禁断のプロポーズ

菱沼あゆ

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第一章 オフィスの罠

お前、幾らだ

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「お前、幾らだ」

 あの雨の日、眼鏡をかけ、仕立てのよいスーツを着た、偉そうな男がそう訊いてきた。

「そこに立ってると、そうやって声をかけられるんだ。

 特にお前のように、傘持って、雨宿りなんぞしてるとな」
と親切にも教えてくれる。

 そこは、そういう目的を持つ女の人が立つ場所だったようだ。

 普通にいつも歩いている明るい街中なのに。

 知らなかったな、と思いながら、

「そうなんですか……」
と呟く。

 考え事をしていたので、そのまま、そこから逃げるでもなく、ぼんやりしていると、男は溜息をつき、
「どうした?」
と訊いてきた。

「いえ。
 『幾らだ』って。
 せいぜい、二、三万ですよね」
とつい、呟くと、

「売りたいのか」
と訊いてくる。

 いや、そんな莫迦な。

 ちょうどお金のことを考えていたので、そう言ってしまっただけだ。

「お前なら、もうちょっと高く売れるぞ」
と言ってくるので、

「いえいえ。
 ちょっとお金に困っていたので、言ってみただけですよ。

 別に売る予定はありません」

 それじゃ、と行こうとしたのだが、男が更に突っ込んで訊いてきたので、それに答える。
 
「まあ、微妙に困っています。
 育ての親がちょっと資金繰りに困ってまして、なんとかしてあげたいんですが」

「それはいまどき親孝行だな。
 吉原が今、ないからな」

 貴方、どうしても、私を売りに出したいようですね、と思っていた。

「……育ての親ね」
と呟いたあとで、彼は言う。

「お前、名前はなんて言うんだ」

「志貴島未咲です」

「そうか。
 未咲、二千万で足りるか」

「は?」

「ちょっとついて来い」

「……売りませんよ?」

「金をやるからついて来いと言ってるんだ。
 別にそういったことに不自由はしていない」

 そりゃそうでしょうね、と間近にその男を見て思った。

「ありがたいですが。
 何処の誰とも知らない人にお金を借りるわけにはいきません」

「広瀬智久だ。
 智久でいい。

 もう一度訊こう。
 返事は一度だ。

 二千万で足りるのか」

「足ります。
 あと足りないのは、千八百万ですから。

 それ以上はもう銀行が……。

 懇意にしている方が頑張ってくださったんですけど」

「じゃあ、二百万はおまけだ。
 釣りはとっておけ」

 子供のおつかいの釣りにしては、でかすぎます、と思った。

 第一、なんのおつかいもしていないし、自分を売る気もない。

 そもそも、売ったところで、二、三万よりちょっと高いくらいと言われたのに、二千万はどうだろう。

「二千万でなんとかなるのか。
 火に油を注ぐだけなら、此処で会社を畳むのも手だぞ」

 こちらの事情は言わずともわかっているようだった。

「今回、それでなんとか資金繰りができても、それで、すっからかんじゃどうにもならんだろう。
 二百万はとっておけ」

「あ、ありがとうございます。
 でも、ほんとに知らない人から、お金をもらうわけには」

「名前なら今、知ったろう」

 いや、そうなんですけどね……。

「あの、なんで、こんなに親切にしてくださるんですか」

「……暇だったから」

 そう智久は言った。

 そして、少し考え、腕をつかむと、軽く口づけてきた。

 ええっと!?

 路上ですけどっ!?

「これで知らない人じゃないだろ」
と腕は掴んだまま、智久は言う。

「二千万は無利子、無担保で貸してやる。

 いや……、担保はお前だ」

 はい?

「いつか俺がなにかを手助けして欲しいときに手を貸せ」

 なんだかひどく高くつきそうだが、と既にこのとき、思ってはいた。



 そのまま、智久は本当にお金を貸してくれた。

「親には学校の先生が貸してくれたとでも言え」

「そんな学校の先生いません」

「校長先生が貸してくれたとでも言え」

 そんな校長もいないと思うが。

「お前の実の親の知り合いが貸してくれたと言え」

 うーん、まあ、それなら。

「昔世話になったからと言われたとかなんとか」

 そう言い、彼は強引にお金を貸してくれた。

「本当になんで、こんなに親切にしてくれるんですか?」

 改めてそう訊くと、智久は小さく笑ってなにか言ったが、聞こえなかった。

 だが、そのときの口の動きが今もなんとなく、頭に残っている――。


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