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第二章 姿なき中宮
陰陽寮に参ります
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さて、いよいよ陰陽寮に行くことになった。
鷹子が住む内裏も陰陽寮も同じ大内裏の中にあるのだが、鷹子は陰陽寮には行ったことがない。
陰陽師はいつも、向こうから出向いてくるからだ。
「どきどきしますわねっ」
と言う命婦はせっせと荷物を準備していた。
「プリンは私が持ってまいりましょうか?」
そう問うてくる命婦に鷹子は、
「いいわ。
私が持って乗りましょう。
まあ、徒歩で持っていくのと、どっちが揺れないかはわからないけど。
移動中にやっておいた方がいいことがあるから」
とあの硯箱を見る。
女房たちは陰陽寮まで歩いて行くが、鷹子は輦車と牛車で行く。
広い大内裏の中の移動は大変だが、牛車で動き回ることは、基本、禁じられていた。
女御である鷹子も天皇が住む内裏の中は牛車では走れない。
それで、輦車という、人が引く、車がついた入母屋屋根の四方輿で移動するのだ。
鷹子はその輦車に硯箱を抱えて乗った。
輦車を引く人夫たちに、女御様自ら運ばれるその硯箱は一体、どんな立派な硯箱なのだろう、という目で見られながら。
輦車に乗り込んだ鷹子は、早速、硯箱の蓋を開け、扇でプリンをあおいだ。
移動中やることがあると言ったのは、これだった。
陰陽寮に着くまでに、粗熱をとっておかねばならない。
そのなにかの力により冷える洞窟がどの程度冷たいのかわからないので、陰陽寮にいる間にプリンが固まるよう、できるだけ冷やしておきたかった。
輦車に付き従って歩いている命婦が、
「女御様」
と声をかけてくる。
内裏と大内裏の堺となる門に近づいた合図だ。
此処から牛車に乗り換えることになるので、鷹子は急いで蓋を閉めた。
輦車の御簾が巻き上げられ、命婦がしずしずと近づいてくる。
鷹子は命婦に硯箱を渡した。
まだ生暖かい硯箱を命婦が捧げ持ち、鷹子は扇で顔を隠して、牛車に移動する。
牛車には命婦と若い女房一人が乗り込んだ。
命婦がそっと牛車の中に硯箱を置くと、鷹子が蓋を開け、三人で覗き込む。
プリン液はこぼれていなかった。
ほっとした瞬間、牛車が動き出し、プリン液が激しく波打って、全員、ひっ、と息を呑む。
手を差し出したところでなにもできないのだが、みんな、なんとなく、硯箱の上に手を差し出していた。
「蓋をするべきだったわ。
でも、それじゃ冷めないし」
そのあとは、輦車のときと同じで、動き出した瞬間ほどは揺れなかった。
前回、帝が用意してくれた山中のおーぷんかふぇへは、お忍び用の牛車で行ったが。
今回は正式な陰陽寮への訪問なので、女御という立場にふさわしい紫糸毛車だった。
各式高い糸毛車にもランクがあって、一番ランクが上なのは、東宮や中宮などが乗る青糸毛車。
女御が乗っていいのは、その次のランクの紫糸毛車だ。
紫の絹糸で屋形を覆った華やかな牛車なのだが、窓がないのが鷹子的には物足りなかった。
女御の立場ではひょいひょい出歩くことはできないので、大内裏の中の建物でさえ、あまり見ることはないからだ。
だが、此処に、別のことを憂えているものがいた。
「おいたわしや」
ゆる~い感じに走る牛車の中で何故か命婦が涙ぐんている。
「かつては葱花輦に乗ることまで許された斎王様が、今は牛車」
葱花輦は天皇や上皇など、限られた人しか乗ることのできない乗り物だ。
斎王は乗ることができるが、女御の立場では乗ることはできない。
扱いが悪くなった気がする、と命婦は嘆いているのだ。
「いや……普通の牛車で充分よ」
別にてっぺんにネギのついた乗り物に乗って、人に担がれなくてもいい、と鷹子は思っていた。
ネギ、と言えば、テープでくくられ、スーパーで束になって売られていたあれしか思い浮かばない。
いつも、誰のエコバッグからもバランス悪くはみ出して、落ちそうになってんだよな~、とショボいことを鷹子は思い出していたが。
この時代の葱はその香りで邪気を祓う、ありがたい植物だったし、葱の花も長く咲くので、めでたいものとされていた。
だから、高貴な方の乗る葱花輦のてっぺんには金色の葱の花がついているのだ。
だが、現代の女子高生の感覚の戻った鷹子は、そもそも人様に担いでいただくなんて恐れ多い、と思っていた。
背が高かったから、騎馬戦でも上になったことがないのに……。
っていうか、牛車で、牛様に引いていただくのも落ち着かない感じなのに。
あまりに長距離牛に歩いてもらうと、申し訳なくなって、牛を車に乗せて、自分が引きたくなってくる。
まあ、それはともかく、陰陽寮に着くまで時間がない。
「あおぎましょうっ」
と焦る鷹子が早口に言い、三人でプリンを扇ぎはじめた。
扇が動くたび、全員の扇から良い香の香りが漂う。
牛車に付き従って歩く者たちは、中から漏れ薫ってくるその香りの競演に、
雅だ……と思っていたかもしれないが。
牛車の中、重い衣で激しく扇を動かす三人の姿はなにも雅ではなかった。
鷹子が住む内裏も陰陽寮も同じ大内裏の中にあるのだが、鷹子は陰陽寮には行ったことがない。
陰陽師はいつも、向こうから出向いてくるからだ。
「どきどきしますわねっ」
と言う命婦はせっせと荷物を準備していた。
「プリンは私が持ってまいりましょうか?」
そう問うてくる命婦に鷹子は、
「いいわ。
私が持って乗りましょう。
まあ、徒歩で持っていくのと、どっちが揺れないかはわからないけど。
移動中にやっておいた方がいいことがあるから」
とあの硯箱を見る。
女房たちは陰陽寮まで歩いて行くが、鷹子は輦車と牛車で行く。
広い大内裏の中の移動は大変だが、牛車で動き回ることは、基本、禁じられていた。
女御である鷹子も天皇が住む内裏の中は牛車では走れない。
それで、輦車という、人が引く、車がついた入母屋屋根の四方輿で移動するのだ。
鷹子はその輦車に硯箱を抱えて乗った。
輦車を引く人夫たちに、女御様自ら運ばれるその硯箱は一体、どんな立派な硯箱なのだろう、という目で見られながら。
輦車に乗り込んだ鷹子は、早速、硯箱の蓋を開け、扇でプリンをあおいだ。
移動中やることがあると言ったのは、これだった。
陰陽寮に着くまでに、粗熱をとっておかねばならない。
そのなにかの力により冷える洞窟がどの程度冷たいのかわからないので、陰陽寮にいる間にプリンが固まるよう、できるだけ冷やしておきたかった。
輦車に付き従って歩いている命婦が、
「女御様」
と声をかけてくる。
内裏と大内裏の堺となる門に近づいた合図だ。
此処から牛車に乗り換えることになるので、鷹子は急いで蓋を閉めた。
輦車の御簾が巻き上げられ、命婦がしずしずと近づいてくる。
鷹子は命婦に硯箱を渡した。
まだ生暖かい硯箱を命婦が捧げ持ち、鷹子は扇で顔を隠して、牛車に移動する。
牛車には命婦と若い女房一人が乗り込んだ。
命婦がそっと牛車の中に硯箱を置くと、鷹子が蓋を開け、三人で覗き込む。
プリン液はこぼれていなかった。
ほっとした瞬間、牛車が動き出し、プリン液が激しく波打って、全員、ひっ、と息を呑む。
手を差し出したところでなにもできないのだが、みんな、なんとなく、硯箱の上に手を差し出していた。
「蓋をするべきだったわ。
でも、それじゃ冷めないし」
そのあとは、輦車のときと同じで、動き出した瞬間ほどは揺れなかった。
前回、帝が用意してくれた山中のおーぷんかふぇへは、お忍び用の牛車で行ったが。
今回は正式な陰陽寮への訪問なので、女御という立場にふさわしい紫糸毛車だった。
各式高い糸毛車にもランクがあって、一番ランクが上なのは、東宮や中宮などが乗る青糸毛車。
女御が乗っていいのは、その次のランクの紫糸毛車だ。
紫の絹糸で屋形を覆った華やかな牛車なのだが、窓がないのが鷹子的には物足りなかった。
女御の立場ではひょいひょい出歩くことはできないので、大内裏の中の建物でさえ、あまり見ることはないからだ。
だが、此処に、別のことを憂えているものがいた。
「おいたわしや」
ゆる~い感じに走る牛車の中で何故か命婦が涙ぐんている。
「かつては葱花輦に乗ることまで許された斎王様が、今は牛車」
葱花輦は天皇や上皇など、限られた人しか乗ることのできない乗り物だ。
斎王は乗ることができるが、女御の立場では乗ることはできない。
扱いが悪くなった気がする、と命婦は嘆いているのだ。
「いや……普通の牛車で充分よ」
別にてっぺんにネギのついた乗り物に乗って、人に担がれなくてもいい、と鷹子は思っていた。
ネギ、と言えば、テープでくくられ、スーパーで束になって売られていたあれしか思い浮かばない。
いつも、誰のエコバッグからもバランス悪くはみ出して、落ちそうになってんだよな~、とショボいことを鷹子は思い出していたが。
この時代の葱はその香りで邪気を祓う、ありがたい植物だったし、葱の花も長く咲くので、めでたいものとされていた。
だから、高貴な方の乗る葱花輦のてっぺんには金色の葱の花がついているのだ。
だが、現代の女子高生の感覚の戻った鷹子は、そもそも人様に担いでいただくなんて恐れ多い、と思っていた。
背が高かったから、騎馬戦でも上になったことがないのに……。
っていうか、牛車で、牛様に引いていただくのも落ち着かない感じなのに。
あまりに長距離牛に歩いてもらうと、申し訳なくなって、牛を車に乗せて、自分が引きたくなってくる。
まあ、それはともかく、陰陽寮に着くまで時間がない。
「あおぎましょうっ」
と焦る鷹子が早口に言い、三人でプリンを扇ぎはじめた。
扇が動くたび、全員の扇から良い香の香りが漂う。
牛車に付き従って歩く者たちは、中から漏れ薫ってくるその香りの競演に、
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