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ある意味、地獄からの招待状

突然、反省をし始める人

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 相変わらず、すごい家だな、と逸人について、屋敷に入った芽以は思う。

 子どもの頃から出入りしてきたが、改めて見ると、本当に豪邸だ。

 昔は、広くて隠れるところがたくさんある、かくれんぼにいい家、としか思わなかったのだが。

 相馬のご両親は、リビングに居た。

 軽く芽以を挨拶させたあと、逸人が店がオープンしたばかりなので、食事会には来られない、と言うと、逸人の父、光彦はすぐに快諾した。

「なかなか店の評判はいいようだな。
 実は、如月さんが行ってみられたようなんだよ。

 美味しかったと喜んでおられた」

 まあ、頑張りなさい、と息子が褒められたのが嬉しかったのか、機嫌がいい。

 圭太のために仕事を辞めたようなものだから、父親として、心配していたのだろう。

 次の仕事がすぐに軌道に乗りそうなので、喜んでいるようだった。

「夕食は食べたのかね。
 軽く食べて行きなさい」

 帰ってゆっくり食べようと思っていたのに、という顔を逸人はしたが、ふんだんに神田川の野菜を使っていると聞いて、気が変わったようだった。

 ダイニングに通されると、壁際のバイオエタノールの暖炉が視界に入った。

 こんなのあったっけ? とモダンなデザインのその暖炉を見ていると、逸人の母、富美ふみが笑って言う。

「あら芽以さん、気づいた?
 リビングのソファも変わってたでしょう?」

 ……まさか、甘城を招待したからですか、おばさ……

 お義母さん、と思う。

 やはり、甘城の家に相当な対抗意識があるようだった。

 下手に家の格が同じくらいなので、どちらが上に立つかで、水面下で激しい攻防戦が繰り広げられているようだった。

「芽以さんのご両親もいずれご招待しようと思っているんですけどね」
と言う富美に、芽以は強張り、いいえ、結構です、お気遣い無く、と思う。

 うちの親がこんなところに招待されても、気詰まりなだけに違いないからだ。

「まあまあ、歩いてきたのなら、呑みなさい」
と言われ、光彦に、正月だからと、純金の銚子で純金の杯に酒をそそがれる。

 うむ。
 なんか美味しい気がする。

 いや、まあ、酒自体がいいのだろうが。

 ひんやりとした口当たりで美味しく感じる。

 料理は正月だからか、和食だった。

 気がつけば、逸人は料理を凝視しながら、食べている。

 この薔薇のように飾られた鯛にパクチー。

 このホッキ貝のサラダにパクチー。

 このセリをパクチーに変えたら。

 でも、ただ美味しい料理にパクチーのせればいいってもんじゃないからな。

 あの嗅いだだけで、吐きそうなパクチーの風味を活かさねば、という顔で逸人が見ているのがわかり、ちょっと笑ってしまう。

 なんにでも真剣な逸人が好きだ。

 ……いや、人間としてだけど、と思いながら、芽以は、お吸い物をいただいた。

 美味しい。

 どうなってんだ、この出汁。

 めちゃくちゃ澄んでるが。

 などと思いながら、結局、料理もお酒も美味しくいただいた。

 まあ、多少、堅苦しい人たちではあるが、逸人の両親は、子どもの頃から知っている。

 気づけば、結構和やかに時は経っていた。

 酒が入ったせいもあり、富美が語り出す。

「あー、今日は楽しいお酒だわ。
 でも、今度の食事会はこうはいかないわね」

 だからあのー、甘城とも親戚になるわけですし、そう構えなくてもいいのでは、と思いながらも、余計な口は挟まない方がいいだろうと思い、芽以は黙っていた。

「芽以さんは、しっかり育てられた、いいお嬢さんだから、安心よ。
 逸人を頼むわね」

 ご先祖様は殿様とかいう富美にそう言われ、はっ、おおせのままに、と言いそうになるが。

 逸人さんが、頼まれたいかはわからないけどな、と思っていた。

「でも、日向子さんは、ちょっと不安なのよね」

 いやいや。
 日向子さんの方がきちんと育てられた、いいお嬢さんですよ。

 まあ、……圭太が尻に敷かれそうなのは、今から見えてますけどね、と思いながら聞いていた。

「そうだ。
 芽以さん、この間、仙台から送ってきた、いい酒があるんだよ」
と言いながら、酔った光彦が立ち上がったとき、ピピッと芽以のスマホにメッセージが入った。

 見ると、
『逃げてっ』
と書かれている。

 なにから?

 爆破されるとか?
と思ったが、それは『いいお嬢さん』からのメッセージだった。

『今、もう、そっち向かってるっ。
 逃げてっ』

 はいはい、と苦笑いしながら、日向子からのメッセージを閉じ、芽以は立ち上がった。

「あの、もう圭太も……圭太さんたちも帰ってくるみたいなので、そろそろ」

「あら、そうなの?
 日向子さんも一緒?」

 みたいです、と言うと、富美は、一気に酔いが冷めたような顔をした。

「じゃ、じゃあ、お邪魔にならないよう、失礼致します」
と挨拶した芽以は、また来なさい、と言われながら、そそくさと屋敷を出る。

 寒い夜道だったが、酔っているので、あまり苦ではなかった。

 月が綺麗だなあ。

 スーパームーンってやつだろうか、とビルの上に浮かぶ、やたらデカイ月を見ながら、芽以は言った。

「あのー、こんなこと言ってはいけないかもしれないんですけど」

 なんだ? という顔で、横を歩く、逸人が見下ろす。

「逸人さんが長男じゃなくてよかったです」

 日向子が来ると聞いたときの相馬家の妙な緊迫感を思い出しながら、芽以は、そう呟いた。

 いや、と溜息まじりに言った逸人は、
「俺も今、心底そう思ってるところだ」
と言う。

「この間、圭太を邪険にして悪かったかな」
と何故か反省の弁を述べ始めた。

 彼の今後の人生が自分たちより遥かに過酷なものであることを今、実感したからだろう。

 逸人は冴え冴えと澄み渡る冷たい夜空を見上げ、
「帰るか」
と言ってきた。

 はい、と芽以は微笑む。

 なんかいいな、と思っていた。

 帰るか、と誰かに言われて、共に帰る暖かいおうち。

 その共に帰る相手が、逸人であるということが、より心を温かくしているような気もする。

 そんなことを考えながら、芽以は逸人と二人、凍てつく夜道を帰っていった。



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