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あやしいものを見ています
チーズをあぶりたいです
しおりを挟む昼の休憩時間。
芽以が二階から下りてくると、窓際の席に座った逸人が熱心に広告のようなものを見ていた。
……逸人さん、広告とか見るんだ?
今日は牛乳が安い、とか、明日は卵が安い、とか見ているのだろうか。
似合わないな、なんとなく……。
いや、材料が足らなくなったら、近所のスーパーに買い出しに行くこともあるのだが、それは芽以の仕事だし。
そんなことを思いながら、なんとなく柱の陰から窺っていると、逸人は広告を見たあとで、外の通りを眺めている。
そして、また、広告を見る。
なんだろう。
嫌な予感がするんだが。
芽以は逸人の手許を凝視してみた。
最初はよく見えなくても、だんだん焦点が合ってくることがあるからだ。
あの配色。
見覚えがある、と芽以はその広告っぽい紙を見つめる。
すると、気配を感じたように、逸人が顔を上げた。
慌てて隠れる。
よく考えたら、何故、隠れているのかわからないのだが。
「芽以?」
「あっ、はいっ」
とお呼びでしょうか、ご主人様、とばかりに走っていくと、逸人はその広告をテーブルの上に一度伏せた。
「なにしてるんだ? お茶でも飲むか?」
はっ、はいっ、と返事しながら、その広告を見る。
裏面にも印刷してあったので、わかった。
やっぱり土地の広告だーっ。
ずっと気になっていたのだ。
逸人が最初に宣言していたことが――。
この人……、
もしや、もう、秘境に行く気なのでは。
当初から逸人は言っていた。
『店が軌道に乗ったら、もっと山の方に入ろうかと思ってる。
そこまでパクチーを食べに来るのなら、本物のパクチー好きと言うことだ』
と。
自分はパクチー嫌いのくせに、何故、お客様のパクチー好きを試すような真似をするのかは謎なのだが……。
……あのー、私、秘境には行きたくないんですけど~。
結婚祝いにいただいた、リチャード・ジノリの素敵な白磁のティーカップに紅茶を淹れてくれている逸人を見ながら、芽以はそう心の中で訴えかけていた。
今の場所だと、お友だちも会社のみんなも頻繁に来てくれるし、実家も近い。
せっかく楽しく暮らしているのに、と思う一方、それが逸人さんの望みなら、叶えてあげたいかな、と思わなくもなかった。
二人だけで、見知らぬ土地へ、か。
逃避行みたいで素敵ではあるな。
いや……、なにからも逃げなくていいのだが――。
芽以は山の中での二人きりの生活を妄想してみた。
鳥の声とともに目覚める朝。
家は何故か、巨大な木の幹をくり抜いた中にある。
この辺かなり子どもの頃読んだ絵本が混ざってるな~と思う。
ちゃんと窓もあるので、明るい日差しの差し込む木のおうち。
手作りの小さな木のテーブルと椅子に逸人さんと差し向かいに座る。
木のテーブルに並ぶのは、逸人さんが作ってくれたスイスの山奥の村で出てきそうな朝ごはん。
「いや、あんた、作んないの?」
という日向子の声が聞こえてきた気がしたが、とりあえず、無視してみた。
逸人さんが暖炉であぶったチーズをパンにのせてくれて――
いや、さっきまで、妄想の中の木のおうちは初夏の眩しい朝の光に包まれていたのだが、突然、暖炉が出てきていた。
チーズをあぶりたかったからだ。
木のスープ皿にスープ。
焼きたてのパンにあぶってとろけたチーズ。
好きじゃないけど、イメージ的に、しぼりたてのミルク。
そして、向かい合って座る私と逸人さんの間に、クマ。
――クマ!?
まあ、もう春ですしね……。
パクチーでゲーするクマさんもお目覚めになるでしょう。
そういえば、この間、逸人さんと車でお出かけしたときに、少し山の方に入ったら、クマ注意クマ注意クマ注意と狂ったように看板が出ているのを見たな、と芽以は思い出す。
ぬいぐるみや妄想の中のクマさんは可愛いが、現実には遭遇したくない。
だが、山の中にはきっと居るだろう。
農作業から帰ってきたら、クマが家の中でくつろいでいたという話も聞いたことがある。
紅茶の香りを嗅ぎながら妄想の止まらない芽以は、赤ずきんのようなマントを着て、カゴにパクチーを詰め込み。
道のど真ん中を塞ぐように立つクマの前に、来ないで~、とパクチーを投げつけていた。
クマが予想に反して、もこもこの手で拾ったパクチーをむしゃむしゃ食べ始めたところで、
「芽以」
と何故か、今まで沈黙する嫁を前に、一言も発さずに立っていた逸人が呼びかけてきた。
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