ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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ケダモノが膝を抱えています

ご機嫌だね

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 朝の会議には余裕で間に合った。

 最初は講演会があったのだが、ホールで隣りに座った笹原が、
「どうしたの、ご機嫌だね。
 戻ってきた甲斐あった?」
と言ってくるので、

「明日実が改札まで見送ってくれて、いってらっしゃいと言ってくれたぞ」
と機嫌良く言うと、

「……平和だね」
と言われた。

 笹原に女のことで小莫迦にされる日が来るとは思わなかったな……、と思いながらも、それでもなんだか幸せだった。

 講演会の内容がいまいちだったので、まあ、出席したってことでいいだろうと、ずっと頭の中で、俯いて恥ずかしそうに言う、明日実のいってらっしゃい、をリピートしていた。

 

 明日実は貴継と別れたあと、待合室でサンドイッチを食べてゆっくりしてから、いつもの電車に乗った。

 もうこの駅には戻ってこないので、お泊まりの荷物を持ったままだが、従姉の家に泊まったのは本当なので、まあいいか、と思っていると、いつも乗る駅を通り過ぎた頃、人波を抜けて、他の車両から安田課長がやってきた。

「おはよう。
 佐野さん」

「課長、大丈夫なんですか?」

 確か具合が悪くなって、貴継が代わりに出張に出たはずだ。

 人一倍責任感の強い安田が休むだなんてよっぽどだろうと思ったのだが。

「いやー、一昨日、夜も診てくれるし、いつも空いてるからと思って、近所のヤブ医者に行ったら、薬出してくれただけだったんだけど。
 いつまでも痛みが治まらなくてさ。

 どうも、虫垂炎だったみたいで」
と軽く言ってくる。

「ええっ?
 入院しなくていいんですか?」

「するよ、入院。
 今、点滴打って、病院から来たの」

 昼から手術、と言う。

 ひいいいっ。

「昨日から部長も居ないでしょ。
 僕まで居ないのもまずいかと思って」

 いやいやいや。
 早く帰ってくださいっ、と明日実の方が青ざめる。

 明日実の顔色を見て笑い、
「はは。
 大丈夫。

 軽く確認してすぐ帰るよ」
と言ってくる。

「い、痛くないんですか?」

「……痛いね」

「座ってくださいっ」
と周囲を見回すが、空いている席はない。

「いや、まだ初期だったんで、話に聞いたほどではなかったんだけどさ。
 薬で散らすか迷って。

 結局、切ってもらうことにしたの。
 再発怖いしさ」

「あの、電車で立ってて大丈夫ですか?」

「そうだね。
 タクシーの方が座ってられるなーとは思ったんだけど、電車の方が早いし」

 はは、と笑っているが、そういえば、目が虚ろなような気がする……。

「女房にも、もう勝手にしてって怒られたよー」

「怒りますよ、そりゃ」

 こっちは心配してるのに、なにやってんだと思っていることだろう。

「わかってるんだけどね。
 僕ひとり居なくても会社が回るのは。

 でもなんかこう、休む準備整えて休まないと、落ち着いて入院できないって言うか」

「そ、それはわかりますけど……」

「部長もそういうところあるから、気をつけてあげてね」

 いや、まず、貴方が気をつけてください、と思ったのだが、ん? と気づく。

 安田課長は苦笑いして、
「ごめん。
 僕、実は佐野さんと同じ駅なんだよね」
と言ってくる。

 ええっ?

「いつも天野部長が乗せて来てるよね。
 だから、その、見ないふりして、出来るだけ違う車両に乗ってたんだけど」
と言ってくる。

 そ、そうだったのか……。

 さすが人事課長。
 口も堅いし、気配りもすごい、と思っていた。

「部長にも迷惑かけちゃったから、早く謝りたくて。
 だから、つい、佐野さんに声かけちゃったんだけど」
と言ってくる。

 いやいや、今はそんなことお気遣いなく、と思っていた。

「ところで、佐野さんって、いつまで勤めるの?」

「えっ。
 なんでですか?」

 まだ入社もしてないんですけどっ、と思っていると、

「いや、だって、内定はしたけど。
 部長と結婚することになったから、一応入社して辞めるってことで、人事部付のままにしてるのかなと思って」

 佐野さん、確か学校推薦もらってたよね、と言われた。

 それで内定取り消しにしてもらうことが出来なかったんじゃないかと安田は言う。

「い、いや、そういうわけではないんですけど」

「佐野さんのおうちもいいみたいだから。
 部長とは、お見合いとか、誰かの紹介とか?」
と温厚な笑顔で言われて、とても、こうなった理由は語れないな、と思っていた。

「いえその、たまたま……道で出会いまして」
とよくわからないことを言ってしまう。

 だが、そこは、気配りの人事課長。

「そうなのー」
と笑顔で流してくれる。

 あ……ありがとうございます……。

「ところで、あの、しゃべっていて大丈夫ですか?」
と問うと、

「うん。
 しゃべるの止めると、気が遠くなりそうだから」
と言ってくる。

 お願いしますっ。
 病院戻ってくださいーっ、と思いながら、会社まで付き添った。


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