憑代の柩

菱沼あゆ

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偽りの婚約者

ふたたび、病院へ

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 外の廊下に出、歩き出すと、身軽な身体に爽やかな五月の風が吹きつけてきた。

 少し前を行く要からは微かに病院の匂いがしていた。

 消毒薬や器具の匂いとでも言うか。

 それが心地よい風に混ざっている。

 そうか。

 あのとき、懐かしいと思ったのは、この匂いだったか。

 病院特有の匂いをそう思ったのか。

 何故だろうなと思う。

 しかし、風も陽気も心地よく、妙な解放感を感じて、

「素手で出かけるの、子どもの頃以来です」
と要の背に向かい、笑いかける。

 記憶はないが、そんな気がする。

「手ぶらだろ」
と言い直されたが。

「大人になると、余計なものを背負うようになるわけだ」
と要は皮肉に嗤った。

 確かに、年をとればとるほど、手荷物が増えていくような気がした。

 化粧なんかしなくても、昔は素顔で歩けたんだろうになあ、と思う。

「何故、後ろに乗る」
と言われ、運転席のドアを開けている要を見る。

 仕事用なのか、私用なのかわからない大きな車の後部座席のドアを開けかけたまま、

「いや――

 助手席に乗るのはご無礼かと」
と答えた。

「俺を運転手代わりにするのは、ご無礼じゃないのか」

 さようでございますね、と言いながら、助手席のドアに手をかけたが、なんだか落ち着かない感じがした。

 なんとなく乗りたくない。 

 だが、そんな台詞を繰り出す勇気もなかったので、勢いつけてドアを開けると、乗り込んだ。

「でも、先生。
 助手席だと、彼女とか奥さんに見られたとき、勘違いされたりとかしませんか?」

「どちらも居ない」
「そうなんですか?」

 モテそうなのにな、と思っていると、要は、

「昔、婚約者に逃げられて、それきりだ」
と訊いてもいないのに、フォローに困ることを言い出した。

「そ――

 それはそれは……」

 それ以上、上手い言葉が出て来なかった。

 間が持てずに、意味もなく、もみ手をしていると、

「それで終わりか」
と横目に見て言う。

「えーと。
 なんと言ったものかと」

 そのまま、要は黙っている。

 厭な話題を振った罰に、いいコメントを残せと求められているのだろうか。

「そ、そうですね。
 先生なら、もっといい人が現れますよ――

 とか?」

 そう言うと、

「死ぬほどムカつく台詞だな」
と吐き捨てられた。

 だったら、訊くな~っ! と思ったとき、車は走り出していた。

 衛と要。

 扱いにくさが、そっくりだ、と思っていた。



 病院に着くと、例の別棟の診察室に通された。

 この間まで、入院していた棟だ。

 要は、一通り、身体を見たあとで、

「特に異常はないようだな」
と顔に触り、言う。

 そんな簡単に崩れるような整形なのか? と不安になった。

 で? と椅子を回して、カルテに何か書き込みながら、要は訊く。

「犯人に繋がるような何かはあったか」

「そっちの異常もないんですよね~。
 ああ、そういえば、ちょっとだけ。

 衛さんから聞かれましたか?
 あづささんと関係があったらしい男の人が出てきましたけど」

「あづさと関係のある男が居たのが、何処がちょっとだ」

「いや。
 単に、あの人があづささんを好きってだけかも。

 どちらにしても、犯人じゃないような気がしますよ。

 あづささんだと思っている私に対する話しかけ方とか見てても」

 そう言いながら、さりげなく要が腕の向こうで走らせているペン先を見ていた。

「でもまあ、悪意のない犯人っていうのも居るからわからないですけどね。

 自分が正しいと思って、犯罪を犯している場合、疾しさもないから、胡散臭くは感じないかも」

「お前はどうだ」
「え?」

「お前は人を殺しても、自分が悪くないと思えば、罪の意識は感じないのか?」

「……感じると思いますよ、たぶん」

 視界に窓が入った。

 高台に立つ此処からの眺めはとても好きだ。

 ふと、要の手が髪に触れた。

 またあの懐かしい匂いがする。

「髪の長さもちょうど良くてよかったな」

「そうですね。
 こっちが長かったら切ればいいけど、短かったら、めんどくさいことになってましたよね」

「あづさの髪はパーマをあてていたようだが」

「あてていたって今どきの人が言いますかね?」

「私はおばあちゃんっ子だったんでな」

「先生」
「ん?」

「ああいや、なんでもないです」

 病院関係の匂いに懐かしさを感じる話をしようとして、なんとなくやめた。 

 もう用は済んだ、帰れ、と手を振られる。

「帰りは野放しですか?」
と言うと、要は振り向きもせず、戸口の方をペンで指す。

 見ると、衛が開いたドアのところに立っていた。




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