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神降ろし
終焉3
しおりを挟む昔のような静寂を取り戻したほとりでは、天満が咳き込む加奈子の背を撫でていた。
和尚は、ほとりに上がり、力を剥ぎ取られ蹲る加奈子を見下ろした。
「和尚くんっ!」
和尚が何をしようとしているのか気づいた春日が、加奈子を庇って前に出る。
感情の籠らない目で、和尚はそれを見た。
「退け、春日」
「駄目だ! 和尚くん!」
「何故だ? そいつが透子を殺したんだ。
そいつさえ、余計な手出しをしなければ、今、死ぬことはなかった!」
一分でも、一秒でも、長く生きていて欲しかったのに……っ!
「和尚くん……」
春日は、それでも加奈子を庇い、首を振る。
「駄目だ。
君は透子さんが命を捨ててまで取り戻させてくれた力で、人を殺めるつもりか!
神の力で人を殺せば、君は本当に人ではなくなってしまうぞ!」
だが、和尚は嗤っていた。
「春日。
透子はもういないんだよ。
『神凪透子』はもう何処にもいないんだ。
そんな綺麗ごとになんの意味がある?」
その目は、春日を映してはいたが、映してはいなかった。
目の前にある情景など、鏡の向こうのことのように遠い。
「和尚」
いつの間にか加奈子の後ろに居た忠尚が呼びかける。
「お前まで、その女を庇うのか?」
そうじゃないよ、と忠尚は首を振る。
そして、加奈子、と優しくその名を呼んだ。
信じられないその響きに加奈子はおそるおそる振り返る。
「たっ……忠尚さんっ!」
「忠尚くんっ!」
忠尚は後ろから加奈子の首に手を回していた。
その手に握られているのは、八坂の剣。
「一緒に逝こう、加奈子。
俺が間違ってた。
透子に拒絶されるのが怖くて。
あいつに拒まれたら、生きていけないと思って、他の女で誤魔化して。
こんなに追い詰められるまで、何も言えなくて。
結局、透子を死に追いやった。
……わかってるよ、加奈子。
お前が悪いんじゃない。
なにもかも俺のせいだ。
だから―― 一緒に逝こう」
加奈子が引きつった顔で忠尚を振り返ろうとするが、強い力で押えつけられていて振り向けない。
「やめるんだ、忠尚くん。
君が手を汚すことはない!」
「いいんだよ、春日。
これでいいんだ。
俺が透子にしてやれることは、もう他にない。
な、兄貴」
和尚は、ただ、うつろな眼でそれを見ている。
ひんやりとした刃先が加奈子の首筋に当たる。
「忠尚さんっ!」
加奈子が絶叫した。
そのとき、ごぽりと音がした。
全員の目が、思わず、淵を向く。
「ああっ!」
水音とともに、大きな白いものが凄い勢いで、空へと駆け昇った。
巻き上がる飛沫。
夜気に身を躍らせたのは、白銀の見事な龍だった。
透子が見せたかつての龍神とは違う。
牙も角もない。悲しい瞳をした白い龍。
闇に浮かび上がるその姿は、この世のものとも思えないほど、美しかった。
忠尚はその手から剣が消えていることさえ気づかずに、その姿に見惚れていた。
天に跳ねた龍は舞うように旋回する。
空にまだ残っていた邪気をすべて払うと、和尚たちの上を身をくねらせて回り、そのまま淵へと静かに身を沈めていった。
言葉もなく見守る人々の耳を、すべてが終わった後の静けさが打つ。
和尚は黙って淵を見つめていた。
その静寂を破ったのは加奈子だった。
「……めんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
まるで白龍の輝きに当てられたように、加奈子は顔を覆って泣き始める。
加奈子の口から吐き出される謝罪の言葉は和尚の耳を素通りとして行った。
彼の脳裏には今見た、透子の化身としか思えない端麗な龍の姿が焼きついていた。
気づいたら、袴を澄んだ淵の水が濡らしていた。
「和尚っ!」
「和尚くんっ!」
和尚はすっかり元に戻って、白く清廉な光を放ち始めた月を見ながら、淵に足を進めていった。
ああ……綺麗な月だな、透子。
ずっとお前と見ていたかったよ。
そして、あの幻影みたいに、この淵の黄昏で、お前を見てみたかった。
『お前が望むなら、ずっとお前の側に居てやるよ』
「……この嘘つきが」
真っ白なクレーターさえ見えそうな大きな月が黒い林の上に浮かんでいた。
忠尚たちの声は耳に押し寄せる水に飲み込まれ、やがて、消えていった。
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