あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ

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カフェ店員のやんごとなき事情

楽しそうにお茶を淹れそうだから

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 海里となにを話しているのか知らないが、マスターは笑っている。

 他の用事をしながら、あまりはカウンターを窺っていた。

 しばらくして、海里が戻ってくる。

「お前の意志次第だとマスターは言ってるが、どうする?」

「なんの話ですか?」

「うちの会社にお前を派遣してくれないかと言ったんだ」

「はい?」

「うちの秘書室にだが」

 なにゆえっ!?

 ひ、秘書……?

 ……秘書?

 秘書……。

 父親の秘書などを見て、その実態を知っているにもかかわらず、あまりの頭の中では、昔ながらの美人秘書がおじさんの膝に乗り、愛人になって、捨てられ、人生、転落していっていた。

 恐らく、昨日の尊のせいだ。

 衝撃に固まったあまりは、何故か、海里の腕をつかんでいた。

 ちょうどそこに居たからだろう。

「……だから放せ」
とまた、海里に睨まれる。

 あまりが動かないので、自ら珈琲を運びに出てきたマスターが、
「うちはどっちでもいいよ。
 あまりちゃんの好きなように」
と笑って言ってきた。

 ……秘書、とあまりは、まだ口の中で呟いていた。




 あのあと、近くのビルに配達に行っていた成田は、帰ってから、あまりが海里の会社に行くことになった話を聞かされた。

「なんで僕の居ない間にっ」
と言うと、

「あれっ? まずい?」
と自分とは似ていない丸顔の叔父は笑って言ってくる。

「あまりがそんなとこ行ってなにすんだよ」
とテラス席の女性客に苺のワッフルを運んでいるあまりを見ながら叔父に噛みつくと、

「えーとね。
 珈琲淹れたり、お茶淹れたり」
と言ってくる。

 は? と訊き返した。

 まあ、秘書もそういうことはするだろうが。

 なんだか、それだけ、な雰囲気なのだが、と思っていると、
「うちの商品売ってくれたりー」
と叔父は陽気に笑い出す。

 なんなんだ? と思っていると、
「明日から、あまりちゃん、四時間くらい此処抜けるから、頑張ってね、克也」
 はい、と出来上がった珈琲をふたつ、トレーに入れて渡された。



「えーっ。
 なんなんですかっ、それっ。

 ずるいですーっ、あまりさんっ」

 あまりが海里の会社に行くことになったと聞かされた沙耶が騒ぎ出した。

 あまりは、はは……と力なく笑い、
「……替わろうか?」
と言ってみた。

 どうも秘書と言っても、要するに、秘書室でお茶を淹れて欲しい、というだけのことのようなのだが。

「最近の女子社員はお茶汲み、嫌がるからな。
 俺はそれはそれで立派な仕事のひとつだと思うんだが」
と海里は言っていた。

「ま、それだけをやらせてたら問題だがな」
と言う海里に、いや、貴方今、私にそれだけをやらせようとしてますよね? と思う。

 まあ、私は別に嫌ではないし、社員じゃないから関係ないけど、と思っていると、海里は突然語り出した。

「うちの父親、結構厳しくてな」

 写真で見る限り、気のいいおっちゃん風な感じでしたが、と、もうかなり出来上がった状態の同窓会の写真を見ていたあまりは思う。

 このべろんべろんな状態で、肩など組んで校歌を歌ったついでに、人の結婚を決めやがったか。

 この写真で笑っている、この次の瞬間かっ? などと思いつつ、凝視していたので、よく覚えている。

「子どもの頃、俺にお茶を淹れさせてたんだよな。
 まずいとわざわざ流しに行って、ザバッと捨てやがる。

 気持ちが入ってないとか言って。
 子どもだから、さっさと用事は済ませて遊びたいよな」

「えっ。
 遊んだりとかしてたんですか?」
と言うと、妙な顔で見られた。

「ずっと勉強してるのかと思ってました」

「……どんな偏見だ。
 効率悪いだろうが」
と言われてしまう。

 まあ、そうですよねー、と苦笑いして聞いていると、
「でも、美味しいときはさ、満足そうに頷くんだ。

 なんて言うんだろうな。
 こう、労力支払って、仕事をやり遂げて、お客様を満足させたときの快感をあれで覚えたというか」
と海里は語る。

 なるほど。
 将来を見越しての非道な行いだったか。

 子供がせっせと淹れたお茶をあの宴会のときのような笑顔で笑いながら捨てる海里の父を頭に思い浮かべて、ああっ、ひどいっ、と思っていたのだが。

「お前なら、プライドを持って、お茶を淹れそうだからな」

 別に秘書の連中にお茶汲みのプロになれって言ってるんじゃないんだ、と海里は言う。

「そういう忙しいからさっさと済ませてしまいたい仕事の中にも、喜びを見出せる奴も居て。

 ちゃんとやり遂げた仕事なら、自分ではつまらないと思ってることでも、人はすごく満足してくれたり、それで、仕事が円滑に進んだりするってことを知って欲しいかなと思って」

「あー、わかる気がします。

 美味しいもの食べたり、美味しいお茶飲んだりして、幸せな気持ちになると、饒舌になるし、なんでも許せる気がしますよねー」
と呟くと、海里がこちらを見た。

「……なんですか?」

 いや、と言ったあとで、
「まあ、お前に美味しいお茶が淹れられるとは思ってはいないんだが」
と言ってくる。

 うっ。

「でもまあ、楽しそうには淹れそうだからな」

 どうやら、あまりの仕事ぶりをずっと窺っていたらしい。

 ぎこちないながらも一生懸命やっていることが評価されたようで、ちょっと嬉しかった。

「それと、昼休み、珈琲やパンをうちの会社で販売してもらうことになったから」

 えっ?

「マスターのために頑張って売れ。
 ……ま、お前が淹れたお茶より、そっちの方が喜ばれるかもな」

 じゃ、と行こうとした海里は振り返り、
「何時に終わるんだ?」
と訊いてきた。

「五、五時半ですけど」
と言うと、

「じゃあ、その頃、ちょっと寄る。
 ちょうど時間が空いてるから」

 帰らずに待て、と勝手に言って去って行った。



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