あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ

文字の大きさ
1 / 89
カフェ店員のやんごとなき事情

カフェ店員あまりさんのピンチ

しおりを挟む


 あ~、いい匂いだな~。
 カフェの匂いってやっぱり好きだ。

 朝の混雑が落ち着いて、ようやくゆったり珈琲の香りに浸れる時間帯。

 新米店員……と言ってもバイトな南条なんじょうあまりは、テラスに居る客に珈琲を運びながら、その香りにご満悦だった。

 だが、外に出ようとした瞬間、足が止まりそうになる。

 そのテラス席で、書類を見ながら話しているビジネスマンらしき男二人が視界に飛び込んできたからだ。

 そのうちの片方に目を止めたあまりは、そのまま引き返しそうになる。

 ま、まま、まずい……っ!

 何故、此処にっ?

 ところが目の前でテーブルを拭いていたマスターの甥、成田克也なりた かつやが顔を上げ、
「あまり、なにやってんだ?
 早く持ってかないと冷めるだろ」
と言い出した。

 そ、そうですよね。
 冷めますよね。

 この美味しい珈琲を美味しいタイミングで出せないなんて悪ですよね、悪。

 店の前を通るたび、素敵なカフェだなーと眺めていた店に、やっと雇ってもらったのだ。

 マスターのためにも、今すぐこの珈琲を運ばなければっ。

 ただ、珈琲をそこからそこに運ぶだけなのに、あまりは妙な使命感に目覚め、悲壮な覚悟で外に出た。

 大丈夫……。

 大丈夫だ、きっと。

 なんか一生懸命話してるから、こっちになんて、顔も向けないに違いない。

 仕事の邪魔をしないよう、あまりは、そっと書類の隙間に珈琲を二つ置く。

 だが、手前の男が、その整った顔を上げてきた。

 思わず、目が合う。

 ……ヤバイ。
 この顔、間違いないっ、と思ったのだが、男は、
「ありがとう」
とだけ言い、また視線を落として、話し始めた。

 よかったーっ。
 覚えてなかったみたいっ。

 神様、ありがとうっ、とふいに教会付属の幼稚園を卒園して以来、拝んだこともない神様を拝みたくなる。

 一緒に居た男が帰っても、問題の男の方はまだ書類を見直しながら、珈琲を飲んでいた。

 ふう。
 やれやれ、とトレーを戻しに行きながら、カウンターのガラスケースの中のベーグルやクロワッサンを眺める。

 今日のまかない、なにかな~と呑気なこと思っていると、カウンターの中に居た成田に、

「あまり、外」
と言われた。

「あ、はい」
と一度行った気安さから、あまりは、なにも考えずに、さっきの男の近くのテーブルを片付けに行く。

 鼻歌まじりにテーブルを拭いてしまい、あっ、しまった、お客さん居るのにっ、と思ったとき、後ろから声がした。

「ご機嫌だな、南条あまり」

 よく響く低いのに甘い声だ。

 こんな場面じゃなかったら、どきりとしてしまいそうだ。

 一瞬、逃げちゃおっかな~、と思ったのだが、ガラスの向こうにはマスターと成田が居る。

 あまりは、笑顔を作って振り返った。

 その男、犬塚海里いぬづか かいりは、真っ直ぐ自分を見、言ってきた。

「何故、こんなところに居る? 南条あまり」

 に、二度も名前を繰り返さないでください、と思いながら、あまりは笑顔のまま固まっていた。

 海里は自分を見ている。

 マスターたちも、なんとなくこちらを見ている。

 仕方ない。

 あまりは笑顔のまま言ってみた。

「バ、バイトですー……」

「何故、お前がバイトなんぞする必要がある、南条家のお嬢様」

 尋問するような口調で訊く海里に、
「こっ、此処で働いてみたかったんですっ」
と言うと、ほう、と言う。

 たっ、助けて、誰かっ、と思わず、目で訴えてしまったらしい。

 異変を感じた成田がこちらに来ようとした。

 ヤヤヤヤ、ヤバイッ。

「それだけか」

 そこで更に、海里が威圧的に訊いてきたので、思わず、つるっと言ってしまった。

「……い、嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」

「それ、俺だろ」

 ……そーですね、と思ったが、まさか、そのまま口にするわけにもいかず、あまりは、ただ引きつった笑いを浮かべていた。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀! 片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。 貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。 しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。 利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。 二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー? 曄琳の運命やいかに!

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

OL 万千湖さんのささやかなる野望

菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。 ところが、見合い当日。 息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。 「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」 万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。 部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。

悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~

咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」 卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。 しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。 ​「これで好きな料理が作れる!」 ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。 冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!? ​レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。 「君の料理なしでは生きられない」 「一生そばにいてくれ」 と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……? ​一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです! ​美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

処理中です...