冷遇され、虐げられた王女は化け物と呼ばれた王子に恋をする

林檎

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第五章 再会編

壊れた砂時計

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パキン!と音が立てて、硝子が粉々に砕けた。

「ッ!何てこと…!」

硝子に閉じ込められていた砂が床に散乱する。割れたのは砂時計だった。
ニーナは壊れた砂時計に手を伸ばした。

「母さん?今、凄い音がしたけど…、」

異変に気づいたエルザがニーナに声をかける。
そして、割れた砂時計を見て、息を呑んだ。

「なっ…!?砂時計が割れてる!?そんな…!」

エルザは動揺して、声を震わせた。
一見、ただの砂時計に見えるが、これはどこにでもある砂時計じゃない。
これは記憶を封印する魔道具の一種。
要するに忘却魔法のようなもので、記憶を砂時計に閉じ込めることで忘れさせるという魔道具だ。
ヘレネ様と母はこれを使って、ティナ様の記憶を封じた。
それが割れたという事は…、

「これが割れたということは…、ティナ様の記憶が…、」

「…ええ。ティナ様が…、記憶を取り戻してしまったわ…。」

「だ、大丈夫なの?あの記憶が戻ったら、ティナ様がまた…、」

あの時のティナ様を思い出し、エルザは青褪めた。
いつも穏やかで優しくて、自分が傷つけられたりしても怒ったり、恨んだりしなかったティナ様が…、初めて激しい怒りを露にした。誰かを…、他人を憎いと口にしたのはあれが初めてだった。
そして、それを口にしたことで、ティナ様は…、
ニーナもすぐにその可能性に気付いたのだろう。焦燥の滲んだ声でエルザに指示を飛ばした。

「エルザ!すぐにスザンヌに連絡を取りなさい!急いで!」

「ッ!う、うん!」

エルザは急いで自分の部屋に駆け込んだ。





美しい音色が聴こえる。
まるで心が澄み渡るような…、聴いているだけで心地よい。
上品で美しい旋律…。

『まあ…。リスティーナ様。来てくれたのですね。』

音色を奏でていた銀髪の美しい女性が楽器を弾く手を止めた。
イエローアンバーの瞳を細めて、リスティーナに微笑みかける。

『シオン!リスティーナ様が来てくれたわよ。』

銀髪の女性はリスティーナを部屋に招き入れてくれた。
夜空に浮かぶ月を連想させる美しい銀色の髪…。
背中まで伸びたその美しい髪が風に乗って靡くのを見るのがリスティーナは大好きだった。

『もう少し肩の力を抜いて…。そうです。その調子…。』

彼女の奏でる音色が大好きで、リスティーナは夢中になった。
そんなリスティーナに彼女は音楽の魅力を教えてくれた。

『リスティーナ様。私に何かあったら…、あの子を…、シオンを頼みます。』

そう言って、どこか悲しそうに…、寂しそうに微笑んだ。
まるで自分がいつか死ぬことを分かっているかのような言葉だった。
リスティーナが彼女を最後に見たのは…、背中まであった豊かで美しい銀髪がざっくりと切られ、粗末な衣服に身を包み、両腕を拘束されて、処刑場へ連行される姿だった。
リスティーナが声を張り上げて、泣きながら、名を呼ぶと、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
リスティーナと目が合った彼女は…、最後は弱々しく笑い、静かに涙を流した。
その直後、断頭台の刃が光り、落下した。
首が刎ねられる寸前…、母の手がリスティーナの視界を覆った。
リスティーナが覚えているのはそこまでだった。

「ッ…!」

リスティーナはハッと目が覚めた。
バクバクと心臓が激しく脈打っている。
頬には涙で濡れた感触があった。
知っている…!私はこの記憶を知っている。
これは、この記憶は…、私の過去の記憶…!

「…シャノン様…。」

リスティーナは泣きそうな声で呟いた。
ああ…。どうして、今まで、忘れていたの。
忘れる筈がない。忘れられる訳ない。

シャノン。母と同じく、父の側室の一人で平民出身の女性だった。
同じ平民でも踊り子だった母と違い、シャノンはブルジョワ階級の出だった。
平民でありながら、貴族令嬢以上の教育を受けて育ち、特に音楽の才能に恵まれていた。
音楽の国、テーゼ国に留学していた経験もあった。
留学を終えたシャノンは王宮で宮廷楽士として、仕えていた。
その美貌から、父である国王に見初められ、側室に迎えられた。

同じ平民出身という共通点もあったせいか、側室の中で唯一、母が交流していたのがシャノンだった。
そのせいか、リスティーナもシャノンと親しく、シャノンを歳の離れた姉のように慕っていた。

シャノンはやがて、男児を産んだ。
リスティーナにとっては、初めての弟だった。
髪色以外、シャノンに瓜二つの弟はとっても可愛くて、リスティーナは時間を見つけては、シャノンと弟の元を訪れ、よく遊びに行っていた。
姉上、と呼んでリスティーナの後をついて回る弟はとても愛らしくて、リスティーナは弟を可愛がった。
異母兄弟の中で唯一、リスティーナを慕って、仲良くしてくれたのはシオンだけだった。

『姉上。大きくなったら、僕と結婚してくれる?』

そう言って、庭から摘んだ薔薇を一本、差し出して求婚する姿にリスティーナは可愛くて、キュン、としたものだ。
その後、姉弟では結婚できないのだと知り、ショックを受けたシオンが泣いてしまったのはいい思い出だ。

『姉上を虐めるな!』

リスティーナがレノアや異母兄達に虐められていると、シオンがリスティーナを庇うように両手を広げて、小さな体でリスティーナを守ろうとしてくれた。
可愛くて、強くて、優しい私の弟…。

「シオン…。」

リスティーナは弟の名をポツリ、と呟いた。
すると、ガシャン!と音がした。
びっくりして、音のする方に目を向ければ、そこには固まったルーファスが立っていた。
床には硝子の破片と液体が零れている。

「る、ルーファス様!?」

もう、起きていたの?
あっ!わ、私…、今、何も着てないんだった…!
リスティーナは慌てて、シーツで身体を隠し、もぞもぞと起き上がった。
手櫛で髪を整えながら、ルーファスを見やると、ルーファスは唇が震えて、顔が真っ青になっていた。
様子がおかしいことに気付き、リスティーナは思わず心配になって声を掛ける。

「ど、どうしたんですか?ルーファス様。顔色が悪いですよ?どこか、具合でも…、」

「……。」

ルーファスは俯いて、無言になった。
何も答えてくれないルーファスにリスティーナは不安になる。
思わずルーファスの所に駆け寄ろうとしたが、動こうとした途端、腰に鈍痛が走った。
い、痛い…!ズキズキと痛む腰にリスティーナは顔を歪めた。
寝台で蹲っていると、ルーファスがカツカツと靴音を立てて、リスティーナに近付くと、そのままリスティーナの肩を掴んで寝台に押し倒した。

「ッ!?あっ…!」

ギリッ、と肩を掴んだ手に力が籠められ、リスティーナは痛ッ!と眉根を寄せた。
ルーファスを見上げれば…、怖い位に無表情のルーファスがいた。
感情が抜け落ちたかのような表情…。
目に光がなく、彫刻のような美貌も相まって、余計に恐ろしさを増している。
ヒヤリ、と室内の温度が一気に下がった気がした。

「る、ルーファス様…?」

ここまでルーファスはずっと無言だ。それが逆に怖い。リスティーナはせめて何か言ってくれないかという期待を込めて、ルーファスの名を呼んだ。

すると…、ルーファスがリスティーナの目元を手で覆った。
そのせいで視界が塞がれ、何も見えない。
ルーファスが何かを呟く。
リスティーナが聞き返そうとするが、その瞬間、ピシッ!と身体に電流のようなものが走った気がした。
な、何?今の…?戸惑っていると、ルーファスの手が外され、視界が露になった。
しかし、相変わらずルーファスは無表情のままだ。
彼は低い声でぼそり、と呟いた。

「シオンとは…、誰だ?」

「え?」

「まさか、君の恋人か?……俺よりもそいつの方が好きなのか?」

「はい!?え!?こ、恋人?」

ルーファスの言葉にリスティーナはギョッとした。
な、何でそんな勘違いを?
要するに、私がシオン、と男の名前を口にしたものだから、ルーファス様はあり得ない勘違いをしてしまったようだ。リスティーナは慌てて、否定した。

「ち、違います!違います!シオンは私の弟です!恋人なんかじゃありません!」

「は…?弟…?」

ルーファスはリスティーナの言葉にきょとん、とした。
フッと冷たい空気が和らぎ、段々と室内の温度が元に戻った気がした。
ルーファスの表情にも変化が生まれた。
さっきまで怖い位に無表情だったのに今はどこかぽかんとした表情に変わっている。

「私にはルーファス様だけです…。恋人なんていたことありませんよ。」

「そ、そうか…。弟、か…。」

ルーファスは自分の勘違いを恥じるように口元を手で覆い、気まずそうな顔をした。

「その…、悪かった。つまらない嫉妬をして…。肩…、痛かったよな?大丈夫か?」

ルーファスは労わる様にリスティーナの肩に触れた。
その表情はさっきの怖い位に温度を感じさせない無表情と違って、シュン、と落ち込んだような表情だった。
青と紅の瞳が悲し気に揺れている。
そんな彼の表情にリスティーナはドキッとした。

「大丈夫ですよ。私も誤解させるようなことを言って、ごめんなさい。」

「いや。君は悪くない。俺がその…、勝手に勘違いして、嫉妬してしまっただけで…。」

ルーファスはリスティーナを不安そうにジッと見つめると、キュッとリスティーナの手を握った。

「その…、次からは気を付けるから…。だから…、嫌いになったりしないでくれ…。」

不安そうにこちらを見るその目は…、まるで捨てられた犬のようで…、リスティーナはキュン、と胸がときめいた。
リスティーナはルーファスの手をギュッと握り返すと、

「嫌いになんてなりませんよ。私…、嬉しいです。ルーファス様が嫉妬してくれて…。」

スリッとリスティーナはルーファスの手に頬擦りした。

「ルーファス様に愛されているのだと実感できて…、とても嬉しいです。ルーファス様。もし、不安な時はまた言って下さいね。」

「リスティーナ…。ありがとう…。君は本当に…、」

ルーファスはギュッとリスティーナを抱き締めた。
そんなルーファスにリスティーナも抱き締め返した。
ルーファスの嫉妬深い一面を知り、リスティーナは益々彼に対して、愛おしさを感じた。
しばらくそうしていたが、身を離したルーファスがリスティーナに質問した。

「ところで、どうして、急に弟の名前を呼んだりしていたんだ?」

「昔の夢を見てしまって…、シオンのお母様のシャノン様とシオンの夢を見ていたんです。」

「夢…。ん?そういえば、メイネシア国は確か王子は三人で、全員君よりも年上だったんじゃなかったか?」

リスティーナの言葉に何か考えるような素振りを見せたルーファスだったが、すぐに別の視点に疑問を抱いた。メイネシア国では王子は三人だとされている。…表向きは。

「シオンは王家から存在を抹消された王子なんです。本来は第四王子で末の王子に当たるんですけど…、シオンは…、」

リスティーナは一度、言葉を切り、グッと涙が込み上げるのを堪えると、

「シオンは…、もう亡くなっているんです。」

リスティーナは暗い声で真実を告げた。

「亡くなった?どういうことだ?それに、王家から存在を抹消されるだなんて一体、何が…、」

「シオンの存在と名前が王家から抹消されてしまったきっかけは、シオンのお母様のシャノン様が不義密通の罪で処刑されてしまったからなんです。そのせいでシオンは国王の子ではないと疑いをかけられて、シオンも処刑されてしまって…、まだ八歳だったのに…。」

側室が不義を犯し、シオンも国王の実子ではないと疑われたため、醜聞を恐れた王家は他国にその事実を隠した。
その為、シオンの存在も抹消され、処刑されてしまった。
他国の王族であるルーファスが知らないのも無理はない。
シオンの死を思い出すだけで涙が溢れ出る。

「私…、今までずっと忘れていたんです。シャノン様とシオンの事を…。どうして、こんな大事なことを私は忘れてしまったんでしょう…。」

あんなにも大切な二人を…、どうして、今まで忘れていたの。
母とニーナ達以外で唯一、リスティーナと仲良くしてくれた優しいあの二人を何故…!
あの時に感じた悲しみと絶望、痛みと苦しみ、怒りと憎しみが甦る。
そうだ…。私はあの時、初めて人を憎いと思った。 
父に…、憎しみを抱いた。
リスティーナは思い出した。思い出してしまった。
そんなリスティーナの肩にルーファスは手を置くと、

「大切な家族や恋人を目の前で亡くしたり、失った人間が強いショックを受けて、記憶喪失になるという話を聞いたことがある。もしかしたら、リスティーナも同じように一種の記憶障害になっていたのかもしれない。」

「記憶喪失…。」

「ふとしたことがきっかけで記憶を取り戻すことがあるらしい。何がきっかけで思い出したのかは分からないが…、何らかの理由できっと、君は記憶を取り戻したんじゃないのか?」

どうして、突然記憶が戻ったのかは分からない。
分からないけど…、シャノン様とシオンの大切な思い出を取り戻せて良かった。
二人が亡くなったことはとても悲しいことだったけど、だからといって、あの二人を忘れたいとは思わない。
今はいないけど…、二人の思い出はリスティーナにとってかけがいのないものだった。

「リスティーナにとって、シオンは大事な存在だったんだな。」

「はい…。シオンと私は腹違いの姉弟だったんですけど…、私にとってとても大切な弟でした。兄妹の中で唯一、シオンだけが私を慕ってくれていて…。」

リスティーナはルーファスに話した。
父の側室、シャノンのこと。異母弟のシオンの事を…。
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