

 そう語ったあと、春彦はふっと息を吐いた。

「こんな堂々巡りの話を続けたところで、あなたの熱を冷ます時間稼ぎにはなっても、ここから出られないことには何ら変わりありませんよ、桃子さん」

 春彦が急に低い声で告げてくる。

「このまま耐え抜けば、その催淫作用もいずれ和らぐかもしれませんね。ですが、そのときはまた僕はあなたに同じことをして、あなたをその気にさせます。でないと、僕たちは永久にここをさまよい続ける者になってしまうのだから」
「そんな――」

 桃子が何か言う前に、春彦が悲痛な面持ちでそれをさえぎった。

「ごめんなさい桃子さん、本当にごめんなさい……。これは、あなたの事情を知らず、事を性急に進めてしまった僕の失態です。謝って済むことでは決してありませんが、本当に、申し訳なく思っています。ですが、儀式を取り消すことだけはもうできないのです。そのことだけは、どうかわかってください」
「どうして……?」
「神にやり直しは許されないからです。もうすでに、僕はあなたの承諾を得てしまった。
荒神の意思に背けばどうなるか、桃子さんもご存知でしょう? 僕に教えてくださいましたよね。恐ろしい災厄が降りかかる、荒神がそれを引き起こすのだと。元は天津神あまつかみであった、地上に根を持たない荒ぶる神――須佐之男命すさのおのみことと、邪神である大蛇おろち荒魂あらみたまを鎮めることができるのは、巫女姫だけなのです。……いえ、そんなことは、もうこの際どうだっていい」

 春彦が桃子の肩をつかむ。

「過去に荒神の要求に応じなかった巫女姫は、その魂を食われ命を失っています。僕は、桃子さんをこの手にかけたくなどありません。そうなるくらいなら、あなたを傷つけてでも、あなたに生きていてほしい」

 春彦の目には、この世ならざる深淵の闇の色が垣間見えていた。

「もう、これ以上は待てません――あなたを、抱きます」
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