期限付きの側室なのに皇太子殿下が離してくれません!

林檎

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第二章 才能の開花編

最上階のスイートルーム

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返事はない。
ただ、静かなVIPルームには、規則正しい寝息だけが残っていた。

「まさか……ここまで酒に弱いとはな。グラス半分しか飲んでいないというのに。」

アルフレートは溜息を吐き、しばらくその寝顔を見つめた。
長い睫毛。さくらんぼのような唇。痩せてはいるが、肌は白く、きめ細やかで傷ひとつない。一見地味だが、よく見れば顔立ちは整っている。磨けば光るタイプなのかもしれない。

(……無防備すぎる。)

信頼しきって眠る姿を見て、アルフレートの胸の奥が妙にざわついた。

(男の前でこんなにも警戒心なく眠るなんて。襲われたらどうするんだ。)

アルフレートは小さく息を吐き、そっと外套を脱ぐとリリアーヌにかけてやった。細い肩が外套に包まれる。少し大きすぎるそれが、彼女の小ささを改めて際立たせた。

(……このまま、ここで寝かせておくわけにもいかないな。)

そう判断すると、彼は視線を上げてホテルの従業員を呼んだ。低い声で呼べば、すぐに従業員が駆けつける。

「部屋を用意してくれ。今夜はここに泊まる。」

「かしこまりました。すぐにご用意いたします。」

従業員が一礼して下がろうとした時、アルフレートは付け加えた。

「――最上階のスイートルームを。」

「! 承知いたしました。」

従業員が慌ただしく退室していく。ほどなくして、支配人が現れた。

「お待たせいたしました。最上階のスイートルームをご用意いたしました。では、お嬢様をお運びいたしますので――」

そう言って、支配人がリリアーヌに手を伸ばそうとした瞬間。

「いい。」

低く短い声で、アルフレートがその手を制した。

「俺が運ぶ。」

「……承知いたしました。」

支配人は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに一礼して道を空けた。アルフレートは、そっとリリアーヌを抱き上げた。

――軽い。

思わず眉がわずかに寄る。驚くほど軽い。まるで羽根のように、腕の中に収まる小さな身体。

(……こんなに軽かったのか。)

初夜は、そんなことすら気づかなかった。

「……ん。」

外套に包まれた彼女は、小さく息を吐いて無意識にアルフレートの胸元に顔を寄せた。小さな吐息が、衣越しに伝わる。

「……っ!」

まるで雛鳥のような仕草に、アルフレートの胸がざわつく。指先に微かな力が入った。胸の奥が、不思議な感覚に包まれる。

(なんだ……この感覚は。)

温かくて、柔らかくて――守らなければ、と思ってしまう。

「こちらへどうぞ。」

支配人に促され、アルフレートは静かに歩き出した。腕の中のリリアーヌは、安心しきったように眠り続けている。
その寝顔を見下ろしながら――アルフレートは、胸の奥で何かが静かに動き出すのを感じていた。




最上階のスイートルーム。
重厚な扉が閉まると、外の喧騒は嘘のように遠ざかった。

アルフレートは静かにベッドへ歩み寄り、腕の中のリリアーヌをそっと横たえる。沈み込む柔らかな寝具に、彼女は小さく身じろぎをした。

「……ん……。」

目は閉じたまま、起きる様子がない。スヤスヤと寝息を立てている。頬はほんのり赤く、長い睫毛が影を落としている。

アルフレートはしばらく、その寝顔を見下ろしていた。
安らぎきった表情。まるで子供みたいだ。肌も子供のように柔らかいのか?

アルフレートは無意識にリリアーヌの頬へ指先を伸ばした。
触れた瞬間、驚くほど柔らかな感触が伝わる。
アルフレートは指先でつつき、その弾力に思わず見入った。

そのまま視線は、わずかに開いた唇へと移る。
呼吸を確かめるように、指先がそっと唇に触れた。
その柔らかさに、心臓が跳ねる。
気づけば、指は彼女の唇の中へと入り込んでいた。

「ふっ…、ぁ……、」

リリアーヌが少し苦しそうに眉を寄せつつ、声が漏れた。

「……っ!」

アルフレートはその声に我に帰ると、慌てて、唇から指を離す。自分の鼓動の音が、やけに大きく聞こえる。

(な、何をしているんだ……! 俺は……、寝ている女に何を……!)

アルフレートは動揺して、思わず口を手で覆った。このまま彼女の傍にいると、何かしてしまいそうだ。

アルフレートはそのまま部屋を離れ、浴室へ向かった。一度リリアーヌから離れた方がいい。一旦、冷静になるためでもあった。
湯気の中で、何度も自分に言い聞かせる。

――彼女は酔っているんだ。もう絶対に、初夜のような間違いは犯さないと心に決めたばかりだろう。二度と彼女を傷つける真似は……。

アルフレートはグッと拳を握り締めた。湯を浴び、ガウンを纏って戻る。




ベッドの上で、リリアーヌがもぞりと動いた。

「……ん……?」

ゆっくりと瞼が開く。薄目を開けた先に、見慣れない天井。柔らかすぎるベッド。

「……え?」

視線が彷徨い、そして止まる。

(……ここ、どこ……?)

ぼんやりとした頭で周囲を見回す。豪華な調度品。広々とした部屋。

(え……なに、この部屋……?)

記憶を辿ろうとするが、頭がぼんやりして思い出せない。その時――水音が聞こえた。

(……お湯の音……?)

ガチャリ。扉が開く。

「……!」

湯気の向こうから現れたのは――アルフレートだった。

「で、殿下……!?」

「ああ、リリアーヌ。起きていたのか。」

濡れた髪。ガウンを羽織っただけの姿。首筋に一筋、水滴が伝う。

(わ……!)

リリアーヌの胸がドキン、と高鳴った。

(か、かっこいい……!)

心臓が、バクバクと跳ねる。

(み、水も滴るいい男って……こ、こういう人のことを言うんだ……!)

アルフレートが、濡れた髪をタオルで拭きながら何気ない様子で近づいてくる。

「気分はどうだ?」

「え、あ、は、はい……その……、」

顔が熱い。視線が定まらない。大人の男の色気にクラクラしそうになりながら、それでも何とか口を開いた。

「あ、あの、ここはどこですか?私、どうしてこんな所で‥‥、」

確か食後酒を飲んでいたはず……。なのに、その後の記憶がない。

「君は初めての酒に酔って、途中で眠ってしまったんだ。」

淡々と告げられる。

「だから、今夜はここに泊まることにした。ここはその部屋だ。」

さらりとした説明。
まるで当然の判断だったかのように。
リリアーヌは数秒、ぽかんとしたあと――一気に血の気が引いた。
記憶が、少しずつ繋がっていく。

(そ、そうだった! 私、お酒飲んで……そのまま寝ちゃって……!)

リリアーヌの顔がザア、と青褪めた。

「も、申し訳ありません! 殿下! 私、お酒飲んで寝てしまって……! ご迷惑を……!」

布団の上で身を縮める。

リリアーヌは、改めて部屋を見回した。

高い天井。重厚な調度品。足が沈み込むほど柔らかな絨毯。
そして、窓の外に広がる宝石のような夜景。

(こ、この部屋……絶対に、とんでもなく高い……!)

おそるおそる口を開く。

「あ、あの、殿下……。ここって……」

喉がひくりと鳴る。

「も、ものすごく……高いお部屋では……?」

アルフレートは静かに答えた。

「気にするな。最上階のスイートルームだが、俺はこのホテルの会員だ。特典で融通が利く。」

一瞬の沈黙。

「……ええ!?」

会員だとか特典だとか——そんな言葉は、きれいさっぱり頭から抜け落ちた。

「さ、最上階の……スイートルーム……!?」

声が裏返る。

(最上階のスイートルームって、一番高い部屋じゃない!?そ、それこそ、王族とか、高位貴族が泊まるような部屋だよね?わ、私なんかが泊まっていいの……!?)

みるみる顔が青ざめる。

「で、殿下! 私、普通のお部屋で十分です! いえ、むしろ廊下でも——!」

「何を言っている。」

低く、即座に遮られる。

「君は酔っていたんだ。静かで落ち着いた部屋の方がいいだろう。」

「で、ですが……お値段が……!」

「俺が判断したことだ。それに、支払いは俺が持つから心配するな。」

きっぱりと言い切られ、リリアーヌは口をぱくぱくと開閉させた。
頭の中では、想像もつかない金額がぐるぐる回っている。

(す、スイートルームって……一泊いくら……?)

くらりと目が回り、再びベッドに沈み込んだ。

「……おい、大丈夫か?」

アルフレートの低い声がすぐ傍から落ちてくる。

「は、はい……! だ、大丈夫です……。」

慌てて背筋を伸ばすが、心臓の音が耳に響く。

「あの、それより、殿下こそ……、」

「俺がどうした?」

「お仕事や予定があったのでは……?」

リリアーヌは視線を伏せ、小さく指を握りしめる。

「私のせいで……、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません。」

アルフレートは一瞬、言葉を失う。

「問題ない。」

短く答える。

「予定は元より空けてある。それに、泊まることになったのは君のせいではない。俺の判断だ。」

きっぱりと言い切る声。
リリアーヌは目を丸くし、それから小さく俯いた。

「……ありがとうございます。」

その頬が、ほんのり赤く染まる。
アルフレートは視線を逸らす。

(……こんな状況でも、自分のことよりも他人の俺を気にかけるんだな。……だから、放っておけないんだ。)





ベッドの上で、リリアーヌが落ち着かない様子で身じろぎする。
ふと視線を巡らせ――そして気づいた。
ベッドが一つしかないことに。

――ひとつ?

数秒の沈黙。

「……はっ!」

リリアーヌは弾かれたように飛び起きる。

「わ、私……!」

自分がその広いベッドを占領していることに気づき、慌てて布団から抜け出す。

「す、すみません!すぐ退きます!」

勢いよく横に避けようとした瞬間、足元がふらついた。

「おい!急に起き上がるな。」

すんでのところで、アルフレートに腕を掴まれる。
しかし、ぐらり、と視界が揺れ――リリアーヌはそのままアルフレートの胸元へ倒れ込んだ。

「……っ」

はだけたガウン越しに伝わる、硬く温かい感触。
リリアーヌの頬が一瞬で熱を帯びる。

(か、硬い……!)

思ったよりも広く、逞しい胸板。
濡れた髪から落ちた水滴が、彼の鎖骨を伝って消えていく。
至近距離。
衣越しに、規則正しい鼓動が微かに伝わる。

(ち、近すぎる……!)

自分の心臓の音まで聞こえてしまいそうだった。

「大丈夫か?」

心配そうに覗き込まれ、リリアーヌは慌てて頷く。

「だ、大丈夫です……!ありがとうございます。」

リリアーヌは顔を真っ赤にしながら、答える。
アルフレートはリリアーヌの様子をじっと見つめ、

「やはり、顔が赤い。まだ酔いが残っているみたいだな。」

「えっ!?あ、えっと、その…!」

(顔が赤いのは、殿下が近いからで……!でも、そんなこと、言えない……!)

「あ、あの…、殿下。その、腕を……。」

リリアーヌはドキドキしながら、どうにかアルフレートに腕を離してくれるように頼む。
そうしてくれないと、心臓の鼓動が彼に伝わってしまいそうだったからだ。

「ん?ああ。……悪い。」

アルフレートはリリアーヌに言われてすぐに腕を離した。
その一瞬、アルフレートの視線が細い腕に落ちた。
片手で掴めてしまうほどの細さ。力を込めれば折れてしまいそうだ。

(……そうだよな。好きでもない男に触られたくないのは当然、か。)

初夜のことが脳裏をよぎる。胸の奥に、鈍い痛みが残る。

(初夜であんな乱暴な扱いをした俺を許してくれただけでも十分だろう。)

そう納得しつつも、アルフレートの胸のもやつきは消えなかった。
それを振り払うように、アルフレートは低い声で告げた。

「ここはお前が使え。」

そう言って、リリアーヌにベッドで寝るように促した。

「い、いえいえいえ!?」

が、リリアーヌは全力で首を振る。

「私はソファーで十分です!殿下がベッドを使って下さい!」

「何を言っている。女をソファーで寝かせる真似ができるか。俺はソファーでいい。」

「!」

――女。

その言葉が、胸の奥に真っ直ぐ落ちた。

(……お、女って……私のこと?)

リリアーヌの心臓が、どくん、と強く跳ねる。

(わ、私のことを、ちゃんと“女性”として扱ってくれるなんて……!)

じわ、と目の奥が熱くなる。

(や、やっぱり、殿下ってとっても紳士的……!)

胸がきゅうっと締めつけられる。

今日だけで何度目だろう。
セインたちにも、この十分の一でも優しさがあればと――思ったのは。

セインや彼の悪友たちなら、ソファーどころか、部屋から追い出されていたかもしれない。彼らにとってリリアーヌは、女性ではなく家畜同然の存在なのだから。

でも、殿下は違う。私のことをきちんと"女性"として扱ってくれる人がいる。それだけで胸がいっぱいになる。

(ハッ…!駄目駄目!殿下の優しさに甘えて、これ以上迷惑をかける訳にはいかない!)

「だ、駄目です!殿下をソファーで寝かせるなんてそんなこと…!それに、私なら、大丈夫です。私はソファーでも、何なら床でも、熟睡できる自信があります!」

「……君は俺を何だと思っている。」

「え?」

「俺が女をベッドから追い出して、自分がベッドで寝るような男に見えるのか?」

「い、いえ!決してそんなことは……!」

「なら黙って使え。」

ぴしゃりと言われ、リリアーヌは固まる。
だが、それでも引かない。

「で、ですが! 私の方が身体も小さいですし、ソファーで十分です! 殿下の方が背が高いのですから、広いベッドを使うべきです!」

二人の間に、妙な押し問答が生まれる。
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