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蝋人形と暮らしています
妻との距離が縮まらない
その日、帰ってきた行正に、咲子はコーヒーを出した。
「どうぞ。
半分、水出しコーヒーです」
「水出しコーヒー?
いきなり最初から凝ったことをするんだな。
冷やしコーヒーじゃないのか?」
と行正は訝しげだった。
明治に氷コーヒーとして登場したアイスコーヒーは、大正時代には、喫茶店のメニューとして定着し、冷やしコーヒーと呼ばれるようになっていた。
だが、冷やしコーヒーは瓶に詰めたコーヒーを、井戸水や氷で冷やしたものなので、咲子が作ったものとは違う。
そこで、行正が気づいたように言ってきた。
「いや、待て。
何故、『半分』なんだ。
さては、なにか失敗したんだな……」
と言われ、咲子は白状する。
「いや~、それがサイフォンじゃなくて、ネルドリップで淹れるの習ったんですけど。
半分淹れたところで、なんか色が薄いな~と気がつきまして」
お湯のつもりが水だったんですよね~と咲子は遠い目をして語った。
「でも、そういえば、オランダの人が植民地でやってたっていう水出しコーヒーってあるな~と思い出しまして。
袋に入れたコーヒーを木の枝に吊るして、水をかけて濾過するっていう」
今のインドネシアでオランダ人がやりはじめたという、いわゆるダッチコーヒーだ。
「水出しコーヒーって、ゆっくり抽出するから、まろやかで美味しいというではないですか。
じゃあ、まあいいか、と思って」
「……お前はこのコーヒーを木の枝に吊るして、一晩かけて抽出したのか」
「まあ、私は、うっかり水を入れてしまっただけなんですが……。
あっ、でも、大丈夫です。
半分はお湯ですっ」
となにも大丈夫じゃなさそうなことを咲子は力説した。
「……よくそんなものを堂々と出してきたな」
そう罵りながらも、行正はカップに口をつける。
「ぬるい……。
薄い。
でも、まあ……
まずくはない」
という微妙な評価だったし。
この莫迦嫁め、という毎度、安定した評価が心の声として聞こえてきたが、とりあえず、全部飲んでくれた。
どうにも妻との距離が縮まらないな。
冷たいんだか、温かいんだかよくわからないが、まあ香りは悪くなかった謎コーヒーを飲まされた行正は思っていた。
まあ、縮まらない理由はわかっている。
俺がつまらない男だからだ。
そもそも、女性が苦手だし。
気の利いたことも言えないし。
しかし、こうして二人で家族となったのだ。
しかも、いずれは、三条の当主とその妻ということになる。
世間体も考えて、もう少し、家族らしくなっておかねば。
先に結婚した学友が言っていた。
「女は厳しくしても、なんにも言うこと聞かないぞ。
欲しがってるものを贈ってやったり。
やさしくしてやったり。
多少、甘めに接した方が、愛が深まって、こちらの望みも叶えてくれるし、言うことも聞いてくれるぞ」
そのときは、結婚とは面倒臭いものだな。
俺はできるだけ遅くしよう、と思っただけだったが。
今、その言葉が重くのしかかっている。
なんとか参考にしようとして――。
だから、朝も、いつもなら振り向かずに行くところを振り向いて、
「……お前の淹れる珈琲、期待している」
などと言ってみたのだが。
出てきたのは、謎コーヒー。
ほんとうに一晩木にコーヒーを吊るして、濾過しかねない妻が淹れた謎コーヒー。
まずくはない、というのが精一杯だった。
ときには、笑顔など浮かべながら、妻と話したいところだったのだが。
どうにも、うまくいかなかったのは、あのコーヒーのせいなのか。
それとも――。
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